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済まない、冗談だ (月の裏 3-3)

2009年07月19日 01:00

「リタ、大丈夫かい。高宮の馬鹿がリタを連れまわしてるって聞いて」
 おそらく楠ノ瀬麻紀から聞いたのだろう。だがこの反応は、果たして何と説明されたのか。麻紀のほくそ笑む表情が目に浮かぶ。
 リタは改めて、息を切らせている少年を観察した。

 ぼさぼさの髪の下、心配げな表情を浮かべた少年の顔には汗が浮かんでいる。ふわりと少年の匂いもしたが、それはリタにとって不快なものではなかった。

(そう言えば私のことを、懐かしい匂い――と言っていたな)

 数か月前のことを思い出して自然と口元が緩みかける。表情の変化を徹に悟られぬよう、額の前にかかった赤い髪を意識的に掻き上げた。
「ああ、大丈夫だ。ところで徹の方は、誰かと一緒だったのか」

 ちょっとした悪戯心からの付け足しだったが、少年は激しく動揺した。その眼が左右に泳ぐ。
「え……いや、そのクラスメイト――」
 そこで一瞬間があったが、結局、潔く続きを口にした。
「クラスメイトの荻原有理と」

 リタは満足して頷いた。
「そうか、心配かけたな」
 その言葉に徹の顔が明るくなる。

「リタ、荻原有理と杉山の推理劇の最終公演が三時半からなんだ。一緒に行かないか」
 徹は、さっきまで高宮が座っていた椅子に腰を下ろすと、二人の推理劇が如何に評判になっているかを滔々と話し出した。

 見てもいないのに身振り手振りを加えて話すのは、先程まで一緒だった有理からの受け売りだろう。徹は、年下の自分から見ても、素直というか無防備なところがある。ある意味、先ほどの高宮とは好対照と言えた。
 だがリタは、徹とこうした会話をするのが好きだった。

 自分が徹を選んだのは、「あれ」を見たからだけでない。自分は牙を利用したいためだけで選んだわけではない。この少年に惹かれたのはこういった心の在り様も含めてなのだ。 
 そう己に言い含める度に、いつも心の奥深い部分が楽になるのを実感する。

(徹には、助けられているな)
 リタは心の中で感謝を口にしたが、実際に声に出したのは短い相槌だった。

「そうだな、見に行こう」
 愛想のない返事にもかかわらず、徹に再び無防備な笑顔が浮かんだ。それを見て悪戯心がまたも頭を擡げる。
 リタは敢えて顔から感情を消したまま、傍らに座った徹の頬に手を伸ばした。
 それだけで少年は、ぎくりと表情を変える。

「リタ……?」
 これでは触れるまでもないか――そう思いながら少年の頬に手を添える。
「徹、何かついているぞ?」
 意味ありげにターコイズブルーの瞳を閉じる。数秒後おもむろに眼を開けると、重々しく頷いた。
「なるほど、綿飴か。まあ、このくらいなら許してやるか」

「なっ……」
 徹は今度こそ耳まで赤くなった。リタは流石に堪え切れず、小さく背中を震わす。
「リ、リタ。まさか、からかっているんじゃ」
 少年の声が何とも恨めしく響いた。

「済まない、冗談だ」
 普段と変わらぬ声に戻って立ち上がると、リタは推理劇が開催される講堂へと歩き出す。
 廊下のガラス越しの日差しは先程までと変わらず、うだるような暑さはむしろ増している。だが、その暑さこそが、自分が日本にいることを強く実感させた。

(母も十五年前に、こうして過ごしたのだろうか)
 ターコイズブルーの瞳を細めながら、長い髪を掻き上げた。
「お、おい、待ってくれよ」
 慌てた徹の足音が、後ろから追いかけてくる。

 少女にとって初めての日本の夏は、始まったばかりであった。


 月の裏で会いましょう 3 完


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