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男気出しすぎかな (プリムラ8)

2009年01月18日 23:07

 その頃、参宮学園の武道場の裏手で桐嶋和人は、寒さに震えながら杉山想平と何かを待っていた。
 
 杉山からの電話は、桐嶋の理解を超えるものであった。
「春分の夜、武道場の裏手の石碑で何かが起こるはずなんです」
 一体、誰が来て何をするのか。当然のことながらそう聞き返した桐嶋に対する杉山の答は、あっけなかった。
「僕にもわかりません」
 瓜谷がいてくれれば。その思いが桐嶋の脳裏をかすめたが直ぐに首を振った。危険であるならなおのこと、周囲を不用意に巻き込むべきでなかった――そう自分に言い聞かせながら無意識に拳を握り締めた。

(俺が藤原の盾になるんだ)

 無意識に武者震いしたところで桐嶋は強い尿意を催した。武道場の中の便所に入ろうとしたが、当然のごとく鍵が掛っている。桐嶋は杉山に一言断ると林の奥に入って懐中電灯を消し、その場で用を足した。

「す、杉山あ、それにしても、今夜は冷えるよなあ」
 暗がりの中に一人居ることが心細く、必要以上に大声を張り上げる。途端に鼻がむずがゆくなり続けざまにくしゃみをした。
「か、風邪ひいちまったかなあ」
 意識して明るい声を上げたが、後ろからの返事はない。用を足し終えた桐嶋がもう一度身体をぶるっと震わせて、もといた場所へと戻ると――

「偶然だな、桐嶋」
 高宮武が武道場を背にして立っていた。

 高宮は黒革のライダー・ジャケットに身を包み、手には銀色のヘルメットを持っていた。後ろには車椅子に身を沈めた杉山の姿がある。どんな技を使ったのか、杉山は無傷で眠り込んでいるようであった。
 
 入学以来何度も桐嶋のことを嬲ったその声が、夜の林で妙に優しく響く。
「まさか俺を待ってた――なんてことはないよな」
 その言葉に、怖れと怒りとが蘇る。
 両の手には武器が無い。万一に備えて家から金属バットを持ってきていたが、小便に行く際に杉山に預けてしまっていた。

(こういう運の悪さも、俺らしいのかな)

 桐嶋は尻の穴に力をいれると、精一杯胸を張った。
「お、俺が誰を待ってたか、教えてやろうか」
 高宮の目が光る。爬虫類が獲物を見定める冷酷な視線だったが、桐嶋は気付かない振りをすると、
「も、もっと、近くに来いよ」
 手招きをした。高宮が応じて二、三歩近づいた瞬間だった。

「高宮ぁ!」
 桐嶋は懐中電灯を高宮に投げつけ、その腹を目掛けて頭から突っ込んでいった。自分でも何をしているのか理解できないまま、相手が醸し出す禍々しさに身体が勝手に反応してしまった、そんな動きであった。
 だが高宮は落ち着いて左手で懐中電灯を叩き落とすと、桐嶋の脇腹に蹴りを決める。
 桐嶋は堪らず膝をついた。

「無駄だって」
 高宮が足元の懐中電灯を拾うと、右足で軽く払うように桐嶋の横面を蹴った。
「うげっ……っく」
 悲鳴を途中で飲み込み、鼻から血を流しながら桐嶋が立ち上がろうとする。その小柄な身体を震わせながらも、眼だけは高宮から逸らさない。

 高宮が唇を舐めた。
 その口が大きく裂けた。もはや高宮には嘗ての面影は微塵も無く、暴力が人の形をした容器に入っているだけだった。
 
(男気出しすぎかな、俺。もしかしてもう駄目かな)

 桐嶋の胸中には諦めに似た感情が去来したが、不思議と後悔はなかった。
「お前、死んでみるか?」
 高宮が右手の親指で唇を弾くと、止めの一撃を与えようと桐嶋に近付き――
 不意にその足を止めた。
 妖精が羽根を震わす澄んだ高音が、何処からとも無く響いてきた。

 音は風に乗り、闇に溶けていく。
 だが、その音色は聞く者の脳裏にこびりついた。
 桐嶋は口の周りを血で赤く染めながら、自分を仕留めようとしている男の背後に目を凝らす。
 
 るるんしゃうんしゃるん

 再び音が響き、闇に溶ける。
 桐嶋は何かを確認して、満足げに高宮の背中を指差した。
 そこには黒いブーツを履いた若い小柄な女の姿があった。

「き、来てくれるんじゃな、なんて思ってました」
 歯が折れているのか、息が漏れてうまくしゃべれなかった。
 小柄な女は茫洋とした表情を浮かべながら、滑るように歩いてくる。
 巫女を想像させる白い肌と後ろで束ねた長い黒髪が、この非現実的な光景に相応しかった。灰色のダブルのコートに身を包んだ女の左手には、幾つもの鈴が握られている。

 女の唇が小さく動いた。
「因果に逆らう獣よ」
 謡を低く口ずさむようだった。その吐く息が白い。
 高宮は口を大きく開けて女を威嚇した。口の中に牙が見えた気がして、桐嶋の全身に悪寒が走る。
 ブーツを履いた巫女が鈴を頭上に掲げると、何処からとも無く疾風が吹いた。

 るるんしゃうんしゃるん
 るうんしるんしゃんるうん
 
 妖精の羽音が響く。
「鵺を調伏した調べだ」
 女は、鈴を持った左手で目の前の空間に文字を書く。
 高宮は両耳を押さえて雄叫びを上げた。桐嶋はこれこそ、自分が待っていた「何か」だと確信した。

 安堵の表情を浮かべて桐嶋は崩れ落ちた。


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