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私は覚悟を決めたの (金木犀15)

2008年12月19日 00:20

 高宮は、土下座をするかの如く座り込んだ徹を見て一瞬呆気にとられ、直ぐに唇の両端を吊り上げた。
「どうした藤原ぁ、もう終わりかよ。泣きべそかいてるのか」
 徹の顔は幾度も打たれて赤く腫れており、冷たい雨が頬を濡らしている。高宮は勝ち誇って後方を振り返ったが、黒い傘の下、菖蒲は首を横に振っていた。
 高宮が訝しげな表情になる。

「勝負はついてないわ」
 菖蒲の淡々とした口調に、何処に目を付けてんだよ――そう言いかけて高宮自身も気付いた。
 徹の足の指は立っていた。
 足の甲を地面に付けず、空手で言うところの中足を立てた状態で腰骨を起こしている。雨で額に張り付いた前髪の間から覗く瞳には、まだ強い光があった。

 なるほど。まだ心は折れてないってわけか。
 高宮は親指で唇を軽く弾くと荒んだ笑みを浮かべた。

「それも、これで終わりだ」
 そう叫ぶと右足を自分の頭まで跳ね上げ、一気に徹の顔面に振り下ろす。元々の身長差に加えて座り込んだ徹との高低差を利用した、強烈な踵落としだった。
 
 だが、これこそ徹自身が狙っていたことであった。
 立った状態で正座した相手を突くのは難しい。背の高い高宮の場合はなおさらである。蹴りで、しかも間違いなく利き足で来るはずだった。

 予想通り迫りくる高宮の踵に対し、膝一つ分だけ前に出て打点をずらす。後ろ足の太腿を立てて中腰になることで、攻撃に体重が乗り切る前に肩で受けてやる。
 それでも殺しきれない勢いに呻き声を漏らしながらも、両腕で高宮の右足首を掴みアキレス腱を極めた。

 にちっつ。
 抱えた高宮の足首から嫌な音がした。

 高宮が吠えた。
 自由になる左足で出鱈目に徹を蹴り込むが、首を竦めたまま徹は両腕に力を込める。高宮の絶叫がさらに大きくなり、地面にその長身を投げ出す。
 濡れたコンクリートの上をのたうち回りながら、高宮は首を激しく振る。

「まだだ。まだだ」
 高宮は繰り返すが、その度に徹が力を込めるうち声が悲鳴混じりになった。
 それまで貯水槽の脇で二人の戦いを眺めていた菖蒲が、二人の元へゆっくりと歩み寄る。
 
「あなたの負けね」
 見下ろす菖蒲の台詞に、高宮は額に脂汗を浮かべながら狂ったように首を振った。いや、首だけではない。身体ごと捩る。
「あなたはもう闘えない。それとも」
 菖蒲の切れ長の瞳が細くなった。
「まさか約束が守れないなんてことは、ないわよね」

 高宮は答える代りに歯を剥くと、寝転んだまま腰の後ろのヌンチャクを取り出した。そのまま振りかぶって徹に叩き込もうとし――
 その瞬間に足首を貫いた激痛にコンクリートをタップした。
 
 徹は、黙って両手を離し立ち上がった。

   * * * * * * * *


 十月の雨の中、菖蒲と歩く。

 歓楽街のネオンが水溜りの上に歪んだ夜の虹を映す。灰色のコートと黒いパンツに身を包んだ菖蒲は小柄とはいえ年相応に大人びていて、酒臭い男達の視線が時に絡みつく。
 並んで歩きながら菖蒲は黒い傘を差し出したが、徹は黙って首を横に振った。
 驚愕と混乱そして興奮が収まるにつれ、強い怒りが湧き上がってくる。

「あやちゃん……何で、高宮をけしかけた」
 返答次第では菖蒲であっても許さない。そんな決意を言葉に込めたつもりであった。しかし、徹を見上げる菖蒲の顔には、徹の思いを決意と呼ぶことが躊躇われるほどの強い意志が浮かんでいた。
「徹、あなたが鳴神の一門になった時に私は覚悟を決めたの」

 覚悟――まさにそれが今の菖蒲に相応しい言葉だった。
 だが、そんな言葉で納得するわけにいかなかった。徹は頬を紅潮させる。
「何のことだよ。場合によっては例えあやちゃんでも――」

「きっとあなたとリタは凶獣を解き放つ」
 菖蒲の白い顔には確信と諦念とが奇妙な同居を見せていた。困惑する徹に構わず菖蒲は話し続ける。
「でも凶獣を再び封じるのは、解き放つより遥かに困難なの」
「凶獣、凶獣って何を訳の分からないことを」
 徹は思わず菖蒲の灰色のコートの両肩を掴んだ。
 菖蒲の傘が地面に落ちる。先ほどより強くなった雨が二人を濡らす。通り過ぎた男女がこれ見よがしに徹を指して囁きあった。

「だから、あなたのために憑り代を作った」
 静かだがきっぱりとした口調は、控え目な微笑を浮かべる姉の幼馴染としての言葉ではなく、鳴神流師範代のそれであった。
 菖蒲は肩に置かれた徹の指を一本ずつ剥がしていく。
 徹が微かな痛みに自分の指を見ると赤く血が滲んでいた。菖蒲の手の先に小さな刃が光った気がした。

「憑り代……」
 徹は菖蒲の言葉を繰り返したが、菖蒲はそれ以上口を開くことはなかった。
 徹は血の滲んだ指先を黙って眺めていた。


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