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第三章を終えて (物語について5)

2008年12月29日 02:37

 いつのまにか物語も折り返しを過ぎ、次章から三学期です。
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だが、もう戻れない (金木犀18)

2008年12月24日 21:31

 男が参宮学園に忍び込んだのは、満月の夜だった。
 特にその日を狙ったわけではない。偶々むしゃくしゃした気分が晴れなかったからだ。
 新しい高校では、絡んできた上級生をその日のうちにぶちのめした。既に自分のポジションは確保した。
 
 だが満たされない。
 そこには自分が好きだった少女はいない。自分が憧れた先輩もいない。
 そこには緊張も無ければ平穏も無い。ただ時間が汚泥のように垂れ流されているだけだった。
(宝玉を手に入れるまでは負けない)
 最も思い出したくない相手の言葉が、脳裏に染みのようにこびり付いていた。
 
 宝玉、宝玉、宝玉。
 あんな石っころの、どこがそんなに大切なのか。
 男は何度か見たことのあるシルエットを、記憶の中から引き摺り出す。
 仄かに光る丸い石――そう、ただの石だった。
 その石を粉々にしてやったら、あの野郎はどんな顔をするだろうか。
 それだけの理由で、自分がここに立っている事に改めて気付く。どこか歯車が狂ってしまった気がする。
 だが、もう戻れない。
 
 男は理事長室のガラスを破り、棚に置かれた木箱を手に取る。箱自体は、昨年に瓜谷から見せてもらった記憶の通りだった。だが、銀の鎖で何重にも外周を巻いてあった。
 男は舌打ちした。苛立つ手で鎖を解こうとするが、うまくいかない。
 巡回の警備員が一階のガラスが割れていることに気付いて駆けつける前に、終わらさなければ。
 慌てれば慌てるほどうまくいかない。男はもう一度舌打ちすると、両手で頭の上に木箱を抱え上げ、そのまま床に叩きつけるために頭上に振り上げた。

 その瞬間、箱の中から強烈な光が放射された。
 青い閃光が僅かな隙間から男の目を射る。

 強烈な頭痛に、男はしゃがみ込んだ。

   * * * * * * * *

 そして間もなく二学期の期末試験が終わり、終業式を迎えた。即ち、ナンバーワンの連を選ぶための審査はここに全て終了したのである。

 三学期の初日、職員室前に一枚の紙が貼り出された。
  
  告

 本年度の宝玉の管理者は、以下の通り。
 リタ=グレンゴールド(一年一組) ―― 藤原徹(二年三組)
 
 以上
 
 一月八日
 参宮学園高校 事務局

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一つ賭けをしない? (金木犀17)

2008年12月22日 22:31

 徹は待ち合わせのデパートの入口で混乱していた。
 なんで、今度は姉妹揃って来るんだ。
 一人でも人目を引く容姿だけに、姉妹揃うとちょっとした事件である。道行く人が振り返る――そんな表現がぴったりくるが、今日はそれだけでなかった。
 明らかに緊張感がある。しかも普段は大人の有理の方が取り付く島も無い。
 
 有理の肩口で切り揃えたストレートの黒髪と、有為の外巻きにカールした栗色の髪が、人込みを掻き分けるように徹の前に歩いてきた。
「お、おはよう……」
 恐る恐る徹が挨拶すると姉妹揃って返事を返してきたが、お互い目を合わせていない。
 
 徹は有理に小声で尋ねた。
「なんで有為ちゃんも来てるの?」
 有理は、徹の気のせいだろうか、冷やかな口調で答えた。
「本人が来たいって。でも、その方が徹君も嬉しいんじゃないかな」
 有為が妙にはしゃいだ声で徹に話しかける。
「夏休みは楽しかったね」
 徹は状況がわかって愕然とした。
「いや、だってあれは……」
「行こうか」
 徹の言葉など聞かず有理がエスカレーターへと背を向ける。慌てて徹が後を追い、その後ろを有為が続いた。

(まいったな。これじゃあ作品どころじゃ――)

 だが楠ノ瀬麻紀の作品は、そんな徹の懸念を完全に拭い去るものであった。
 愛の夢と題された作品は、ウェディングケーキをベースに、柔らかな色彩のリボンが天使と絡み合い空へと伸びている。銀の欠片が星のように散っている。
「これ、全部お砂糖なんて信じられない……」
 楠ノ瀬の作品は金賞だった。
 作品を見ていると、砂糖細工の天使の上から差す暖かな陽光が感じられた。
 ここに佇んでいると天上の音楽が聞こえてくる――言葉に出すと照れ臭いが、徹はそんな錯覚さえ覚えた。

「何か普段とイメージ違うでしょ」
 三人の後ろに、悪戯を見つかった子供のような顔で楠ノ瀬が立っていた。有為が首を振りながら感激した声を出す。
「素敵。タイトルもロマンティック」
 有理も先ほどの冷やかな表情の欠片も無く、熱のこもった相槌を打つ。楠ノ瀬は混ぜっ返すように手を振った。
「タイトルは好きなピアノ曲からの借り物なの。まあ、でも、この作品はうまく出来たと思うけど」
「楠ノ瀬の作品が最高だよ。びっくりした」
 徹は思った通りを口に出した。

 その後、二言三言話して楠ノ瀬は受付席へ戻り、三人は階下の喫茶店でケーキを食べることにした。
 楠ノ瀬の作品を見てから、ぎこちなかった雰囲気が嘘のように溶けていた。有理と有為はお互いのちょっとした秘密を話しては、徹の目の前で屈託無く笑い合っている。徹自身、体育祭以降のどこか鬱々とした気持ちが静かに晴れていくのを感じた。
 徹は楠ノ瀬に感謝しながら、笑い合う姉妹の姿を眺めていた。

 デパートを出ると有為は、用事があるといって一人早足で去っていった。
 残された徹が有理にどうプールの言い訳をしようか迷っていると、有理が左頬に笑窪を作った。
「徹君、相変わらず思ってることが顔に出るよね」
「へ?」
「夏休みの話は聞かない。きっと有為が誘ったんでしょ」
 徹はぼさぼさの頭を掻いた。

「あの子、きっと徹君のことが気になるんだよ」
 有理は手を後ろに組んだまま、徹の返事を待たず駅への道を歩き出す。徹も慌てて後を追う。
 目の前の横断歩道がタイミングよく青になり、人々が渡り始める。
「一つ賭けをしない?」
 横断歩道の前で不意に有理が足を止めて話しかけてきた。
 私達も秘密を共有しよう――そんな口振りだった。

「賭け?」
 徹が有理の台詞を繰り返す。
「そう、どちらかがナンバーワンの連になったら、一つだけ相手の願い事を聞く」
 徹は胸の鼓動が早くなった。また表情に出てしまっているだろうか。
 横断歩道の信号が点滅する。
「どう?」
 有理が覗き込むようにして尋ねる。艶やかな黒髪が肩から流れ落ちる。
 答えなど、聞く前から判っているはずなのに。

「……いいよ、受ける」
 徹の返事に有理は満足げに頷くと、髪を翻して走っていった。
 チェック柄のスカートから綺麗な脚が覗く。有理が渡りきる間に信号が赤に変わる。
 横断歩道の向こう側から有理が、一度だけ手を振った。

期待してるよ、会場で待ってるからね (金木犀16)

2008年12月20日 23:33

 楠ノ瀬麻紀からシュガークラフトの作品を見に来ないかと誘われたのは、十一月下旬のことだった。
 楠ノ瀬はお菓子作りが得意だという噂は聞いていたが、コンテストに出品するほどの腕前とは徹には初耳だった。

 リーたんと見に来て――そう言って渡された招待券は二枚。楠ノ瀬は、期間中は会場で手伝いをしているらしい。徹はシュガークラフトという言葉を初めて聞いたが、元々はイギリスで生まれたウェディングケーキ装飾の技法らしい。
 徹は早速リタを誘いに一年の教室に行ったが、リタは欠席だった。

「急遽イギリスに戻ることになって、来週まで休むみたいです」
 すっかり顔馴染みになったリタの隣席の少女は、徹にそう告げた。徹に一言も無しとは随分唐突な帰国であるが、いずれにせよリタは日本に居ない。徹は余った一枚のチケットを楠ノ瀬に返しに戻った。

「じゃあ誰でもいいから、誘って来てよ」
 楠ノ瀬は、丁度帰るところだった。
「うーん。誰かいるかなあ」
(桐嶋は、お菓子に興味があるだろうか)

 あの日から高宮は学校に来なくなり、程なく転校したと聞かされた。鳴神菖蒲も再び留学先に戻ってしまい、あれから質問をぶつける機会は訪れなかった。幾つかの解けぬ謎を抱え、徹はすっきりとしない日々が続いていた。
 一方で、そんな徹と反比例するかのように桐嶋は目に見えて明るくなった。包帯の巻かれた徹の右手を見て、いつか俺がお前の盾になってやる――そんな時代がかった台詞も口にした。

 徹が桐嶋を誘おうかどうしようか、迷っていると、
「有理ちゃんと有為ちゃん、どっち誘うつもりなの?」
 楠ノ瀬の予想もしない角度からの攻撃であった。自分でも耳が充血したのが判った。
「徹ちゃん優柔不断だからなあ。もう一枚あげるから両方誘う?」
「楠ノ瀬、ちょっと待っ――」
「麻紀ちゃんだって」
「……麻紀ちゃん」
「期待してるよ、会場で待ってるからね」
(…………)

 徹は一晩考えて、荻原有理に声を掛けることにした。
 普段は何事も無く話しているのに、こうなると途端に緊張する。結局声を掛けたのは放課後、有理が部活に武道場に向かう途中だった。

 有理は徹の話を聞いて思案する表情になった。
 軽く口を尖らせ、形のよい眉を軽く寄せながら、ローファーを履いた右足の爪先でメトロノームのようにリズムを取っている。武道場に続く道は落ち葉が積もり、有理の爪先で乾いた音を立てた。その両手は、制服のブレザーの上から巻いた赤と緑のストライプのマフラーをいじっている。
 徹は、こんなに有理が迷うことが意外だった。結果がどうあれ、直ぐに答えが出そうな気がしていた。

 沈黙に徹が耐え切れなくなる寸前に、有理は口を開いた。
「いいよ」
 不意をつかれた徹が思わず聞き返そうとすると、
「行こう。土曜だよね」
 有理はそれだけ言って武道場に入っていった。
 艶やかな黒髪の後ろ姿を眺めながら、徹は大きく息を吐いた。

   * * * * * * * *

「有理、今日は随分時間かかってるじゃない」
 土曜日、荻原有為がリビング・ルームから不思議そうに声を掛けた。
 有理は、三十分も前から鏡台の前で服を当てては替えていた。ドライヤーも朝から独占状態である。高宮と付き合い始めた頃ですら、こんな姿は見たことがなかった。

「誰と出掛けるの?」
 有理は一瞬迷ってから答えた。
「徹……藤原徹君」
 有為は姉の口から出た名前に内心ショックを受けたが、それをおくびにも出さず聞き返す。
「あんな優柔不断な奴と?」
「徹君は優柔不断じゃないよ」
 有為は、姉の間髪入れない否定が気に入らない。
「アイツのこと、ライバルって言ってたじゃない」
 自然と有為の言葉に棘が交じる。

「別に、麻紀ちゃんの作品見に行くだけだし。向こうから誘ってきたんで」
 有理らしくない歯切れの悪い台詞だった。有為は姉の答え方もさることながら、徹が姉の有理だけを誘ったことにも、猛烈に腹が立ってきた。
 有為が突然猫なで声になる。
「ねえ、有理、あたしも楠ノ瀬先輩の作品見たいなあ」
 それを聞いた有理の頬が微かに、だが確かに引きつるのを有為は見逃さなかった。明らかに有理は動揺している。

「十五分で用意するから、ね」
 自分の部屋に急いで戻ろうとする背中に、有理の声が掛かった。
「でも、徹君がどう思うか。ほら、有為は徹君に厳しかったし」
 有為は振り返ると、やけに丁寧な口調で有理に微笑んだ。
「それなら心配には及びませんわよ。あたし達、二人で一緒に出掛ける仲だから」
 何か言いかける姉に、有為は強引に言葉を被せる。
「証拠、見る?」

 音を立てて階段を上がって部屋に戻り、机の中から写真を取り出す。高宮に握りつぶされた跡がついているが、捨てることも出来ずそのまま持っていた写真だった。
「ね。あれ、有理は聞いてなかった?」
 写真を見た有理の表情が、見る見るうちに険しくなる。
「……いいよ。一緒に行こうか」

 姉の声はこれまで聞いたことが無いほど低く、有為は少しだけ後悔した。

私は覚悟を決めたの (金木犀15)

2008年12月19日 00:20

 高宮は、土下座をするかの如く座り込んだ徹を見て一瞬呆気にとられ、直ぐに唇の両端を吊り上げた。
「どうした藤原ぁ、もう終わりかよ。泣きべそかいてるのか」
 徹の顔は幾度も打たれて赤く腫れており、冷たい雨が頬を濡らしている。高宮は勝ち誇って後方を振り返ったが、黒い傘の下、菖蒲は首を横に振っていた。
 高宮が訝しげな表情になる。

「勝負はついてないわ」
 菖蒲の淡々とした口調に、何処に目を付けてんだよ――そう言いかけて高宮自身も気付いた。
 徹の足の指は立っていた。
 足の甲を地面に付けず、空手で言うところの中足を立てた状態で腰骨を起こしている。雨で額に張り付いた前髪の間から覗く瞳には、まだ強い光があった。

 なるほど。まだ心は折れてないってわけか。
 高宮は親指で唇を軽く弾くと荒んだ笑みを浮かべた。

「それも、これで終わりだ」
 そう叫ぶと右足を自分の頭まで跳ね上げ、一気に徹の顔面に振り下ろす。元々の身長差に加えて座り込んだ徹との高低差を利用した、強烈な踵落としだった。
 
 だが、これこそ徹自身が狙っていたことであった。
 立った状態で正座した相手を突くのは難しい。背の高い高宮の場合はなおさらである。蹴りで、しかも間違いなく利き足で来るはずだった。

 予想通り迫りくる高宮の踵に対し、膝一つ分だけ前に出て打点をずらす。後ろ足の太腿を立てて中腰になることで、攻撃に体重が乗り切る前に肩で受けてやる。
 それでも殺しきれない勢いに呻き声を漏らしながらも、両腕で高宮の右足首を掴みアキレス腱を極めた。

 にちっつ。
 抱えた高宮の足首から嫌な音がした。

 高宮が吠えた。
 自由になる左足で出鱈目に徹を蹴り込むが、首を竦めたまま徹は両腕に力を込める。高宮の絶叫がさらに大きくなり、地面にその長身を投げ出す。
 濡れたコンクリートの上をのたうち回りながら、高宮は首を激しく振る。

「まだだ。まだだ」
 高宮は繰り返すが、その度に徹が力を込めるうち声が悲鳴混じりになった。
 それまで貯水槽の脇で二人の戦いを眺めていた菖蒲が、二人の元へゆっくりと歩み寄る。
 
「あなたの負けね」
 見下ろす菖蒲の台詞に、高宮は額に脂汗を浮かべながら狂ったように首を振った。いや、首だけではない。身体ごと捩る。
「あなたはもう闘えない。それとも」
 菖蒲の切れ長の瞳が細くなった。
「まさか約束が守れないなんてことは、ないわよね」

 高宮は答える代りに歯を剥くと、寝転んだまま腰の後ろのヌンチャクを取り出した。そのまま振りかぶって徹に叩き込もうとし――
 その瞬間に足首を貫いた激痛にコンクリートをタップした。
 
 徹は、黙って両手を離し立ち上がった。

   * * * * * * * *


 十月の雨の中、菖蒲と歩く。

 歓楽街のネオンが水溜りの上に歪んだ夜の虹を映す。灰色のコートと黒いパンツに身を包んだ菖蒲は小柄とはいえ年相応に大人びていて、酒臭い男達の視線が時に絡みつく。
 並んで歩きながら菖蒲は黒い傘を差し出したが、徹は黙って首を横に振った。
 驚愕と混乱そして興奮が収まるにつれ、強い怒りが湧き上がってくる。

「あやちゃん……何で、高宮をけしかけた」
 返答次第では菖蒲であっても許さない。そんな決意を言葉に込めたつもりであった。しかし、徹を見上げる菖蒲の顔には、徹の思いを決意と呼ぶことが躊躇われるほどの強い意志が浮かんでいた。
「徹、あなたが鳴神の一門になった時に私は覚悟を決めたの」

 覚悟――まさにそれが今の菖蒲に相応しい言葉だった。
 だが、そんな言葉で納得するわけにいかなかった。徹は頬を紅潮させる。
「何のことだよ。場合によっては例えあやちゃんでも――」

「きっとあなたとリタは凶獣を解き放つ」
 菖蒲の白い顔には確信と諦念とが奇妙な同居を見せていた。困惑する徹に構わず菖蒲は話し続ける。
「でも凶獣を再び封じるのは、解き放つより遥かに困難なの」
「凶獣、凶獣って何を訳の分からないことを」
 徹は思わず菖蒲の灰色のコートの両肩を掴んだ。
 菖蒲の傘が地面に落ちる。先ほどより強くなった雨が二人を濡らす。通り過ぎた男女がこれ見よがしに徹を指して囁きあった。

「だから、あなたのために憑り代を作った」
 静かだがきっぱりとした口調は、控え目な微笑を浮かべる姉の幼馴染としての言葉ではなく、鳴神流師範代のそれであった。
 菖蒲は肩に置かれた徹の指を一本ずつ剥がしていく。
 徹が微かな痛みに自分の指を見ると赤く血が滲んでいた。菖蒲の手の先に小さな刃が光った気がした。

「憑り代……」
 徹は菖蒲の言葉を繰り返したが、菖蒲はそれ以上口を開くことはなかった。
 徹は血の滲んだ指先を黙って眺めていた。

賭けろ (金木犀14)

2008年12月17日 01:16

 その週の金曜、徹はいつもの通り夕食をとり風呂に入った。電話が鳴ったのは自分の部屋で本を読んでいるときだった。
「今から来い。サシで勝負だ」
 荒んだ声は、名乗らずとも判った。
 
 高宮が指定したのは、西砂の雑居ビルの屋上だった。
 呼出しに応じない。そんな選択肢は呼んだ方も呼ばれた方も念頭に無かった。ちょっと友達の家に行ってくる。そう言い残して徹は家を出た。
 外は厚く雲が立ち込め、今にも雨が降り出しそうだった。

 一階が定食屋で二階が漫画喫茶。言われたとおりの雑居ビルは直ぐに見つかった。ビルの外に据付けられた非常階段を六階まで上がる。屋上に通じる錆びかけた扉は、ノブを回すと耳障りな音を立てた。
「待ってたぜ」
 紺色のパーカーを着た背の高い男が徹を出迎えた。高宮武だった。
 湿った風が徹の顔に吹き付けてくる。どこかから生臭い匂いが漂う。

「来なければ桐嶋でも拉致ろうかと思ったぜ」
 ま、その必要は無いと思ってたけどな。そう高宮が独り言のように呟く。
 徹は黙って片足ずつ爪先を立て入念に足首を回した。体育祭で受けた足の怪我は治っていなかったが、それを口実にして止めるつもりは毛頭なかった。

 準備運動をする徹を前に、高宮は焦る様子も無く話し続ける。
「お前が来てから何故か俺の場所が奪われていく。何かやろうとする度に、お前とぶつかる」
 茶髪の男は怒りに燃えているというよりは、心底不思議そうだった。
「それをライバルって言うんじゃないのか」
 徹は両手の甲を合わせ、手首のストレッチをしながら答えた。

 高宮は腹を抱えて哄笑した。
「俺と、甘っちょろい顔したガリ勉小僧のお前とがライバルか」
 雨が一滴また一滴と徹の頬に落ちる。徹は笑い続ける高宮を黙って見つめる。
 不意に高宮は笑うのを止めた。蚯蚓腫れのような拳ダコができた両の拳を胸の前で合わせると、ぼきりと指を鳴らした。
「賭けろ。負けた方が学園を去れ」
 徹はきっぱりと答えた。
「リタと約束した。宝玉を手に入れるまでは負けない」
「それは賭けが成立したってことだな」
 高宮の唇が嬉しそうに歪んだ。

 高宮の言葉が合図だったかのように、貯水槽の影から黒い傘をさした小柄な女の影が立ち上がった。高宮一人と思っていた徹は咄嗟に腰を落として身構え、それが誰だか判ると同時に息を呑んだ。
 胸までかかる長いストレートの黒髪と尖った顎。細い眉と切れ長の目。百五十センチあるかないかの身体を灰色の薄手のコートで包んでいる。一見すると物静かで落ち着いた印象を与えるがその実、瞳はどこか夢見るようで捉えどころがない。
 
 まさかこの場所にいるとは思いもしなかった。が、見違えようがなかった。
 女は留学していたはずの姉の幼馴染――徹の師である鳴神静瑛の孫娘、鳴神菖蒲だった。

「この女、あれじゃお互い気が済まないでしょ、なんて体育祭の後で自分から声を掛けてきやがった。お前の流派の姉弟子か何だか知らないが、イカれてるぜ」
(あやちゃんが高宮に声を掛けただと?)
 徹は高宮の後方に目を向けたが、菖蒲は徹など眼中に無いかのように高宮に答えた。

「最後まで見届けてあげるわ。安心して」
 菖蒲の澄んだ声が闇に溶けた。
 じゃあいくぜ――高宮が一気に間合いを詰めてきた。



 雨に濡れたコンクリートの上、二頭の若い獣がお互いの誇りを賭けて絡み合う。
 高宮が膝で徹を吹き飛ばす。地面に腰を付いた徹に押しかかろうとするが、徹は身をよじって立ち上がる。
 遠くで微かな雷鳴が聞こえた。
 菖蒲は黒い傘を差したまま、二人の勝負を見つめている。

「考えてみれば体育祭では、お前だけ武器を使ってたからな。こないだの玩具を使う場合は俺もこいつを使わせて貰うぜ」
 高宮が、腰の後ろのヌンチャクをこれ見よがしに見せた。徹は素手のまま黙って腰を落として構える。

「それとも、その前に片がつくか」
 言葉とともに高宮から放たれたローキックが徹の脚を狙う。右に左にかわす徹を巧みなステップで追い込んでいく。
 元来、袴を穿いた戦いを想定した鳴神流は下段蹴りへの対策が不十分である。体育祭で見せた弱点を高宮が突くのは当然と言えた。しかも、徹はまだ体育祭の時の傷が癒えていない。このままでは高宮の前に膝をつくのは時間の問題だった。

 だが徹は負けられなかった。
 例え鳴神としては半人前であっても素手であっても、宝玉を手に入れるまでは負けるわけにはいかなかった。
 何か出来るはずだ。
 徹は必死に策を思い巡らす。
 右膝に痛烈な蹴りが入り、痛みが脳髄まで駆け抜ける。動きが止まった瞬間に高宮の拳が腹に入り、胃液が喉までせり上がる。
 
 考えろ。考えろ。
 
 高宮の連打の速度が上がる。体育祭でのダメージが抜けきらない両足が震え始める。
 
 考えろ考えろ考えろ。
 考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ。

 考え抜いた結果、徹は一歩飛び下がると地面に正座した。

魅入られる素地が在り過ぎる (金木犀13)

2008年12月14日 23:00

「高宮君」
 徹との組手を終えて校舎内の便所に行こうとした高宮が振り返ると、廊下に宇田川が立っていた。体育祭だというのに薄いクリーム色のワイシャツと茶色のスーツに身を包み、授業中と全く変わらぬ姿であった。
「宇田川……先生」
 呼び止められたそのこと自体で、既に高宮は苛立っていた。

「一年の荻原さんの話を他の生徒から聞いたんだが、本当かい」
 高宮は黙っていた。隠すつもりもないが返事をするのも面倒くさかった。
「本当なら、何らかの措置を取らねばならないんだが」
 高宮が周囲の目を気にせず答えられるよう人の疎らな校舎に入るまで待っていたのだろうか。だが、高宮にとっては宇田川の気遣いも煩わしいだけだった。
 そんなことよりもう一度あの野郎をぶちのめす機会を与えてくれよ。その思いだけが高宮の心の中を占めていた。

「荻原有為に聞いてくれ。あいつが言うならそうなんだろ」
 高宮は投げやりに答えたが、宇田川はあっさり納得すると質問を変えた。有為とのことなど高宮と話す為のきっかけに過ぎないかのようだったが、平常心を失っていた高宮はその奇妙さに気付かなかった。

「ところで藤原君との組手は凄かったが、少々行き過ぎていなかったかな?」
 宇田川の口ぶりは相変わらず穏やかなままだったが、高宮の眼に殺気が宿った。握る拳に力が入り、前腕の皮膚の下で筋肉が捩れる。
「アンタには関係ないだろ、センセ」
 高宮は自分より頭半分小さい宇田川に苛立たしげに吐き捨てて無意識に首を撫でた。徹に付けられた跡が赤く蚯蚓腫れになって残っていた。

 もういいだろ、小便なんだよ――強引に話を終えると高宮は去っていった。
 
 高宮の背中が小さくなるのを待っていたかのように、宇田川の脇に小柄な女が近付いた。
 年の頃は二十歳過ぎで、荻原有理よりも長い黒髪に尖った顎。細い眉の下の切れ長の瞳に懸念の色が浮かんでいた。
「宇田川先生、如何ですか」
 質問するというより同意を求める響きがあった。女の言葉に宇田川は苦渋に満ちた表情で答える。
「……魅入られる素地が在り過ぎる。余りにも我々の予想通りに進んでいると言うべきか」
 女は黙って頷いた。

 その後ミスター参宮は、即興でスタンダップ・コメディをやって大受けした瓜谷の優勝で幕を閉じた。
 あ、あんなに格好いいのにお笑いまで出来るなんてずるいよな、とは桐嶋のコメントである。高宮は演武の後で帰ってしまい表彰台に戻らなかった。宇田川が高宮を呼び出していたとの噂もあったが、真相はわからぬまま失格となった。
 決してこのままでは終わらない――徹はそんな予感を抱いた。
 
 ミス参宮は混戦の中で三年生の女子生徒が優勝したらしいが、荻原姉妹が出ない時点で気の抜けた競技になってしまった――とは、これも桐嶋からの話である。
 徹はといえば「俺が許す」との瓜谷応援団長の許可の下、その後ずっと抜け出して東校舎の屋上でリタと二人、リタが焼いたクッキーを食べながら過ごしたのだった。

   * * * * * * * *

 体育祭の翌週、二年三組の教室に高宮の姿は無かった。代わりに職員室前の廊下に一週間の自宅謹慎の掲示があった。
 学園内での暴力
 僅か七文字の理由を読みながら、徹は有為の顔を思い返していた。結局、有為が申し出て彼らの連は「崩れ」た。

 連はどちらか一方が申出ればいつでも解消することが出来る。但し、その年は再度他の者と連を組むことは認められない。毎年何組かの連が崩れるが、決して名誉なことではなかった。
 人一倍気の強い有為のことだ。弱みの欠片も見せることなく登校しているだろうが、無念さは想像するに難くなかった。

 高宮のいない教室は平穏で、けれど何かが足りない気分だった。

全くだよ (金木犀12)

2008年12月12日 23:27

 徹は左手に鉢巻を持ち、肘から先を内転させる。右手は胸の前で身体の中心線を守りながら半身に構える。鉢巻一つで何をするというのか――あちらこちらから失笑が漏れた。
 だが、最前列に座る者たちは、高宮の変化に気付き始めた。踏みこもうとしては、出した前足を何度も元に戻す。徹の動きに警戒感を抱いていることは明らかだった。
 
 前方から後方へ、中央から両端へ。観客の間に漠然とした期待が伝染していく。空気が動から静へ、主導権が高宮から徹へと変わっていく。
 見る者全てに身動ぎすら許さぬ数秒が過ぎ、

「何のつもり――」
 焦れた高宮が口を開いたその瞬間だった。
 
 徹が予備動作もなくベタ足で迫る。本人よりも影の方が先に動いたような奇妙な、本能的な恐怖を感じさせる歩法であった。
 慌てて迎え撃つ高宮も踏み込む。
 ふはっ。
 徹は鉢巻を持った左手を前に突き出した。呼気と同時に青い布が一閃、螺旋の動きで高宮の額に迫る。
 無造作に鉢巻を払い除けた高宮が突然右腕を引く。茶色い短髪の下で面長の顔が歪む。
 右の手首は鋭利な刃物が押し付けられたかのように、見る見るうちに赤いものが滲んでいた。

「一つ」
 徹が数える声は歓声に掻き消され、高宮にだけ届いた。
 そのまま高宮の間合いから、徹は擡げた手首を下に向けて顔の前で鉢巻を揺らし始めた。
 
 ゆらり、ゆらり。
 ゆらりゆらりゆらり。
 
 猫をじゃらす仕草と動きこそ似ているが、そのような呑気な感想を抱く者は既にいない。
 高宮が異様な緊張感に息を荒くする。頬が小さく痙攣している。
 その視線が左右に動く鉢巻へと逸れたと見るや、徹は思い切り沈み込んだ。

「させるか!」
 徹を一瞬見失った高宮は反射的に右の中段回し蹴りを叩き込んだが、空を切る。
 何故中段の蹴りが空を切るのか。
 次の瞬間、高宮の背にぞくりとするものが疾った。
 徹は両肘を地面に擦りつけるほど身体を低く折り曲げていた。
 地を這う蟲の如き動きであった。そこから、一気に伸び上がってくる。
 
 怖い――
 
 ついぞ抱いたことのない感情に、高宮の睾丸が収縮する。
 高宮は反射的に絶叫しながら、蹴り足が地面に着かないうちに強引に左裏拳で徹の顔面を撃ちに来た。徹はその流れに逆らわずに、女のふくらはぎ程もある高宮の腕を抱き込む。そのまま高宮の腋の下から背後に回り込むと、血管の浮き出た首に鉢巻を巻きつける。
 
 周囲から悲鳴が上がる前の僅かな間、だが確かな意図をもって高宮の首を締め上げた。高宮の苦し紛れの後ろ蹴りを余裕を持ってかわすと、再び距離を取る。
「二つ」
 徹の声は、壇上の全員に届いた。
 一分五十秒が経過していた。

 高宮の顔は怒りに赤黒く染まり悪鬼さながらであった。
「そんな玩具じゃ人は殺せないぜ」
 明らかにイントネーションがおかしい。呂律が回っていない。
 杉山は腕時計を見る振りをして、今度こそはっきりと手を上げた。
「時間です」
 杉山が大声で終了を宣言した直後、高宮が踏み込んできた。
 
 左上段回し蹴りが、遠間から大きな弧を描く。
 憎悪に満ち溢れてはいたが確かな技術に裏打ちされた、美しさすら感じさせる一撃が迫る。
 だが徹はこの一撃も読み切っていた。
 こめかみに迫る高宮の蹴りに対して右腕で顔を覆う。両膝を深く曲げて後ろに倒れこむ。
 
 防御した右腕は鈍い音を立てたが、徹は瞬きすらしなかった。丹田に貯めた気を吐き出すと同時に左手の鉢巻を高宮目がけて投じる。徹の思いが注ぎ込まれた青布は小振りの槍に姿を変える。

 軸足に体重を残したままの高宮は、青い槍が喉元に迫るのをどうすることもできず呆然と見つめるだけだった。やられる――高宮が身を固くした瞬間、徹は布を手から離した。高宮の喉を貫かんとしていた槍が瞬時に元の布へと戻る。

 蹴りの勢いを殺した徹が後方に一回転して起き上がるのと、顔面を蒼白にした高宮の足元にふわりと鉢巻が落ちるのとが同時であった。

 どちらが勝者かは、誰の目にも明らかだった。
 徹は右腕を押さえて立ち上がると再び口を開いた。今度は、静まりかえった会場に響いた。
「これで三つだ」

 最初に拍手をしたのは恐らく壇上の男たちだったろう。
 いや、右奥で終始祈るような表情を浮かべていた黒髪の少女かもしれない。それとも観客席の片隅で一度も目を逸らそうとしなかった赤い髪の少女が先だったろうか。
 ぽつり、ぽつりと拍手が起こり――次第に拍手の輪が広がり――そして今や万雷の拍手が徹に降り注いでいた。
  
   * * * * * * * *    

 徹が拍手に応えつつ壇上から降りると、リタの姿があった。

 右脚を引きずりながら前に立つと、リタは手にした刺繍入りのハンカチを徹の目の下にそっと押し当ててきた。白いハンカチが朱に染まっていくのも構わず、黙って徹の血を拭う。空いたもう片方の手が徹の腫れた頬を撫でていく。
 その手で何を感じ取っているのだろうか。リタは珍しく何かを言いあぐねているようで、口の中で続く言葉を探していた。

 徹自身は、自分のプライドの為にリタに心配を掛けてしまったことを痛感していた。何を言われても甘んじて受けるつもりだった。
 だが逡巡するリタを見ていると、そんな心構えとは別に不安がよぎる。

「……徹」
 何を決心したのか、ようやく徹の名を呼ぶ。徹は唾を飲み込んだ。
「リタ、心配かけて御免」
 そのまま頭を下げて、赤い髪の少女が何を言い出すのか待つ。
 だが、耳に届いた言葉は完全に予想外であった。  

「徹、ハンサムになったな」
 徹は耳を疑った。思わず顔を上げてリタをまじまじと見る。
 そして目の前の少女の透き通る瞳に、安堵と喜びと可笑しみと、更にそれら全てを上回る誇らしさが浮かんでいることに気付き――
 
 徹は思い切り目を細めた。
 広がる空の青さが、澄んだ秋の風の爽やかさが、周囲の称賛の声の温かさが、一気に徹の五感を刺激する。壇上から降りた時は感じなかった歓喜がようやく背中から突き上げてくる。

「全くだよ」
 徹は、今日初めて腹の底から笑った。

お前最高だよ (金木犀11)

2008年12月09日 23:34

 杉山の声が届くより早く高宮の身体が沈み込み、徹に一直線に迫った。
 しゃあっつ。
 気合と共に、高宮の左前蹴りが徹の顎を襲う。
 容赦の無い蹴りであった。徹はそれを後ろに下がってかわす。

 そのまま高宮は左足を踏み込み、右拳を徹の顔面に打ち込む。自分と相手との圧倒的な体格差を十分理解した動きであった。
 徹は外側に回り込んでかわすが、高宮の右腕が途中で軌道を変える。右肘を外に張るようにして徹の身体に当ててくる。徹の口から無意識に舌打ちが漏れた。
 徹は左手で高宮の肘の軌道を逸らしながら飛び下がり、再び左半身に構えた。
 ここまで僅か四秒。

 観客からはまばらな拍手が起こる。直撃が無いため、見応えのある殺陣に見えるのだろう。
 だが壇上に上がっている男たちは、高宮の一撃一撃が全て本気であることを既に理解していた。
 僅かな攻防で既に徹の息は上がっていたが、高宮の顔には禍々しい笑みが張り付いたままである。
 
 高宮が唇を舐め上げた。
「手で捌くか」
 言うと同時に、またも一気に間合いを詰める。
 今度はファイター型のボクサーのように両拳を顎の前に畳んだまま、突っ込んでくる。徹が再び回り込もうとした瞬間、今度は右膝に高宮の左踵が横から入った。
 
「やっぱりローは苦手か」
 言うや否や、豪雨のようなローキックが徹の足を襲った。斜め上方から執拗に徹の膝を狙ってくる。徹は最初の関節蹴りで被弾した迂闊さに歯噛みしながら、必死に体軸をずらして直撃を避けた。
 が、徐々に高宮の蹴りに削られていく。

 がつん、がつん。
 がつんがつんがつんがつんがつん。

 高宮の蹴りの速度が上がっていく。
 徹は変則的な足捌きで後退するが、高宮のフットワークが徹に距離を取ることを許さない。全国大会準優勝の実力は伊達ではなかった。
 耐え切れず視線を下に落とした瞬間、肘から先だけのモーションで右掌底が徹の顎に迫った。

(避けられない)
 瞬時に判断すると徹は頭を下げて自分から突っ込み、打点をずらす。前頭部に掌底が当たり嫌な音を立てるが、構わず高宮の懐に潜り込む。
 そのまま目の前にある鳩尾に肘を突き立てようとしたが、刹那、強烈な殺気に飛び退った。
 一拍遅れて高宮の右膝が、徹が飛びのいた空間を通り過ぎていく。
 ここまでで三十秒であった。

 徐々に流れが高宮に傾く。
 脚に攻撃を集中された徹の動きが少しずつ鈍り、高宮のショートレンジの突きが身体を捉え始める。両腕で右に左に捌くが反撃の機会を見出せない。

 焦りが隙を生み、その度に高宮の拳が徹を捉える。ようやく尋常ならざる事態を把握し始めた会場から、悲鳴が混じり始めた。危険な勝負になっていることは誤魔化しようがなくなっていた。
 バランスを崩した徹の右腹に高宮の左拳がめり込む。呻き声が漏れた徹の顔を右拳がかすめ、左目の下がざっくりと切れる。
 ステージの袖で腕組みをしていた瓜谷が立ち上がった。その動きに杉山が頷いて、マイクを持ち直した瞬間だった。

「藤原ぁスゲエよ、お前最高だよ。もっと盛り上げようぜ」
 高宮は声を張り上げ、徹に抱きついて自分から攻撃の手を休めた。
 手のひらで徹の背中を叩くと、同意を求めるように両腕を広げて観客に向き直る。
 会場の悲鳴が歓声へと戻り、杉山は上げかけた手を仕方なく下ろす。

 拍手に背を押されて互いに間合いを取るための離れ際、高宮が徹にだけ聞こえるように囁いた。
「で、もう有為とはやったのかよ、え?」
 徹は、唇を腫らした少女の顔を思い出した。

(……お願いだから)
 栗色の髪の少女の言葉が耳に蘇る。
 身体の中で、何かがごりっと盛り上がる音を聞いた気がした。

(いいぜ高宮、盛り上げようじゃないか)
 徹はポケットに突っ込んでいた鉢巻を取り出した。
 一分十秒が過ぎていた。

いいじゃないか、やろう (金木犀10)

2008年12月08日 01:22

 徹は最終審査で鳴神流を舞うことにした。
 袴姿ならまだしも七分丈のジャージパンツで様になるのか、正直自信はない。だが、他に取り柄もないのも事実である。小道具として鉢巻を使うことに決め、校庭に置いた自分のカバンに取りに戻ると姉の望が立っていた。

「あんた、あんなのに出るなら先に言いなさいよ」
 藤原望はつばの広い褐色の帽子に黄色のサングラスをかけ、一目でブランドが判る革のバッグを肩から下げていた。すぐそばにいた桐嶋和人が目を見張った。
「ふ、藤原にはこんな美人の姉ちゃんがいたのかよ」

 サングラス越しでも一目で姉弟とわかる顔に、満面の笑みが広がる。
「徹がいつもお世話になってます」
(桐嶋、なにお前ごますってんだよ)
(き、綺麗な姉ちゃんじゃないか)
(お前、サングラスに騙されてるよ)
 
 望は徹の頭を軽く叩いた。
「あんた頑張んなさいよ。皆見てんだからね」
「姉貴、友達っていうのは?」
 問いかける徹に、望は意味深に頷いた。
「来てるわよ。あたしに恥かかせないでね。ほら、早く戻んなさい」
(……男かよ、勝手なやつ)
 
 徹はわざとらしく溜息をつくと望に背を向けて歩きだした。途中で一度振り向くと、望のキラースマイルに魂を抜かれたまま相槌を打つ桐嶋の姿が目に入り、今度は心底溜息をついた。

   * * * * * * * *

 十五分後、参加者が再集合した。
 ステージには、先程までの興奮の余韻が残っている。観客の数もさっきより明らかに増している。
「それでは四位からです。高宮先輩、何をしますか?」
 杉山の質問に、高宮は口の端を酷薄そうに吊り上げた。
「藤原と約束組手をやることになった。なあ藤原、そうだよな」
 
 高宮の言葉に徹は武者震いした。高宮の言葉が意味するところは明らかだった。
「高宮先輩、一人ずつが原則ですので……」
 杉山が冷静を装いながら、横目で徹の意図を確認しようと視線を送る。本来なら司会として受けるべき提案だろう。だが、高宮の眼に宿る陰鬱な光や口調に混じる奇妙な粘りに強い違和感を感じているのが、傍目にも判った。

 二人を一緒にしてはいけない。そう確信した杉山が再度口を開きかけたところで、
「いいじゃないか、やろう」
 低く、だがはっきりとした口調で徹が返事をした。

 杉山は尚も何かを言いかけたが、至る所から響く歓声を耳にして困った顔で右奥を見る。視線の先には荻原有理がいた。有理は首を激しく横に振っていたが、徹は開いた右手を前に突き出し明確な拒否を示した。視界の端には眉を吊り上げたまま不敵に笑みを浮かべる瓜谷の姿が映る。
 杉山は固い表情で眼鏡を押し上げた。
「わかりました。それでは時間は二人分で計二分。危険な行為があった場合は、直ぐに止めます」

 既に高宮は、ステージの左でステップを踏んでいる。徹は右側に距離を取ると、鉢巻を後ろのポケットに突っ込んで足首を回し始めた。足の裏から息を吸う感覚で頭まで気を巡らすと、長く息を吐く。
 背筋を伸ばしたまま、徹は腰を軽く落とした。

「では、お願いします!」
 車椅子の少年の高い声が響いた。

その人たちは何でしょう? (金木犀9)

2008年12月06日 01:45

「えー、選手の皆さんお疲れ様でした。七位と八位の方は残念ですがここで失格となります。では次の競技ですが――」
 休む間も無く杉山の説明は続く。徹、高宮、そして瓜谷はともに一次審査を通過していた。
「次は、皆さんの人気と機転を試させてもらいます」
 歓声が一際高くなる。その大半は瓜谷に向けられたものだ。

「まずは各自、バケツをお渡しします」
 そう言って壇上に運び込まれたのは、小さな子供であれば隠れられそうな業務用の水色のポリバケツだった。六つ並んだユーモラスな姿は、後ろに立つ緊張した男たちと好対照をなしている。 

「皆さんには風船を持って来てもらいましたが」
 杉山はそこで意図的に溜めを作った。

「合図があったら自分の風船と同じ色のものを会場から借りて、バケツに出来るだけ集めて来てください」
 杉山の説明に思わず徹は、手にした自分の赤い風船を見つめた。待ってくれとばかりに異議を挟んだ三年生が持つ風船は紫色で、会場から大爆笑が起こった。

「食べ物でも持ち物でも結構です。会場の皆さんは、是非出場者に協力してあげて下さい」
 杉山は、車椅子に乗ったままで出場者の方に向き直った。
「時間は三分。原則、量が多いほうが勝ちですが、集めたアイテムによっては会場の拍手でボーナス・ポイントを加えます」
 杉山は再び観客を見て、手にしたストップウオッチを振り下ろした。
「スタートです!」

 徹はどこを目指すべきか判らぬまま、取り敢えず走り始めた。
(赤? 赤だって?)
 必死に周囲を見渡していると、小柄な体を精一杯伸ばすように両手を振る桐嶋和人が目に入った。その手には赤いスポーツタオルと、何故かリボンが握られている。

 恩に着る。そう言って受け取り、再び駆け出そうとした徹を桐嶋が止めた。
「動かないでいい、こ、ここでじっとしてろ」
 桐嶋の指す方向を見ると、クラスメイト達が赤い物を手に手に携えてこちらに走ってくるところだった。バケツの中にTシャツや鉢巻、午前中の球技で使ったボールなどが次々と投げ入れられていく。
「サ、サンキュ……」
 思いがけない応援に、徹の声が震えた。

 三分は長いようで短い。クラスメイト達が差し出すものをバケツに集めるうちに、あっという間に杉山の声が響いた。
「あと三十秒! 出場者は時間までに壇上に戻って下さい」
 杉山がカウントを始める。
「十九、十八……」

 バケツを担いで徹が壇上に戻ろうとした瞬間、ひょっこり楠ノ瀬麻紀が顔を出した。あたしの貸しは高いよ――そんな台詞を嬉しそうに言いながら徹の背中を押す。
「じゃいこうか、徹ちゃん」
「へ?」
 バケツを担ぎあげたまま徹が首を向けるが、楠ノ瀬の両手は空いたままで何も持ってはいない。

「ほら急ぐ! リーたんも」
 リタも何故か手ぶらで横に立っている。と思う暇もなく楠ノ瀬はリタの手を引いて走り出す。徹は訳も分からず一緒に壇上に登ると、丁度時間であった。壇上では杉山が楠ノ瀬とリタを見て好奇心に目を輝かせていた。眼鏡の奥で思考が高速回転し始めたことが傍からも見てとれる。
 ほんの数秒もしないうちに杉山は小さく頷いて眼鏡を押し上げると、マイクを手にした。

「さぁて、これから採点ですが、一番は皆さん明らかですね」
 大歓声に徹は横を見て、唖然とした。

 白い風船を持った瓜谷悠の目の前には、満杯のポリバケツが二個置かれていた。当の本人は軽く目を瞑って片手を上げ、余裕の表情で歓声に応えている。
「瓜谷先輩、ダントツの一位です」
 拍手が鳴り響く。ファンクラブでもあるのだろうか、観客席の一角から女生徒たちのひと際高い嬌声が上がった。

「さて、他の皆さんのバケツは一つですが」
 杉山は壇上を見渡し、徹の前に車椅子でゆっくりと近づいて来る。
「藤原先輩、その人たちは何でしょう?」
 振り返ると楠ノ瀬とリタが、バケツに寄り添って並んでいた。楠ノ瀬はリタを押し出すようにその両肩に手を乗せて、悪戯猫を連想させる表情を浮かべている。一方のリタは、徹を守護するかの如く唇を結んだまま凛と立っている。

 徹は困惑したまま、杉山とリタたちとの間で視線を往復させていたが、
「藤原先輩は何色の風船でしたか?」
 当の杉山は得意の推理力で、既に仮説を立てているようだった。映画に登場する弁護士さながらの口ぶりで、更に徹に問いかける。

「色って、赤――」
 徹はそこまで言いかけて思わずリタを見る。自分の口から小さく音が漏れた。

「なるほど。それでリタがいるんですね」
 杉山が自分の思った通りだとばかりに大袈裟に相槌を打つ。事前に打ち合わせていたかのように、それを合図にリタは髪の白いリボンを外した。そのまま軽く頭を振ると、結っていた豊かな赤い髪が胸まで流れ落ちて広がっていく。

「リ―たん、凄ぉい……」
 連れてきた楠ノ瀬も後ろで目を丸くした。リタ本人は気取ったつもりなど毛頭ないのだろうが、映画のワン・シーンさながらであった。思わず観客席から溜め息が漏れ、直後、拍手がさざ波の様に広がっていく。瓜谷が口笛を吹いた。

 杉山は満足げに頷くと楠ノ瀬にマイクを差し出した。
「リタを引っ張り出すとは、さすが楠ノ瀬先輩ですね」
 感心しつつも想定内といった口振りであった、だが、楠ノ瀬は、
「違う違うって。あたしもリタちゃんと同じ。徹ちゃんに集められちゃった物の一つだよ」
 そう言って意味ありげに口を半月の形に開ける。傍らのリタが不審げに眉を顰めた。

 徹は、楠ノ瀬が一体何を言い出したのか嫌な予感を抱いたが、当の楠ノ瀬は二人の反応は無視したまま、杉山にすぼめた口を近づけた。
(あ……)

 肉感的な唇に引かれたルージュは、確かに紅色だった。

「杉山君、もっとよく見る?」
 楠ノ瀬の囁きが徹の耳にも届く。リタは不自然なほどの仏頂面になっていた。
 杉山は思い切り首を横に振ると、顔を強張らせたまま眼鏡を中指でずりあげて観客に宣言した。
「く、楠ノ瀬先輩も、藤原先輩のポイントになることを認定しました」
 再び観客席が沸いたが、今度はその殆どが男子生徒からであった。
「藤原先輩、二次審査は堂々の二位通過です」
 その言葉にへなへなと腰を下ろす徹の横で、高宮が自分のバケツを蹴り上げる大きな音が聞こえた。

 二次審査で二人失格となり、残ったのは四人。ここまでの順位で上から瓜谷悠、藤原徹、昭島洋、高宮武となった。
「最終審査では、ミスター参宮としての相応しさを自由に見せてもらいます。時間は一人一分で、何をやっても構いません。十五分後に、四位の高宮先輩からパフォーマンスをしてもらいますので、それまで休憩とします」
 杉山が説明を終えると、実行委員会の男女が舞台の模様替えを始めた。

それでは位置について (金木犀8)

2008年12月04日 01:01

 午後のプログラムは、連対抗の二人三脚からだった。
 待ち合わせ場所に行くと、先に来ていたリタが徹の顔を見て手を挙げた。朝方は下ろしていた豊かな髪を結ってはいたが、聡明な額も誇り高きターコイズブルーの瞳もいつも通りだった。朝からずれたままだったレンズの焦点がようやく定まった――そんな安堵感が、徹の心に広がった。

「心配かけてごめん。あと、お弁当凄くおいしかった」
 リタは無愛想に頷くだけだったが、徹にはその反応で十分だった。
 頑張ろう、心の中でそう誓って互いの足を紐で縛る。肩を組み、声を揃えて足を振り出すとそのままスタートラインまで歩いていく。
「位置について、用意」
 スターターの銃声と共に徹たちは一心不乱に走った。

 部対抗リレーが終わると周囲の歓声が一層高まる。いよいよ午後のメインイベントのミスター参宮、ミス参宮であった。
 ミスター参宮は、瓜谷悠、高宮武と徹を含む八名が出場者としてコールされた。手回しよく壇上には美術部が作った垂れ幕まで掲げられている。歓声の中で出場者が壇上に一列に並ぶ頃から、お祭り騒ぎとは異なる一種独特の緊張感が漂い始めた。
 中でも一際背の高い高宮の目に宿る凶暴な光は、観客にも明らかだった。それを平然と受け流している瓜谷は別格として、他の出場者は程度の差こそあれ神経質になっていた。

「それではルールの説明をします」
 緊張気味の杉山想平の声が、マイク越しに響く。
「まずは第一次審査。これはミスター参宮としての最低条件である運動能力を見せてもらいます」
 出場者は皆、予想通りといった反応で車椅子の少年の声に耳を澄ます。

「選手の皆さんはここで腹筋運動を百回した後、西校舎の屋上にある風船を取って戻って来て下さい。係に風船を渡したら、その場で腕立て五十回。終わった人から順位をつけます」
 徹は軽く足首を回す。
 楽ではない。が、出来なくはない。

「それでは位置について」
 腹筋運動のために膝を立てて仰向けになる徹の足首を、係が押さえる。高宮の足を押さえる一年生は明らかに震えていて、徹は同情した。

「用意、始め!」

 八人の男達は猛然と腹筋運動を始めた。
 当初はほぼ横一線だった動きも、三十回を過ぎる頃にばらつき始める。狂ったように上下を繰り返す高宮がトップで、次にサッカー部の昭島が続く。徹は四位で五十回を折り返した。
 徹も腹筋は鍛えている。日本舞踊の基本は体幹である。休みなしにやり切る自信はあるが高宮の異常なスピードには追いつけない。

 七十回を過ぎたあたりで高宮が微妙に失速し、昭島が並ぶ。十回もしないうちに昭島が抜け出した。百回を最初に終えた昭島が猟犬のように西校舎に駆け出し、続いて高宮、その後五秒ほどして徹が後を追った。

 西校舎に辿りつくと徹は階段を一段抜かしで駆け上がり、係の女生徒のところに駆け寄った。
「何色がいいですか」
 女生徒の言葉など聞く耳を持たず、赤い風船を奪うように抱えて再び走り出す。
 既に呼吸は上がって足はもつれるが、休むわけにいかない。徹は誰も抜けず誰からも抜かされず、三位で壇上に戻って来た。係に風船を渡すと休む間もなく腕立て伏せを始める。
 三十回で大きく深呼吸をする。三十九回で一度膝を付き、四十三回でもう一度膝を付いた。

 顔を苦痛に歪めたその時、歓声が上がった。昭島がゴールしていた。徹は歯を食いしばると腕立てを続けた。両腕が自分の意思と関係なく震える。
 五十回――徹は倒れこんで係を見上げる。

 三位の旗が上がっていた。

こんなことを話すつもりじゃなかったしな (金木犀7)

2008年12月01日 23:44

 午前の部は何をやっていただろうか。
 障害物競走に出たはずだが、自分が何位だったか、走ったかさえ思い出せない。気付くと高宮のことを考えている。
 荻原有為の唇の血はすぐ止まったが、左頬は見るも痛々しく腫れた。本人は階段で転んだとしか周囲に説明しなかったが、結局リレーも午後のミス参宮も棄権することになった。

 昼休みはリタと一緒に食べる約束をしていたが、徹は気分が悪いからと断った。東校舎の屋上に上り、一人で弁当を広げてみたが食欲が湧かない。徹は仰向けになって空を眺めていた。
 どれくらいそうしていただろうか。徹は、男が鼻歌交じりに屋上のドアを開ける音で起き上がった。

「青い空ア、白い雲オっと。藤原、ここは俺が入学したときからのテリトリーだぜ。気い使えよ」
 飄々とした調子で瓜谷悠が入ってきた。ピッチャーマウンドに向かうかのように、大きく右腕を回しながら近づいてくる。
「何だ、飯食ってないのか。それじゃあ午後のミスター参宮は勝てねえな」
 徹の返事も待たず腰を下ろす。

「俺の弁当でも見るか」
 瓜谷は一人で喋り続けた。紺色のジャージの上下をだらしなく着ているだけだが、この男が着るとそれなりのファッションに見えるから不思議である。
 出された弁当を見て、徹は目を瞠った。ご飯の上には三色そぼろが綺麗に敷き詰められ、脇にはブロッコリーやプチトマト、ソーセージに玉子焼きが色鮮やかに並んでいる。

「……瓜谷さんのお母さん、料理上手なんですね」
 思わず感想を漏らす。
「まあ、愛情は入ってるかな。遠慮せずにつまめよ」
 臆面無く瓜谷が答える。瓜谷の弁当を見ているうちに徹の腹が鳴った。
 二人で胡坐をかいて、弁当を食べ始めた。

 空は青く澄み切って高い。校庭からは風に乗って音楽が流れてくる。徹は弁当を口に入れているうちに、自分の気持ちが徐々に落ち着いてくるのが判った。

「藤原ぁ、お前いい奴だよな」
 自分の弁当に入ったソーセージを徹に押付けながら瓜谷が話しかける。
「お前、桐嶋とダチだろ。あいつ、お前が参宮に来て本当に喜んでるぞ」
 何のことか分からず徹は、瓜谷の顔を見る。
「俺が一年の頃も、桐嶋とそっくりな奴が三年生にいたよ。てんで冴えなくて、参宮に入ったのに連一つ組めなくてクラスの不良からは目え付けられて。今思うと、顔まで似てたな」
 瓜谷は、ぐびりとペットボトルの烏龍茶を飲むと、ジャージの袖で口を拭った。

「俺が思うに、うちの学校の悪いところは消極的な奴に冷たい点だな。積極的な奴、例えば俺だとか荻原だとか杉山、こういう奴らには滅茶苦茶過ごしやすい。自由と未来が三六〇度広がってるって感じだ」
 けどな――
 瓜谷は更に何かを言いかけ、そして結局その言葉を飲み込んだ。喰えとばかりに卵焼きを再び徹に押付けると、自分は徹の横で仰向けに寝転がる。

 瓜谷は、いつにも増して大人びて見えた。学園という閉ざされた社会の中で、この男が常に外を意識し続けてきたことは明らかだった。自分より視野が、いや器そのものが大きい。改めて徹は実感していた。
 この会話がミスター参宮、ひいてはナンバーワンの連の獲得に向けてプレッシャーをかける目的だとすれば、十分効果があったと言えるだろう。だが瓜谷にとって自分はライバルですらないことを、徹自身よく判っていた。
 
 ま、いいか、こんなことを話すつもりじゃなかったしな。瓜谷はそう呟くと、
「で、お前、今日は高宮をぶっ壊すつもりか?」
 寝転がったまま、午後の天気でも尋ねる調子で切り出した。徹が驚いた顔をすると、心外だとばかりに端正な目鼻立ちを左右非対称に崩して見せた。

「おいおい。荻原の妹は頬腫らしてるし、高宮は目ぇ血走って周りは寄り付かない。おまけに実行委員長殿も進行をトチリまくるとくりゃ、推理マニアの杉山じゃなくても、分からない方がどうかしてるぜ」
 徹自身、周囲の状況は全く目に入っていなかったがその通りだと思う。

「さっき、ミスター参宮の出場者発表があったよ。まぁ、お前以外は誰が優勝してもおかしくないんだが――」
 徹は胡坐を組んだまま、次の言葉を待つ。
「今回は色々考えると、お前が高宮に勝たないと駄目らしい」
 瓜谷は、難問を押し付けられた生徒会長の顔になった。しばらく思案していたが、ふいに起き上がると髪の毛をぐしゃりと掻き上げて徹に歯を見せた。

「弁当うまかったろ」
 徹は急な展開についていけない。
「リタちゃんのだ」
「へ?」
「楠ノ瀬に習って一生懸命作ったらしいぜ。で、楠ノ瀬がお前のとこに持ってけだと。全く俺はパシリか?」
 絶句する徹を残して瓜谷は立ち上がった。
「じゃあな」


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