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結局、お前か (金木犀6)

2008年11月29日 23:59

 徹は、荻原有為の悲鳴を聞いて駆け出した。
 またか、などと思う間もない。武道場の裏手には、口から血を流した有為と立ち尽くす高宮武の姿があった。倒れている有為の元に駆け寄る。

「平気だって」
 一瞬、有為は大きな瞳に驚きの色を浮かべたが、直ぐに顔を顰めて気だるげに答えると立ち上がった。徹は有為を自分の後ろへと押しやると、高宮の方を向いて半身に構えた。二拍子のリズムを心の中で刻みながら背筋を伸ばす。
 
 一方の高宮は茫然自失していたが、徹を認識した瞬間にそれが憤怒に取って代わるのがはっきり見て取れた。
「……またお前か。結局、お前か」
 高宮が顔をどす黒く染め、うわ言のように繰り返す。
 そのまま高宮が左正拳を前に出すと、その場の重力がぐっと増した。殺気――そう表現するしかない高宮の態度だったが、徹は心を決めていた。ともに擦り足のまま少しずつ間合いを詰める。徹が更に腰を落とした、その瞬間だった。

「やめてよ!」
 有為が肩にしがみ付いてきた。
 徹は構わず間合いを詰めようとしたが、有為はむしゃぶりつくように後ろから抱きつく。徹の肩越しに栗色の髪から甘い匂いが広がる。
 有為の左目の下は既に赤く腫れ、唇からは血が流れている。息が感じられるほどの距離に有為の黒い瞳があった。
 自分の姿を知ってなお隠そうともせず必死に止める有為を前にして、徹は喉から太い棒を差し込まれたかのように息が出来なくなった。

「……お願いだから」
 声は小さく掠れていたが、もはや徹はそれに抗う術を知らなかった。
 徹が構えを解いて前に向くと、高宮も拳を下ろすところだった。

「続きは後でだ」
 高宮は地面に唾を吐くと背中を向けた。
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だから……れないんだ (金木犀5)

2008年11月28日 01:19

 制服のシャツが長袖に変わって間もなく、体育祭の日がきた。徹は結局何をやらされるのか分からないまま、ミスター参宮に参加することになった。姉の望も今日は見に来ることになっていた。

 校庭にはトラックに白線が引かれ、本部テントや来賓席も用意されている。徹は自分の椅子を指定された一角に運ぶと、軽く準備運動を始めた。本部テントの前では杉山想平がテキパキと指示を出している。
 少し早かったか――そう思いながらあたりを見渡すと、高宮武と荻原有為が武道場の方に向かうのが見えた。

 一見すると連の二人が仲良く歩いているだけであるが、先日の記憶が蘇ってどこか胸騒ぎがした。裏手の鬱蒼とした林が目に入る。
 徹は自分でもわからないまま、立ち上がって二人の後を追った。

   * * * * * * * *

「ほら、困ってただろう。よかったな」
 荻原有為の元に、定期入れを拾ったと高宮から電話があったのは昨夜のことだった。一番拾われたくない男からの電話に、有為は目の前が暗くなる。
 だが、直ぐに思い直す。一番拾われたくない男はあいつだ。

 有為が定期入れを無くしたのは、先週のことだった。定期券を見れば、誰のものかは分かる。それを昨日言ってきたということは当然写真を見たということであり、高宮は有為の反応を一週間見ていた、ということに他ならない。

「返したいから、明日少し早く学校に来てくれ」
 電話の高宮の声はどこか嬉しそうだった。有為は抑揚の無い声で返事をすると、電話を切る。一瞬誰かに相談しようかと迷ったが、意味ない――そう呟くと有為は結局そのまま翌朝を迎えた。

 校庭の木々はまだ色づき始めていないものの、見上げた青空の高さが既に季節が変わったことを感じさせる。清々しい朝の空気が自分たちの周りだけ澱んでいくように感じながら、有為は高宮の後についていく。

 武道場の裏で、高宮は赤い定期入れを有為に返してきた。受け取った有為がごく自然な仕草で中を開くと、写真は抜かれていた。
 高宮の面長の顔には先程から不快な笑みが貼り付いたままである。

「どうした有為。金でも盗られてたか」
 椚の木の下で有為は眉一つ動かさず黙っていた。
「それとも、もっと大事なものか。例えばこれとか」
 高宮は、一枚の写真を自分の後ろから出した。蚯蚓腫れのような拳ダコのある太い腕がのそりと出てくる様が、どこか禍々しい。

「どうした有為。大事なものじゃないのか?」
 高宮の言葉に揶揄する響きが混じる。
「だから……れないんだ」
 有為は高宮を見つめたまま小さく口だけ動かした。肩までかかる外巻きの栗色の髪が、僅かに揺れる。高宮が眉根を寄せた。

「あ?」
「だから高宮先輩は……なれないんだ」
 有為はぼそりと呟く。
「聞こえねえんだよ」
 高宮が不愉快そうに睨みつける。その瞬間、有為は感情を爆発させた。

「そんなだから高宮先輩は、ナンバーワンになれないんだ!」
 有為が全身から声を絞り出した。肩を思い切り怒らせ、両の拳を握り締める。
「そんなだから、みんながついてこないんだ。そんなだから有理ともうまくいかないんだ!」
「てっめえ!」
 高宮は写真を握りつぶすと、血走った目で有為の肩を左手で掴んだ。痣が出来そうな痛みに有為は顔を顰めながら、叫び続ける。
「そんなだから、そんなだから、藤原徹にだって勝てないん――」

 有為は最後まで言い切ることが出来なかった。
 高宮の右拳が有為の頬を打っていた。
 鈍い音とともに悲鳴を上げて有為が倒れる。叩いた高宮自身が息を呑む。
 軽く頬を叩くつもりだった――写真を持っていたため、つい感情に任せて握り締めてしまった――高宮の顔には後悔の表情がありありと浮かんでいた。

 有為は声を上げず、上半身を起こしたまま高宮をじっと睨みつけている。唇の端から血が流れてきたが、それを拭おうとしない。
「ゆ、有為」
 有為は身動ぎもしない。
「す、すま……」

 その時、男が乱入してきた。
 藤原徹だった。

そうかあ、安心したぜ (金木犀4)

2008年11月25日 23:23

 体育祭直前の二日間は、放課後に各学年の同じ組同士が集まって合同練習を行う。徹たちが所属するオール三組の練習には、当然のことながら一年三組の荻原有為も参加していた。

「有為ちゃん、足速いんだ」
 横でトレーニングスーツ姿の楠ノ瀬麻紀が、感心したように話しかける。荻原有為はリレーの選手に選ばれていた。確かに有為は一年にしては背も高く、如何にも足が速そうである。長い手足に均整の取れたスタイル。頭も小さいし、身体だって――
「徹ちゃん、見過ぎ」
「舐め回すように見るなんて、最っ低!」
 もちろん、年上の徹を最低呼ばわりした方が有為である。

「藤原先輩は、リレー出ないんですか」
 有為の暴言をフォローするかのように、有為のクラスメイトが話題を変える。
「それ、本人に聞いちゃまずいでしょ」
 何故か有為が嬉しそうに答える。横で相槌を打つ楠ノ瀬も、どうかと思う。

 徹は応援団に駆り出されていた。
 制服がブレザーなのに学ランを着るあたり、徹にはかなり疑問なのだが、代々使われて汗と涙が染込んだとかいう学生服一式を渡された。三組は代々、青がチームカラーらしく、色褪せた青色の鉢巻もセットである。ちなみにリタのいる一組のチームカラーは白、杉山想平のいる二組は赤であった。

「応援団って、どこでも一緒だよな。下駄履いてでかい声だして」
 徹が感想を漏らすと、
「藤原団員、今すぐグラウンド一周駆け足!」
 いきなりの後ろからの声に、徹は思わず肩を竦める。
(そうだ、この人がまた一緒だった)
 三年三組の瓜谷悠が扇子を持って、いい獲物でも見つけたように歯を見せていた。

「藤原、応援団に不満でもあるのか」
 瓜谷の迫力ある笑顔に徹は後退りする。何とか誤魔化そうとぼさぼさの髪を弄りながら、
「チアガールなんかどうでしょう、なんて」
 咄嗟に思いついたことを、そのまま口に出してしまった。

「まずうい、徹ちゃん下心丸出し」
 膝の屈伸運動をしながら、楠ノ瀬がわざとらしく口に手を当てる。
「いかにも藤原先輩の考えそうなことですね」
 有為も冷ややかに口にする。
 普段はあんた呼ばわりのくせに、こんなときだけ先輩付けだ。徹はもはや反論するのを止めて、視線をあらぬ方向へと泳がせた。

「まあ、今年はオール三組の圧勝だろうな」
 瓜谷が、一緒に歩いてきた高宮武に話しかけた。人一倍背が高く胸板の厚い高宮と、同じく引き締まって均整が取れた体躯の瓜谷とが並ぶと、悔しいが別格の感が漂っている。徹は僅かな引け目を感じ、その引け目にまた自己嫌悪を感じた。

「高宮、お前ミスター参宮に出るんだって」
 瓜谷の台詞はいかにも今思いついたかのようだったが、実際は十分計算されたタイミングだった。以前から漠然と感じていたが、瓜谷の場の読み方には絶妙なものがある。

「ええ。全校生徒の前でぶっ潰したい奴が、一人いるんで」
 徹は確信する。瓜谷は、ここに自分がいるからこそ高宮に質問したのだ。
「もしそうなら、俺と当たる前に済ませておくんだな」
 瓜谷はそう言って長めの髪をかき上げると、徹を見た。

「俺も、宝玉を手に入れるまでは負けません」
 徹はぐっと腹に力を込める。徹の言葉に有為が口を開いた。
「高宮先輩は強いよ」
 それを聞いて急に高宮の目が細くなった。短く刈り込まれた茶髪の下、口元こそ笑顔だが目は笑っていない。

「で、お前は誰を応援するつもりなんだ?」
 毒蛇の舌先がちらつく嫌悪感を覚え、徹の腕が粟立つ。
 何故こいつは、こんな質問をするんだ。
「高宮先輩に決まっているじゃない」
 有為の言葉に淀みはなかったが早口過ぎて、違和感が残った。

「そうかあ、安心したぜ」
 高宮は妙に上機嫌で徹の方に振り向く。
「藤原ぁ。お前んとこは、家族見に来るのか」
「いや、親父もお袋もこない。もしかしたら姉貴だけ来るかも」
「ふーん、姉貴ね。そりゃあ気の毒になぁ」

 どこか馬鹿にした口調のまま、高宮がべろんと唇をなめた。徹の心の中で、黒い泡が一つ二つ、ごぽりと音を立てて浮かび上がる。
 無意識に徹が軽く両脚を開いた瞬間、自分の肩を誰かが叩いた。
「ふ、藤原。ちょっとハードルを運ぶのを手伝ってくれないか」
 
 桐嶋和人が立っていた。徹の返事を待たず無理やり体育倉庫のほうに引っ張っていく。振り返ろうとする徹の右手を、桐嶋が強く引いた。
「ちょ、挑発なんか乗っちゃ駄目だ」
 桐嶋が顎をしゃくると、遠くで有理が視線を逸らすところだった。

どうして、その女に気付いたと思う (金木犀3)

2008年11月23日 23:55

 放課後の化学教室で高宮武は苛立っていた。

 ナンバーワンの連を目指す計画はうまく進んでいない。
 荻原有為との組み合わせは、完璧に近いと思っていたが、杉山想平と荻原有理の組み合わせはそれ以上だった。藤原徹とリタ=グレンゴールドの組み合わせも、無視できなかった。

 一芸に秀でた生徒の多い参宮では、課外活動で差がつきにくいのが難点である。空手の全国大会準優勝という高宮の経歴も、参宮では絶対的なポイントとはなり難い。どれだけ目立つかという点では、過去二年間、瓜谷悠が他を圧倒していた。

 高宮自身、二学期は相当巻きなおす必要があると感じているのに、肝心の有為が今一つなのも不満だった。最近の有為は、話をしていても上の空なことが多かった。今日も帰りがけに有為を呼び止めて、空いていた化学教室の丸椅子に座らせたまではよかったが、高宮の顔を見ようとせず栗色の髪の毛先を弄っている。

「だから、来週の体育祭が勝負なんだよ!」
 勢い、高宮の声も荒くなる。隅で打ち合わせをしていた眼鏡をかけた三年生たちが、怯えるようにして化学教室から出て行った。

「有為、お前リレーで一年のアンカーなんだろ。頼むぜ」
 高宮の声に対しても、有為は今一つ反応が悪い。大きな瞳は、さっきから目の前の作業机と前方の黒板を不規則に往復するだけである。

「え……うん。そう」
 気乗りのない声に、高宮は舌打ちする。結局その日の会話も、高宮が一人騒ぎ立てて終わった。一緒に帰ろうと有為を誘ったが、寄る所があるといって先に立ってしまった。

 確かに有為は美少女だが、可愛げがない。有為を通じて姉の有理との仲が深まることも密かに期待していたが、有為の方は姉を強くライバル視しているようで、当ては外れた。
 高宮は立ち上がると、足元の丸椅子を思い切り蹴った。大きな音を立てて、拉げた椅子が無人の教室の隅まで転がっていく。気分を切り替えて高宮は、道場に行くことにした。

 そういえば、今年はまだ十月だというのにもう、「出た」らしい――高宮は不意に、昨日の道場からの帰り道、仲間たちが話していたことを思い出した。

 冬になると、道場の裏手の古びた石碑の元に女の幽霊が出る――

 高宮が参宮学園に入学する前から耳にしていた噂である。学校にありがちな下らぬ七不思議の一つ。高宮自身はそう切って捨てたが、今年の早春、久し振りに目撃者が出た。寒気が肌を刺す二月のある夜、空手部の当時の二年生が二人、部活帰りに、若い女を見たという。

 腹が据わってねえな。それが一年生だった高宮の偽らざる感情であった。
「先輩、空手部副将ともあろう者が美人の女を見てブルっちまったんですか」
 更衣室で翌日話を聞いた高宮の口調には嘲る響きがあったが、青ざめた上級生の顔色は元に戻らなかった。立っていた女は全身が白い霞がかった姿にもかかわらず、その両手だけ赤黒いものに塗れていたという。

「あれは見間違いじゃない。血だ」
 腕も足もそして首も太い、全国大会出場経験もある上級生が震えていた。一緒に目撃したというもう一人の二年生は、学校を休んでいた。

「だが俺が心底恐ろしかったのはな、その女の姿じゃないぞ」
 周囲の下級生たちは、緊張と好奇心の入り混じった表情で上級生の話の続きを待つ。一方、高宮は一人、まだ副将の言葉をどこか舐めていた。
「どうしてその女に気付いたと思う」 
 続く言葉にも、つまんねえ話をだらだらとするよな――そのぐらいの気持ちだった。

だが、

「笑ってたんだよ」
 副将の言葉が予想外だったため、思わず帯を締める手を止めてしまった。
「嬉しそうに、乾いた笑い声を立ててやがったんだ」
 数ヶ月後、その上級生は三年生になって最初の大会でアキレス腱を切って引退した。
 
 くはははは。
 あの時、上級生が真似て見せた笑い声が耳に蘇った。高宮が無意識に唾を飲みこむと、十円玉でも舐めたような嫌な味がした。もう一度舌打ちをすると、目の前にあった丸椅子をさっきと別の方向に蹴り飛ばす。

 その時、足元に赤い革の定期入れが落ちていることに気付いた。
 拾い上げると有為のものだった。明日にでも渡してやろう――制服のポケットに入れかけた高宮が何の気なしに中を開くと、写真が一枚入っていた。
 
 夏の写真だった。有為ともう一人が並んで写っている。
 予想だにしなかった、だが高宮がよく知った男だった。

 高宮は大きく目を開き、下顎を突き出すように奥歯を強く噛んだ。

やっぱり水着審査とかあるのかな (金木犀2)

2008年11月21日 23:39

 二学期最大の行事は体育祭である。今年は、前年度ナンバーワンの連だった荻原有理が実行委員長となり、有理と今年の連を組んだ杉山想平が副委員長となった。他の実行委員がくじで選ばれるのは、学園祭と同様である。
 
 新学期が始まって間もなく、今年のプログラムが発表された。午前中は毎年決まった演目であり、各学年の一組、二組、三組同士で組んだ三チームに分かれてリレーや騎馬戦、応援合戦等で盛り上がる。
 注目は、実行委員会が自由に企画できる午後の部である。掲示板に貼り出された内容は、

・連対抗二人三脚
・各部対抗リレー
・ミスター参宮、ミス参宮
・各賞発表
・閉会式
 であった。

「大体想像できるけど、ミスター参宮、ミス参宮ってのは?」
 廊下で掲示板を眺めながら、徹が楠ノ瀬麻紀に尋ねる。
 九月に入ったとはいえ残暑はまだ厳しい。窓からの日差しに目を細めながら徹は額の汗を拭った。

「体育祭だからスポーツに関係あるんじゃない。美少女コンテストっていうなら、あたし達も一肌脱くけどね」
 楠ノ瀬は大きくはだけたブラウスの胸元を手で扇ぐ仕草をしながら、隣のリタに同意を求める。勝手にリボンタイを外しているのは、クラスでも楠ノ瀬だけである。

「や、やっぱり水着審査とかあるのかな」
 勢い込んで口を挟む桐嶋を、リタが冷ややかに一瞥する。
「い、いやその、ボ、ボディビルとかほ、ほら、よくミスター何とかって。『切れてる切れてる』とか声援送ったりして――」

 桐嶋は両腕を胸の前で交差させ必死に弁解したが、その大袈裟な反応を更に楠ノ瀬にからかわれ、一層深みにはまっていく。
 掲示板の前であれこれ話していると、後ろに人影が立った。

「その企画は、当日までシークレット」
 片目をつむった茶目っ気たっぷりの表情で、荻原有理が唇に人差し指を立てていた。
「ミスター参宮、ミス参宮とも候補者は八人。三人が自薦で四人が人気投票、残りの一人が実行委員長推薦にするつもりだけど、何をするかは当日のお楽しみ」

「有理ちゃんは?」
 楠ノ瀬の問いに、有理は首を横に振った。
「実行委員長は、残念ながら不参加」

 有理は、制服のスカートから覗く丸い膝を軽く曲げて、徹たちを軽く見上げるような格好で笑った。相変わらずの艶やかな黒髪が、背中から肩口へと流れ落ちていく。
「ちなみに徹君は、委員長推薦決定だから」
 目を剥く徹をよそに、有理は言葉を続けた。
「まあ、徹君は人気投票でも選ばれるかな」

 どうして有理は、こんな台詞を平気な顔で言えるのだろう。
(三.荻原有理の特技は嘘を付くこと――)
 あの夜の出来事が、昨日のことのように脳裏に蘇る。

 二学期が始まってすぐ、高宮武が有理に振られたという噂が学園中に広がった。噂には尾鰭がついていて、抱きすくめようとした高宮を有理が投げ飛ばしただとか、妹の有為との三角関係が原因だとか、明らかに嘘臭いものまで混じっていた。
 
 そしていつしか有理とは、何事も無く普段どおり話す関係に戻ってしまっている。だが徹は、告白した自分に返事をしない有理が卑怯だとは思わなかった。それを言うならあの時の徹の方こそ、ルール違反だった。   
 あれは真夏の夜の夢だった――徹はそう自分に言い聞かせている。

「そうそう、言い忘れたけど」
 有理は、徹の顔を見てにっこりした。
「瓜谷先輩が、『あんまり俺に楽な勝ち方させるなよ』だって」

(早くも最強のライバル出現ですか……)
 思わず徹は遠い目になる。
「ふ、藤原のこと応援するよ」
 目尻に皺をよせた桐嶋の相変わらず人の好いコメントに、徹は力なく答えた。
「あぁ。切れてる切れてるって叫んでくれ」

「なるほど。私もそう言って応援しよう」
 横でターコイズブルーの瞳の少女が、無表情にコメントした。

第三章 金木犀/ この身を代償にしようとも (金木犀1)

2008年11月20日 00:36

 私は、病院のベッドに付き添っていた。

 微かに消毒液の匂いが漂う白い部屋の中、ベッドの上には目を閉じた少年の姿があった。
 いつ醒めるとも無い昏睡状態。顔色はまるで蝋のように白く、もはや事切れたかと思わせるほど生気が無い。毛布の下の左腕から覗くチューブが僅かな生存の証である。

 母に幼い頃読んでもらった物語では、呪われた少女の眠りを覚ますのはいつも、勇気ある騎士の口づけだった。目の前の光景が配役を間違えた出来損ないの悪夢に感じられ、何故か笑い出したくなる衝動に駆られる。
 だが、一度笑いだしたら最後、私は正気を保っていられる自信がなかった。
 
 私は少年の手を握り締めながらひたすら念じる。
 必ず彼を救うと。必ず、再び彼と陽の光の下で笑い合うと。
 少年の耳に届くことは無いその台詞を、何度も繰り返す。

「――お時間です」
 遠慮がちに後ろから掛けられた声に、私は振り向かず頷く。その間も声に出さず唇だけを動かす。握った手に思いを込める。
「必ず、必ずだ。例え、この身を代償にしようとも」

 最後にもう一度そう呟くと、私は立ち上がった。
 
   * * * * * * * *

 新学期が始まった。

 楠ノ瀬麻紀は自分こそ日に焼けているくせに、徹に「言っちゃおうかなあ」、と意味深に笑う。リボンタイを勝手に外してブラウスの第二ボタンまで開けていて、徹は目のやり場に困る。

 徹自身にとっても意外なことに、徹はクラスの中心人物の一人になっていた。
 二年三組の中心が荻原有理であることに、疑いは無い。その周辺に、時に応じて高宮武や楠ノ瀬麻紀が位置するわけだが、どうやら徹もその仲間入りをしたようである。学園祭の前夜祭の印象が強烈だったのかもしれない。
 だが、話しかけてくるクラスメイトたちの言葉をよくよく聞くと、徹本人に関心があるというより、一緒にいる「学園の有名人」たちのことを尋ねられているだけの気もする。

「そ、それにしても実行委員大変だったろう。日中は全然回れなかったんじゃないか」
 そんな中、相変わらず桐嶋和人は徹を対象にして話しかけてくる。徹は笑顔で答えた。

「あんなに落し物とか道案内が多いと思わなくてさ。本当は色々見たかったんだけど」
 桐嶋は待ってましたとばかり、小柄な身体を更に折り曲げてカバンから戦利品を出して見せた。
「そ、そうじゃないかと思って。ほら、これが荻原さんの推理劇のパンフレットに、ゆ、有為ちゃんのバンドのプログラム」

 徹は、姉妹の名前を聞く度に心の奥深いところに漣が立つ。二人とは、あれからまだ話す機会がなかった。
「で、こ、こっちが杉山のけ、研究論文で――」
「え、杉山も推理劇だろ」

 桐嶋は、ようやく反応した徹に笑い皺を作った。太い眉が一層垂れ下がる。
 桐嶋の話によれば、学園祭は一人一つの参加と決まっているわけではなく、掛け持ちしても構わないとのことだった。杉山の論文には、左下に小さく「歴史同好会」と印刷してある。そんな同好会があることすら知らなかったが、上級生達と好奇心旺盛な杉山が手を組んだらしい。

「これが、さ、参宮学園の歴史について調べた力作なんだ。し、真の年とか、宝玉とか」
 宝玉という言葉に思わず桐嶋の手にある冊子を奪う。
 参宮学園の宝玉と真の年について――そう書いてあった。

 徹はその夜、自宅のベッドで杉山の論文を一心不乱に読んだ。

 ――参宮学園の前身は弦桐寺であり、以前から宝玉伝承のある場所であった。古来、帝王の腕輪や賢者の杖、導師の宝玉といった聖具が世界各地にその名を残しているが、中でも導師の宝玉は東アジアにそのルーツがあると言われている。龍玉などの名前で存在が記されており、日本においても古くは蒙古襲来に際して幕府が宝玉を用いたと伝えられている。

 徹は思わず唾を飲み込み、先を急ぐ。

 ――弦桐寺の宝玉に霊力は感じられず、レプリカに過ぎない。そう結論づける論者も多いが、その一方で、ある特異日にのみ霊力が満たされるとする説も根強い。曰く、春分の日に「夢見の宝玉」に転じる、と。

 ――古来より彼岸の中日は、「龍天に登る」と説かれてきた特異日である。中でも数十年に一度、満月と春分とが重なる夜には宝玉が外部の霊気を取り込み、在りし日の力を取り戻すと伝えられてきた。これが「真の年」である。とはいえ、真の年に実際に何が起こるかは不明である。前回の真の年に何が起きたかの記録も残っておらず――

 最後まで読んで、徹は大きく溜息を漏らした。
 力作だとは思うが、結局のところ書いた本人にも分かっていないことが多すぎる。

 冊子を閉じようとして、末尾に折込まれた表に目を留めた。歴代のナンバーワンとなった連のメンバーと、春分の日の月齢が記載されていた。

(確かに力作だな)

 昨年は、瓜谷悠・荻原有理、と記されている。五年前には鳴神菖蒲の、そして十五年前には、リタの母親と思われる名前があった。
 徹は再び冊子に目を戻し――そして、自分の迂闊さを呪った。ゲームのルールを知らなかったのは、どうやら自分だけだった。

 今年度、即ち来年の春分の月齢は十五、満月。そう書いてあった。

第二章を終えて (物語について4)

2008年11月18日 01:36

 物語も第二章を終え、ちょうど全体の四合目あたりです。
[第二章を終えて (物語について4)]の続きを読む

ずるい。ずるいよ (向日葵16)

2008年11月16日 23:46

「何だ、藤原かよ」
 鉛色のTシャツに膝下までのカーゴパンツ姿の高宮は、機嫌が良さそうだった。相変わらずの短い茶髪に両耳のピアス。サンダルを履いた足が徹より一回り大きい。

「一人で秀才君は、塾帰りか」
「徹君に何絡んでるのよ」
 徹が口を開く前に、有理が高宮の厚い胸を叩く。高宮は面長の顔ににやけた笑いを浮かべ、強引に有理の肩を引き寄せた。その手慣れた仕草が、心のどこかを苛立たせる。

 徹は眼を逸らしたまで二人の脇をすり抜けようとすると、不意に高宮が足を出した。思わずよろけて、濡れたアスファルトに手を付く。

「藤原どうした。転んだのか?」
 とぼけた高宮の言葉に徹が無言で立ち上がりかけたその時、乾いた音がした。徹が見上げると、有理が高宮の頬を張っていた。

 有理の黒い瞳は怒りに燃えていたが、高宮は怯まなかった。むしろ威嚇するかのように、太い首から上を有理に近づける。
「俺はこいつが気に食わないんだ」
「ふざけないで」
 毅然とした態度であった。だが徹は、有理の薄黄色のTシャツが高宮と同じブランドであることに気付いていた。

(いいんだ、高宮のいうことが正しい)
(俺と高宮の相性は最悪なんだ)
 徹は心の中で呟きながら、二人を眺めていた。

 高宮は何か言いかけて、不意に下唇を舐めた。徹に向き直ると、どこか馴れ馴れしい調子で声を掛けてきた。
「藤原ぁ、お前、有理に惚れてるだろ」
 獲物を見つけた蛇の目だった。薄い唇が歪んでいる。
「残念だったな。今まで俺達が何してたか教えてやろ――ぐはっ」

 がつっ
 有理が、高宮の脛を思い切り蹴飛ばした音だった。
 有理が大股で徹に近付き、その右腕を取る。有理の艶やかな黒髪からは、いつもの金木犀に似た匂いに混じってシャンプーの匂いが微かに漂ってきた気がした。

「徹君、行こう」 
 有理は徹の右腕を引っ張ると強引に歩き出す。高宮を振り返りもしない。
「藤原ぁ、俺の質問には答えないのかよ、お前その女に惚れてるだろ」
 嘲る声が後から浴びせられた。
 ひゃはははは。
 高宮は追いかけて来なかったが、その嘲笑が徹の胸を刺した。

 徹は、黒髪の少女に引っ張られながら夜の街を抜けた。

(そういえば、五月に有為と歩いた道だ)
 その時は何が咲いているかなど気にも留めなかった道沿いの家には、徹の肩ほどもある向日葵が並んでいる。夜の向日葵がフライング・モービルの影絵のようだった。

「――あたし、男の趣味悪いよね」
 徹の右手を握ったまま、ぽつり、背中越しに有理が口を開いた。もはや握る手に力は入っておらず、歩みも遅くなっている。

「中学のとき大失恋したんだ。一つ上の先輩を好きになって、お約束みたいに先輩の卒業式で告白して」
 有理は夜空を見上げながら話していた。
 距離を置いて設置された古びた街灯以外に、辺りを照らすものはない。少女の声は徹に届くか届かないかで、周囲の暗がりに溶けていく。

「自信あったんだと思う。それが、弱くて守ってあげたくなる子がいいって、断られて」
 道端からは、秋の虫の音が聞こえてくる。蝉の季節も終わりだ――そんなことを頭の片隅で考えながら、有理の言葉に耳を傾ける。

「トラウマだったんだね。高宮に、俺が守ってやるって言われたときは、あたし恋してるって思って」
 有理は、うわ恥ずかしい、などと言いながら足元の何かを蹴ろうとする。軽くバランスを崩して徹の手を引っ張ると、有理は不意に手を繋いだままであることに気付き、小さな声を漏らしてその手を放した。

 徹は黙って次の言葉を待っている。

「徹君、何か喋らないの」
 有理は無言の反応に口を尖らした。が、徹には話すべき言葉が見つからない。
「何で自分のことって、うまくいかないんだろうね」
 有理は、今度は足元の小石を蹴ることに成功した。小さな音を立てて暗がりに石が消えていく。

 夜は人を正直にする――誰の言葉だったろうか。
 今日の有理はいつもと違う。昼間の有理はどう言ったらいいのか、奢りも媚も無い自然体の魅力に溢れているが、今の有理は危なっかしい。

「ねえ徹君、聞いてる?」
 再度の問いかけに、徹はつい、心の隅に引っかかっていたことを口にしてしまった。
「なあ、さっきのは本当なのか?」
 有理が小首を傾げる。
「高宮が、今まで俺達が何してたか教えてやろうか、って」

 言った途端、強い後悔の念に襲われる。
 有理が溜息をついた。手を自分の腰の後ろに組んだまま徹に向き直り、寂しげな笑顔を浮かべる。
 徹は、今更ながらに自分の気持ちに気付いた。

 街灯に照らされた黒髪の少女は、本当に綺麗だった。

「クイズ。この中で一つだけ本当のことがあるから。一.荻原有理は高宮にホテルに誘われたけど何もしなかった。二.荻原有理はもう高宮武のことを好きじゃない。三.あたしの……」
 有理が唾を飲み込んだのがわかった。
「三.荻原有理の特技は嘘を付くこと」

 いつしか有理の家のすぐ近くまで辿り着いていた。
 有理は泣き笑いのような表情を浮かべ、徹の返事を待っている。五月の有為の癇癪を起した表情と、今の有理とが心の中で二重写しになる。

 徹は夜空を仰いで深呼吸した。こんな展開になるなんて、今朝起きたときは想像もしていなかった。
 徹はもう一度深呼吸すると真直ぐ有理を見た。
「オギワラユリ、俺と付き合ってくれ」

 有理が呆然とした表情になり、すぐに顔が歪んだ。
「徹君、ずるい。ずるいよ」

 そう、自分はずるい。
 質問に答えないのがずるくて、相手の弱みにつけ込んで告白するのがずるくて、言いっ放しでここから立ち去ろうとするところが、救いようが無くずるい。

 おやすみ――そう言って徹は有理に背を向けた。
 自分でも最低だと思った。耳元には、高宮の声がこびり付いている。

 そしてまたコーラの水割りを飲む日が続き、徹の夏休みは終わった。

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計算は合っています (向日葵15)

2008年11月15日 01:09

 リタは少し会わないうちに、背が伸びていた。ノースリーブのブラウスから覗く肌は、相変わらず抜けるように白い。どこか機嫌が悪そうなので理由を聞くと、留守の間、管理人の庭の手入れに不手際があったことが原因のようだった。
 
 三人は再会を祝して、セシルの出してくれたアイスティーで乾杯する。
「あ、ちゃんとアールグレイ。さすがイギリス」
 楠ノ瀬のはしゃぐ声に、セシルが満足げに頷く。

 三人は夏休みの話題で盛り上がった。リタはエジンバラの土産話を、徹はお盆に母の実家に帰ったことを話した。
「五十歳近いおばさんが『由紀ちゃ』なんだよ。カルチャーショックっていうか何ていうか」
「いいじゃん、そういうのって」
 楠ノ瀬が羨ましげな表情を見せる。

 普段は人をからかうことの多い楠ノ瀬だが、自分がいいと感じるものには心から共感を示す素直さもある。リタも楠ノ瀬と比較的波長が合うようだった。

「徹の母上はどんな人だ」
 リタの問いかけに、いや、母上なんて――と慌てて手を振ってから、徹はふと尋ねる。
「それより、リタのお母さんこそどんな人なんだ」
 リタの表情が、すっと柔らかくなった。

「母も一度日本に来ている。十五年前にここで学んだそうだ」
 思わぬ展開に、徹と楠ノ瀬は顔を見合わせた。
「参宮学園で? 凄い偶然じゃない!」
 楠ノ瀬の声も普段より高くなる。

(いや、これは偶然っていうよりもむしろ――)
「当時母は十八歳だったが、ナンバーワンの連になったと聞かされた」
「もしかしてリーたんのお母さんは今、三十三歳? 若いなあ」
 リタは誇らしげな表情を浮かべた。雀斑の僅かに浮いた頬に赤みが差す。

「母は参宮学園を卒業した直後に父と出会い、大恋愛の末に私を生んだそうだ」
「へえ、情熱的。リーたんもクールなようで、実はその血を色濃く引いちゃったりして」
 楠ノ瀬はしきりに徹に目配せしてくるが、徹は無視を決め込む。一方のリタは母親の話となると止まらなくなるらしく、次から次へとエピソードを披露し続ける。

 徹は、リタの意外な一面を見た気がした。
(やっぱり女の子はこの手の話で盛り上がるよな……あれ?)
 だが心のどこかで、何かが引っかかる。

(リタのお母さんが 十五年前に参宮学園を卒業してから結婚して……)
 激しく首を横に振る徹の後ろに、セシルが音もなく立った。

「計算は合っています」
「ひっつ」 
 またも考えていることを読まれた徹は、小さな悲鳴を漏らしてしまった。

「リタ様は、アナスタシア様とエドガー様の子です」
(いや、だって)
 セシルは、何を今更という顔で言葉を続けた。
「リタ様は、十三歳でいらっしゃいますから」
 思わず徹と楠ノ瀬の声が揃った。
「十三歳!」 

 その後、どんな話をしたのか徹は覚えていない。楠ノ瀬がリタを質問攻めにし、その一つ一つにリタが律儀に応え、時にセシルが咳払いでたしなめ――
 いつしか長い夏の日は暮れていた。

 徹たちは夕食の誘いを固辞して、リタの家を去った。

 考えてみると、リタは欧米人にしては然程大人っぽく感じなかった。外国では飛び級の制度もあると聞く。
(でも、十三歳かよ)
 徹は、自分を庇って高宮の前に仁王立ちになったリタの姿を思い出して、溜息をつく。
(いつかあの借りは返そう)
 徹は歩きながら両の拳に力を込めた。

 一つ前の交差点で楠ノ瀬と別れ、徹は自分の家に向かって一人歩いた。
 先程の夕立のせいか、夜風が肌に気持ちいい。
 少しだけ遠回りして帰ることにして――思いもよらぬ運命の悪戯が徹を待ち構えていた。

 高宮武と荻原有理が並んで歩いていた。

もう許して下さい (向日葵14)

2008年11月13日 00:01

 夏休みもお盆も過ぎると、友人やら宿題やら、色々と学校のことが気になり始める。
 リタから手紙が来たのは、そんな頃だった。八月二十日に帰る。そう書かれた文面を受け取ってカレンダーを見ると、既に八月二十一日だった。徹は電話をしてみることにした。

「徹か、元気か」
 久しぶりのリタの声は相変わらずハスキーだったが、徹の電話を喜ぶ響きがあった。
「手紙ありがとう。エジンバラはどうだった?」
「久し振りに母と弟と会った。日本の夏は暑いな。エジンバラでは夜はカーディガンを羽織っていた」

 ひとしきりイギリスの話で盛り上がったが、なおも話し足りない気分だった。リタも同様らしく、
「徹、今週中に一度家に来ないか」
 そう誘ってきた。
「そのつもりで電話した。楠ノ瀬や桐嶋にも声を掛けてみるよ」

 楠ノ瀬麻紀もすっかり退屈していたらしく、二つ返事で了解した。桐嶋とは連絡が取れず、楠ノ瀬に瓜谷の都合を尋ねたところ、夏季講習で勉強漬けとの返事が返ってきた。
 結局、楠ノ瀬と二人でリタの家に行くことになった。

「イギリスにもスイカはあるのかなぁ」
「こういうのは、みんなで食べるに限るって」
 当日、楠ノ瀬と相談してリタの家にスイカを持っていくことにした。

 楠ノ瀬は、待ち合わせ場所にギンガムチェックのワンピースで来た。
「もしかして、あたしがいつもおへそ出してるとでも思ってたでしょ」
 久し振りの会話も楠ノ瀬の先制攻撃からだった。

 楠ノ瀬は夏休みに入って髪を少し短くしていた。ウエーブのかかった茶色の髪は、歩くたびに首の辺りで左右に揺れている。ふわふわして割と似合って――

「徹ちゃんこそ、その相変わらずぼさぼさの髪、何とかしたら?」
 自分が髪を眺めていたことが、どうしてわかったのだろうか。
もはや、自分に内心の自由は無いのかもしれない。楠ノ瀬の前では変なことを考えるのはやめようと誓いながら、曖昧に返事をする。が、楠ノ瀬はなおも攻撃の手を緩めない。

「そういえば徹ちゃん日焼けしたよね、プール?」
 徹は虚を突かれて、一瞬言葉に詰まった。楠ノ瀬の目が光る。
「女の子とでしょ?」

 いつもの小悪魔の表情で徹を見る。特段美人ではないと思う。だが、濃く縁どられた長い睫毛で目を細められると、どうにも落ち着かない。小柄なくせに、出るところが出ているのも手強い。
「どうしてさ」
 徹は精一杯リカバリーした。

「顔に書いてある」
「……えっと」
「っていうのは嘘」
「……」
「リーたんには黙っててあげるね」
 徹は答えられないが、なおも楠ノ瀬は続ける。
「もちろん、有理ちゃんにもね」
「…………」
「あれぇ、有理ちゃんじゃない子と行ったんだぁ」
「……楠ノ瀬さん、もう許して下さい」

そうかも知れない (向日葵13)

2008年11月10日 23:06

 市民プールは家族連れやら中高生の集団やらで、大混雑だった。三百円の入場券を買って、徹と有為は両脇の男女更衣室に分かれる。
 
 徹は混乱していた。
 一体この展開は何なんだろう。
 
 一応カメラを持ってきたのだが、さすがに二人っきりで写真は――いや、そもそも変態とか言われたらどうしよう。迷った結果、カメラはロッカーに突っ込んでおくことにした。僅かに未練を残しながら、更衣室の外に出る。
 当然のように有為はまだいない。徹はぼんやりと周囲を眺めながら有為を待った。
 
 そして数分後、出てきた有為を見て徹は絶句した。
 
 駅で会ったときは、美少女だと感じる余裕はあった。
 しかし、これは何だ。

 有為は黒のビキニを着けて、少し怒ったように徹の前に立っていた。
 ほっそりとした首元から鎖骨が覗き、腰の位置は高く、足は伸びやかに踝へと続く。
 これはもう反則だ。ルール違反だ。
 試合前にテクニカル・ノックアウト成立。 

「何よ、文句ある」
 有為は、いつもにも増して無愛想な口調だった。

「可愛い……文句無い」
 思わず徹は本音を漏らしてしまう。本来の有為ならば、勝ち誇った表情を浮かべるはずだった。
 だが、代わりに浮かんだ表情は、徹がどきりするほど無防備な笑顔だった。

   * * * * * * * *

 蝉の鳴き声がシャワーのようだ。

 徹はプールサイドで有為と並んで横になっていた。
 いくら若くっても顔を焼くのはちょっとね。そう言って有為は白いバスタオルを頭から被っている。

 小学生の頃、蝉は流れ星みたいだと誰かに話した。蝉の一生について教えてもらったばかりの頃だった。蝉は暗い土の中で何年も過ごす。種類によっては十年以上も過ごす。
 そして夏の夜に地上に出ると、僅か数日で命を燃やし尽くすべく鳴き続ける。流れ星が地平に落ちる瞬間、光芒を放つかのように――

 そう、昼間でも星は流れている。

 こんなことを話したら有為は呆れるだろうか。有理だったら何と言うだろうか。
 リタだったら、静かに頷くのだろうか。
 徹はサングラス越しに流れる入道雲を眺めながら、そんなことを考えている。

「有理のこと好きなの?」
 有為がいきなり話しかけてきた。咄嗟にどう答えていいか分からず、徹は傍らを見たが、有為はバスタオルを被ったままで表情が見えない。

「有理のこと好きなの?」
 もう一度有為が尋ねる。
 そのまま何秒かが過ぎた。有為は身動ぎもしない。徹も何も訊かない。
 そして、徹は答えた。
「そうかも知れない」
「有理は高宮先輩とつきあってるよ」
「ああ、知ってる」

 お互いの顔を合わせないままの会話は、そこで唐突に終わった。

 有為はその後プールに入る気配はなく、徹だけ競泳用プールで何本か泳ぐと、夕方どちらからともなく立ち上がって帰ることにした。
 
 行きは辛辣で饒舌だった有為も帰りは言葉少なで、駅までの道は殆ど会話が無かった。徹から微妙な距離を置いて、外巻きにはねた生乾きの栗色の髪が揺れている。

 周囲の視線を集めているのは相変わらずだった。だが、プールに向かう道すがらお互いの間に感じた秘かな緊張感と期待感――誤解を恐れずに言えばそれは幾ばくかの共犯意識だった――は、どこかに影を潜めてしまっていた。
 駅まであと僅か。このままではいけないと思う焦りから、自分でも思ってもいなかった言葉が口をついて出た。

「写真撮ろうか」
 その唐突さに有為が軽く瞳を見開く。
「最初は三人で撮ろうかと思って。プールサイドには持って行かなかったんだけど……もちろん嫌なら無理には――」

 カメラを取り出しながら説明を始めたものの、話すほど言い訳めくのが自分でも分かる。しどろもどろになっていく。
 目の前で眉根を寄せている、この少女の表情は嫌悪感なのかそれとも逡巡なのか。
 
 とにかく謝ろう。そう思って徹が口を開きかけたその瞬間、
「いいよ」
 有為が返事をした。

「すいません、シャッターお願いできますか」
 徹の反応を待たず、有為は隣を歩いていた子連れの主婦に徹のカメラを差し出すと、徹の腕を自分の腕と組ませた。
 
 肘に有為の身体の柔らかさを感じる。
(有理の匂いとは違う)
 当たり前の事実に、今更ながらに気付く。

「はい、じゃあ笑って」
 主婦の合図とともに、有為が軽く自分の腕を引き寄せるのを感じた。
 
 シャッターを押してくれた主婦に礼を言って徹がカメラを受け取ると、有為は既に歩き出すところだった。二、三歩いた後、思い出したように振り返る。
 その顔はいつの間にか、プールに行く前の有為に戻っていた。

「あのさ、有理も誘ってるって言ったのは、嘘だから」
「へ?」
 有為は、徹の間の抜けた問いかけには答えない。
「じゃあね」 
 そのまま有為は夕暮れの駅に消えた。

何か不満でもあるの (向日葵12)

2008年11月09日 02:31

 夏休みが来た。
 新学期に会おう。そう言ってリタはエジンバラに戻って行った。
 徹はと言えば、毎日のようにコーラを水で割って飲んでいた。

「貧乏くさいから、やめなって」
 姉の望には何度も言われるが、やめられない。コーラの味は好きだが、少し甘すぎる。水割りがベストだ。さすがに他人の前で「調合」を始める度胸はなく、自宅でだけの密かな楽しみである。

 その日の夜も、ぼんやりとコーラを飲んでいると電話が鳴った。徹が出ると、意外なことに荻原有為だった。

「もしもし、有理じゃなくてがっかりした?」
 それが有為の第一声だった。妙に自信満々の栗色の外巻きの髪と細い手足とが目に浮かぶ。可愛さと皮肉っぽさとが同居する声に、徹は何とも落ち着かない気分になった。

「有為ちゃん、電話番号どうやって調べたんだ?」
 有為は小馬鹿にしたかのように、大袈裟に溜息をつく。
「それが最初の台詞なわけ」
 今度は髪の毛を不快そうにかき上げる姿が、まざまざと浮かんだ。げんなりしかけた徹は、話を先に進めることにした。

「で、何の用だい」
 そこまで言いかけて、徹は急に五月の夜を思い出す。
「もしかして……まさか」

「何考えてるか直ぐ分かるわよ。大丈夫、危ないことなんか起きてない」
 年上に対してぞんざいな喋り方だ。だが、とにかく安心した。胸を撫で下ろす徹に、有為は言葉を続ける。

「こないだ助けてもらった借りを、返そうかと思って」
 これは予想外の台詞だった。
「でも、それなら有為ちゃんが確か、貸しだなんて間違っても思わないでとか……」
 
 電話越しに、有為が一気に険悪になるのがわかった。さっきから自分がエスパーにでもなった気分になる。
「折角こっちが気にしてあげてるのに、何か文句あるの?」
 声が低い。空気が冷たい。徹は地雷を踏んでしまったらしい。徹は見えないことがわかっていてなお、必死で首を横に振る。

 焦る徹を知ってか知らずか、面倒くさそうな口調のまま有為は徹に問いかけてきた。
「で、泳げるの?」
「へ?」
「泳げるのって聞いてるの。あたし今度、有理とプールに行くんだけど――」

   * * * * * * * *

 参宮学園の男子生徒に、夏休みの最高の過ごし方についてアンケートを取ったらどうなるか。「荻原姉妹とプール」は、二位に圧倒的な差をつけてトップに輝くだろう。ちなみに最高の肝試しの方は、「高宮武との炎天下の待ち合わせに遅刻」で決まりだ。

 くだらぬことを想像しながら、待ち合わせの五分前に徹は駅の南口についた。
 約束したバスターミナルで見回すが、まだ二人の気配はない。地面から水蒸気が立ち昇る、まるで亜熱帯の暑さだった。タオルで額を拭うと、徹は手にしたペットボトルをごくりと飲んだ。

 遅い。
 暑い、遅い。
 いつの間にか、待ち合わせの時刻をかなり過ぎている。
 徹は北口にも念のため行ってみたが、見当たらなかった。Tシャツが汗で背中に貼り付く。時間を間違えたのではないかと思い始めたその時だった。

 大きな麦藁帽子を被った有為が、道の向こうで手を振っているのに気づいた。
 白っぽい麻のワンピースから細く長い手足が覗く。栗色の髪の毛が麦藁帽子の下で揺れている。周囲の男たちが、一斉に有為と徹を見比べた。

(さすがに目立つな)
 文句なしの美少女ぶりに改めて感心すると同時に、これだけ遅れても走ろうとしない有為に、徹は苦笑いした。

 信号を渡って、ようやく有為が徹のもとに着く。待たせてごめんの一言もなく、有為は顎をしゃくった。
「ほら、行くわよ」
「有理は?」
 周囲を見回す徹に、有為は麦藁帽子であおぐ仕草をしながら当たり前のように答えた。

「有理は都合が悪くなったって」
「へ?」
 徹は思わず問い返した。よく言えば優しげ、姉の望の口を借りれば「あたしに似てる割には締まりがない」徹の顔が、当惑したまま固まる。

「それ口癖? 思考停止が見え見えだから気をつけた方がよくない?」
(余計なお世話だ――じゃなくて)
「じゃあ今日は……」
「あたしと二人だと、何か不満でもあるの」

ちょっとジェラシー (向日葵11)

2008年11月07日 00:13

 翌日、徹は筋肉痛に悩まされながら、本部テントで引き続き来訪客の対応をしていた。相変わらず問い合わせが後を絶たず、人の波が途切れて一息ついた時には、既に昼食の時間をだいぶ過ぎていた。
 
 屋台で何か食べよう。そう考えて机の中の食券を探していた徹の前に、今日何度も耳にしたフレーズが聞こえた。
「すいません。たこ焼きのお店教えてもらえません?」
 顔を上げると荻原有理の顔が目に入った。徹は慌てて弾かれたように立ち上がる。

「徹君、反応激しすぎ。みんな見てるよ」
 有理がくすぐったい顔で耳打ちする。一緒に本部詰めをしていた一年生達が小声で囁き合っている。徹は逃げるように有理と本部テントを出た。

「昨日はお疲れ。カッコよかったよ」
 学園祭の期間中は生徒も私服登校である。今日の有理は身体にぴったりしたTシャツと、ふくらはぎまでの丈のパンツを穿いていた。腰の高さと細さが普段よりも際立つ。すれ違う生徒達は、有理を見ると振り返った。

「よくわからないけど、でも凄く気持ちよかった」
 徹は正直な感想を口にする。身体のどこかに、虚脱感に似た感覚が残っていた。有理も大きく頷いた。
「去年より盛り上がったと思う。あんな練習をみんなでやってたかと思うと、ちょっとジェラシー」

 有理は誰の練習する姿を想像して、誰に対して嫉妬したというのだろう。
 高宮はいいのかよ――言葉が喉元まで出掛かるのを、飲み込む。

 学園祭の校舎は父兄や他校の生徒も多く、廊下はひどく混み合っていた。互いの肩や手の甲が軽く触れ合う度に、徹の鼓動は早くなる。誰かと話しこんでいる赤い髪の少女も遠くに見かけたが、追わないことにした。

 たこ焼き屋で店番の三年生に取次ぎを頼むと、額に汗を浮かべた桐嶋が白いエプロン姿で出てきた。太いハの字眉毛と目尻の笑い皺が、不思議にエプロンと似合っている。

「お、荻原さん。来てくれて嬉しいよ」
「俺には感謝の言葉は無しかよ」
 からかう口調の徹に、桐嶋の笑い皺が一層深くなった。
「ふ、藤原がいなければ、もっと嬉しかったよ」
「抜かせ」

 桐嶋は、ここは奢るといって食券を受け取らず、二人は余った食券で綿飴を買って校庭の木陰で食べることにした。

「よいしょっと」
 有理が小さく声を出して腰を下ろし、照れたように口に手を当てる。徹も口真似をしながら並んで座ると、口をとがらせて脇腹を肘で小突いてきた。

(やっぱり可愛いよな)
 しみじみと実感し、同時に胸の奥に痛みを覚える。この感情が何か、判らないわけではなかった。だが徹は湧き出てくる感情を敢えて無視して、有理に話しかけた。

「オギワラユリは、推理劇やってるんだろ」
「うん。杉山君の脚本がすごいの。逆転に次ぐ逆転」
 有理は、見た人は皆驚いていたと身振り手振りで力説した。得意げな杉山の顔が目に浮かぶ。

「で、誰が犯人?」
「それを言っちゃあ、面白くないんだって」
 有理は顔の前で手を振る。

「徹君、ミステリー読まないでしょ」
「読むけど、後書きから読む」
「それじゃあ、ストーリーを読む前に犯人が分かっちゃうじゃない」
 有理は一しきり声を立てて笑った。

 西校舎から出てくる後輩たちが、有理に気づいて手を振って来るのに、有理も手を振り返して答える。と、今度は、同じ学年の男たちが通りすがりに囃し立てていく。
 さすがに有理と二人では、相当目立ってしまうようだった。

 有理も苦笑しながら、再びよいしょとばかりに立ち上がる。慌てて立ち上がりかけた徹に対し、有理は首を横に振った。

「とにかく、昨日はカッコよかった。そのことを『ライバル』に伝えたくて」
「へ?」
「あたし、これから劇の最終公演なの」

 隠しきれない失望の色が浮かんだ徹に、有理は
「徹君、これあげる」
 食べていた綿飴を徹に差し出した。
「じゃ、お互いガンバろ」
 そのまま徹を振り返ることなく艶やかな黒髪が遠ざかっていく。

 迎えた後夜祭、今年のベスト・チームは有理と杉山を中心にした推理劇「ミステリー・スクール」だった。

さすが去年のナンバーワン (向日葵10)

2008年11月05日 00:49

 笑っていた者が、一人二人と口をつぐむ。魅入られ、瞬きさえ出来ない者たちが立ちつくす。
「……糞ったれが」
 参宮学園の前夜祭。ステージを眺めていた高宮武は、両腕が総毛立ち睾丸が硬く縮まっていくのを感じていた。

 思わず横に立つ荻原有為を見て、愕然とする。傍らの少女は魂を抜かれたかのようだった。心の内に芽生えかけた敗北感を、怒りに任せて否定する。
 有為の手を乱暴に引っ張ると、高宮はステージに向き直った。

 音楽は確かに流れている。しかも訳の分らぬ歌付きでだ。
 だが、その場を支配するのは緊張に満ちた静寂だった。
 ダークスーツに身を固めたリタと徹。それは、ダンスの枠を超えていた。
 
 己の右耳をかすめて、天に突き上げられる右脚。
 裂帛の呼気と共に繰り出される、五連の正拳。
 ネクタイが風に舞い、黒いジャケットが翻る。その姿は、華麗といえばこの上なく華麗。
 だが、何故、上げた足の指がぴたりと相手の眉間を指しているのか。何故、拳の中指の節が突き出されているのか。

「ふざけんな。肋骨でも折るつもりかよ」
 高宮は呻いた。

 リタが徹の腰に左手を添えたまま右腕を水鳥の首のように擡げ、三本の指を嘴のように動かす。
 知らぬ者が見れば、白鳥をイメージするかも知れない。だが人を倒す技術を学んだ者ならば、こめかみを指で撃ち抜く残像が焼きつく動きであった。

 判らぬ者はただ陶然とし、判る者は慄然とする――そんな舞であった。

「どう、有理さん」
 再び振付パートに戻って踊り始めた徹たちを眺める荻原有理に、杉山想平が尋ねる。二人とも浴衣に着替えている。夏の衣装ならこれよね、と有理が決めた。

 杉山が後ろを振り返ると、有理の表情が変わっていた。美少女然とした外見に似合わず、時に凛々しい表情を浮かべる有理だが、今日はまさに勝負を挑まれた者のそれだった。
「リタちゃんは只者じゃないと思ってた。でもあれ、素人が出来る動きじゃないよね」
 そして口には出さないが、有理は徹こそ驚異的と感じていた。

 春に道場で徹を見たときから、気になるものを感じてはいた。リタと組むに至って、ライバルになると確信した。だが徹のどこか優しげな姿に、これまで自分が油断していたことを痛感した。
 このままでは徹にポイントを取られてしまう――有理はそう認めざるを得なかった。

 杉山は、それ以上言うなとばかりに眼鏡を指で押し上げた。
「僕は気にしないで。有理さん、あの中に入りたいんでしょ。きっとこの構成だと、もう一度ダンスバトルはあるし」

「え?」
 有理は、自分の気持ちに初めて気付いたように問い返した。だが、その瞬間、杉山の指摘が正鵠を得ていることを確信する。

(確かに、杉山君の言うとおりだけど……)
 杉山は、有理の背中を言葉で押してやった。
「ここで有理さんが出ると、僕らの連に取ってもプラスだって」

 杉山は、人差し指と親指で丸を作ってみせた。その白い頬に笑窪が浮かぶ。
「乱入は本当ならNGだろうけど、有理さんが入れば絶対盛り上がるから彼らも文句は言わない。ビジネスでいえばウィン・ウィンだよ」

 有理は少しだけ考え込んだが、不意に目を輝かせた。
「決めた。杉山君、一緒に行こう!」
「え、僕も?」 

 目を丸くする杉山の額を、有理は指で軽く押した。
「杉山君、わかってるようで駄目だよね。合気道部のオギワラユリだけで行ったら、ただの異種格闘技戦だよ」

 その台詞に杉山も苦笑する。有理は片目をつむり両手を合わせる。
「ね、お願い」
「ん……まあでも、僕も実はこういうの嫌いじゃないし」

 杉山はもう一度、メタルフレームを指で押し上げた。レンズの奥の瞳が細くなる。
「よおっし。行くよ!」
 有理が車椅子を勢いよく押して、ステージへ向かって走り出した。

 舞台に浴衣姿の有理と杉山が駆け上がったところで、大歓声が湧き上がる。杉山が車椅子で器用に一回転してみせると、拍手が鳴り止まなかった。

「リタ。悪いけどおいしいとこ貰っていくよ」
 杉山が横で踊るリタに話しかける。

(容姿端麗、頭脳明晰)
「お前たちが舞台に上がることは、計算済だ」
 リタが前回し蹴りを華麗に決めながら答える。

(心も熱いぜ燃えてるぜ)
「うわ、リタちゃん意外に感じ悪い。徹君、今の聞いた?」
 有理が浴衣姿のままで、団扇を片手に器用にリズムを刻む。舞台に立っているとよく判るが、有理たちが登場して以降、観客の視線は更に熱を増していた。

(喧嘩売られりゃいつでも買うが)
「オギワラユリが舞台に上がることを予想したのは、瓜谷先輩だよ」
 徹が肩で息をしながら、裏拳を撃つ。

(だけどバトルはダンスが一番!)
「うーん。さすが去年のナンバーワン」
 そう杉山が言ったところで、瓜谷がマイクを握った。

「よーし会場全員で炎の踊りだ、いくぜ!」
 瓜谷が絶叫する。
 呼応するように舞台の上の徹が、リタが、足を跳ね上げる。楠ノ瀬が、プリティー・チームが両腕を広げる。会場全員が拳を空に突上げる。

 大歓声と、背筋を貫く興奮。
 徹はその時、全身が電撃に撃たれたのを感じた。
 
 瓜谷悠は、確かに会場に魔法をかけた。
 一夜限りの魔法を。
 けれど解けてなお、心のどこかに痕跡を刻む魔法を――
 
 結局、前夜祭はその後二度アンコールに応えて曲を流した後、瓜谷が「委員長の強権を発動」して無理やり解散となったのであった。

盆踊りでも没問題 (向日葵9)

2008年11月03日 21:19

「私はあなたがとっても大好き。その顔、その声、その瞳。ハート・マークでもう最高! 夢見る恋に身悶えしながら、だけど何故だか不安なの。ううん、あなたと一緒なら、どんなことでもオッケーよ!」

 梅雨も明けようという、学園祭前日の七月十六日。徹達は放課後の音楽教室で、前夜祭の最後の追い込みに入っていた。
 プリティー・チームが必死になって、歌詞にあわせて振付を揃える。

「そこで倉知と楠ノ瀬が投げキッス。だから倉知、もっとオーバーアクションだって」
 瓜谷の指導の下、少女達が制服のスカートを翻しながら踊る姿を、徹はぼんやり眺めていた。

 最初に見たときは、楠ノ瀬の妙に色っぽい仕草や他の子たちの恥ずかしげな表情に釘付けになったが、何十回ともなると感覚が麻痺してしまう。さっきまでファイヤー・チームの振付で絞られ、正直、他人を気にしている余裕もない。

「よし、次はもう一回ファイヤー・チームいこうぜ」
 瓜谷がシャツを腕まくりして、こちらを振り向く。
 やっと開放された楠ノ瀬たちが上気した顔で腰を下ろし、代わりに徹やリタが立ち上がる。

 ファイヤー・チームは攻撃的で燃え立つダンスをしようということで、激しい振付になった。

 舞踊の嗜みがあると自己申告したリタがベースの動きを考え、徹が細かな修正を加えた。二人でああだこうだと言っているうちに、いつの間にかリタと徹がメインダンサーとなってしまった。
 足を上げる仕草が多く、さすがにスカートではまずいということで、リタも練習時はトレーニングスーツを着ている。

「俺は世界で最高のナイスガイ。容姿端麗、頭脳明晰。心も熱いぜ燃えてるぜ。喧嘩売られりゃいつでも買うが、だけどバトルはダンスが一番! いいぜお前が望むなら、盆踊りでも没問題!」

(この歌詞、誰が考えたんだよ)
 囁く徹に、リタが視線を右へと動かした。
(楠ノ瀬麻紀だ。彼女らしい内容だな)
(っていうか、意味わかんなくないか?)
(徹、瓜谷が見てるぞ)

「お、リタちゃんと藤原、元気だねえ、よっしゃ、もう一セットいってみよう」
 瓜谷が長い髪をかき上げて笑顔で――徹の目には肉食獣の笑顔に見えたが――歯を見せた。
「……鬼コーチ」
 座っていた楠ノ瀬がぼそっと呟いた。

   * * * * * * * *
 
 学園祭当日、気象庁は例年より早い梅雨明け宣言を出した。

「あの、友達とはぐれちゃって」
「うちの子がやってる、クベゴンを追うって展示はどこでしょうか?」
「すいません、落し物で黒いポーチ届いてないですか」

 実行委員が当日もこんなに忙しいとは思わなかった。
 徹は目の下に隈を作りながら、本部テントで来訪者の応対をしていた。 父兄と思われる大人たちから、なぜか幼稚園児まで。老若男女がひっきりなしにやって来る。

「あーあ。他の展示やイベントを見に行きたいなあ」
 来訪客の波の切れ間に小声でぼやくと、一緒にファイヤー・チームで踊る一年生が、そうですよねえ、と調子を合わせた。

「藤原先輩は、どこを見に行きたいですか」
「やっぱり、荻原有理の推理劇かなぁ」
 徹の言葉に一年生は、我が意を得たりとばかりに大きく頷く。

「俺は、高宮さんのバンドを聴きに行きたいです」
 一緒に本部に詰めているもう一人の一年生が、話に加わった。
 そういえば、有為と高宮の馬鹿はバンドだった。きっとあの子のボーカルは目立つに違いない。

「トイレ借りれる?」
「どこかでお金をくずせる所、ないですか?」
「ママどこ……」

 再び徹達は喧騒に巻き込まれると、そのまま夕方まで休む暇もなく働いた。
 校舎が長く影を伸ばす頃になって、ようやく一息ついた徹たちは着替えて舞台裏に勢ぞろいしたのだった。
 
 舞台の袖に用意された巨大なスピーカーからはダンス・ミュージックが繰り返し流されており、会場内は既に徹たちの登場を待ちきれない様子である。舞台の前に並べられた椅子は他校の生徒たちや父兄達が訪れていることもあって満席になっており、後ろには立ち見の姿もちらほら見られる。
 徹たちの緊張感は、否応なしに高まっていた。

「みんなカッコいいぜ」
 舞台裏では、ウィザードの仮装をした瓜谷悠が、最後の打ち合わせを終えて実行委員会のメンバーを見渡していた。手足の長い瓜谷に、西洋風の黒い衣装はあつらえたかのように似合っていた。
 瓜谷先輩、ホストみたいだよね――横で楠ノ瀬が徹に、意味不明な発言の同意を求めてくる。

 プリティー・チームは色とりどりのワンピースに着替え、髪を揃いのリボンで結っていた。一方のファイヤー・チームは、リタを含めて全員がダークスーツにネクタイである。バックダンサーの三人は仮面を被り、メインのリタと徹だけが仮面の代わりに帽子を被っている。

「真夏にマントとは、気合入るぜ」
 瓜谷は汗を拭った。にやり、太い笑いを浮かべると腹に力を込める。
「いくぜ、レッツゴー!」

 瓜谷を先頭に、メンバー全員がステージへと駆け出した。

俺は司会だ (向日葵8)

2008年11月01日 20:20

「ふ、藤原。凄いじゃないか」
 ざわつく朝の職員室前、桐嶋が相変わらず太い眉毛をハの字ににして話しかけてくる。その尖った頬骨の上の目尻には、友人の意外な実力を知って素直に喜ぶ笑い皺が浮かんでいる。
 中間テストの翌週、職員室前の廊下には各学年の上位二十位が貼り出されていた。
 
 徹は学年五位だった。前の学校でも同じくらいの順位をキープしていたことを思うと順当といえるが、やはり嬉しい。
 学年一位は荻原有理だった。
 何事も一位とそれ以下では全く違う、徹はそう思っている。さすがに強敵だと思う。
 だが徹は、我が事のように嬉しかった。

「で、桐嶋は何位だよ」
 このぐらいのリスクある突っ込みが出来る程度には、桐嶋とも馴染んだ。
「き、聞くな」
 二人はお互いの脇腹を軽く殴り合いながら、廊下を歩く。

 一年生の学年一位は、二位の杉山想平を僅差で抑えて荻原有為だった。
(やる時はやるんだ)
 徹は、試験最終日の夜を思い出した。その翌日、有為は徹の教室に来て
「一応、お礼を言っておくから。貸しだなんて間違っても思わないで」
 睨むように言って、足早に去っていった。

 こういうときは、まず、ありがとうと言うんじゃないだろうか。徹は呆気に取られ、そして可笑しくなった。
 有為らしい。強情で我侭で、それでいてどこか姉の有理に似ていて。
 知らずに徹は廊下の前で思い出し笑いを浮かべた。

 リタも十四位に名前が載っていた。国語や日本史にハンディがあることを考えると、大健闘である。
「よし、次は学園祭だ」

 中間試験が終わると、学園祭の準備が始まる。
 参宮学園の創立記念日は七月十七日。昔、この日に誰が何をしたのかなど、気に留める生徒はいない。重要なのは、その週の土日は学園祭だという事実だ。

「生徒の生徒による生徒のための学園祭」であり、一年で最大のイベントである。今年は瓜谷が実行委員長となり、瓜谷と今年の連を組んでいる楠ノ瀬麻紀が副委員長となった。

 実行委員会は、七つの連がくじで選ばれる。徹たちも偶然くじで選ばれ、委員として作業を行うことになった。
「やっぱり徹ちゃんとは、運命の糸が繋がってるのかなあ」
 隣の席からの聞こえよがしの独り言は、無視することにした。

 実行委員会以外の連が、他の連と組んで展示や活動を行う一方、実行委員会は昼間は裏方として徹し、その代わり前夜祭で弾ける。
 前夜祭は実行委員長の企画で学園祭を盛り上げ、後夜祭は学園祭最高のチームを実行委員会が表彰するのが恒例だった。

   * * * * * * * *

「俺は、前夜祭で仮装パーティーを行おうと思う」
 放課後、三年の教室で実行委員会の打ち合わせの席上、瓜谷がいつもの調子で宣言した。春先より更に日焼けした褐色の肌に、白い歯が目立つ。

「面白そう!」
 徹の隣の二年生が、すかさず声を上げる。徹たちは空いている席にばらばらと腰を下ろし、壇上では瓜谷が、徹たちの反応を楽しむように教卓に片肘をついていた。

 徹はリタの方を盗み見た。リタは、瓜谷の真意を見極めるかのように前方を見つめており、その顔からは賛意も拒否も読み取れない。
 次に楠ノ瀬麻紀を見ようとして、楠ノ瀬本人と目が合った。人の反応を気にするよりも、徹ちゃん自身はどう思ってるの――そう顔に書いてあって、徹の耳が赤くなる。

「徹ちゃんって分かり易いよね」
 意地の悪い声を出す楠ノ瀬に、恨みがましい視線を投げ掛けた後、徹は前を向いた。

「仮装パーティーって、仮面舞踏会みたいなのか?」
 実行委員の三年生が手を上げる。
「ハロウィーンみたいなのですか?」
 今度は一年生だった。黒板を背にした瓜谷は、乗ってきたなとばかりに歯を見せた。

「楠ノ瀬とも相談したんだが、生徒全員でカーニバルみたいなのをしよう。仮装させた生徒を二組に分けて、俺らがそれぞれのチームリーダーになって真っ向勝負をしようぜ」
「仮装っていっても、怪しいマスクを被るようなのじゃなくて、カッコいいやつだから」
 楠ノ瀬が補足する。

「早速、実行委員会を二チームに分けるぞ。くじ引きとジャンケンでどっちがいいか?」
 瓜谷は話が強引なくらい早かった。それでいて、くじ引きかジャンケンか選ばせるあたりがうまい。

 結局くじ引きでチームを分けた。プリティー・チームは楠ノ瀬麻紀を含めて女子だけで五人、ファイヤー・チームは徹とリタを含む五人になった。ほかに照明と音楽、会場運営で五人の計十五人である。
 瓜谷は「俺は司会だ」ということだった。


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