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二度とこの子に手を出したら許さない (向日葵7)

2008年10月30日 22:55

 二人は夜の街を無言で歩いている。

 あの後、徹は地面に転がっている男達から、自動車免許を取り上げた。
「コピーを取ってから近所のコンビニに預けとく。二度とこの子に手を出したら許さない」
 徹の言葉に、男達は血走った目で睨みつめるだけだった。

 コンビニでコピーを取ると、三枚の免許証を落し物だといって、レジのアルバイトに預けた。ついでに買った缶コーヒーを持って、外に出る。
 そのまま二人で歩くうちに、いつしか景色は繁華街から住宅街へと変わった。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように、あたりは静まり返っている。車通りも無く、家路へと急ぐ自転車が何台か追い越していくだけである。曇っていて星は見えず、湿気を帯びた風が微かに夏草の匂いを運んできた。

 有為は徹を振り返ろうともせず、肩を怒らせて大股で歩いている。制服のリボン・タイが左に大きく曲がったままなのにも、気付いていない。
 
 徹自身も、何と声を掛けてよいかわからず一歩遅れてついていった。送って欲しいと言われたわけではないが、このまま一人で帰すわけにもいかない。何か言葉をかけようかとも思うが、かといって何と言っていいかもわからない。

 徹は、途中から面倒なことを考えるのをやめにした。ただ有為の後を歩きながら、時に夜空を見上げ、時に有為の背中を眺める。
 二人は結局、一言も喋らないまま有為の家の前まで辿り着いた。
 
 荻原――その家の表札を確かめて徹は安堵した。
 あとはこのコピーを渡せば終わりだ。
 だが、有為は門の前で足を止めると、そのまま動かない。自宅の門灯に照らされた有為の後姿は、癇癪を起こしている子供のようだった。

「何で……」
 有為が不意に振り返ると口を開いた。今日会ってから最初の言葉だった。
 「何で、学校では弱い振りして……」

 咎める口調であった。何か返事をしようものなら、堰を切ったように疑問と怒りとが噴き出すに違いなかった。徹は一瞬迷った後、有為の問いに答える代わりに男達の免許証のコピーを差し出した。

「お父さんに相談するといい。それと」
 ――膝、消毒しなよ。
 それだけ言うと、コーヒー缶と一緒に有為に押し付ける。

 いつ擦りむいたのか、有為の右膝から血が滲んでいる。有為が指で軽くなぞり、その感触に顔を顰めながら顔を上げた時には、既に徹は走り出していた。

 有為の手に、免許証のコピーと缶コーヒーが残った。
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鬼ごっこはおしまいか? (向日葵6)

2008年10月29日 23:34

 荻原有為は、西砂の雑居ビルの前で高宮たちと別れると、一人で歩き出した。

 試験も終わったことだし、ぱっと行こうぜ――高宮の誘いに乗って、さっきまでカラオケボックスで歌ってきたところだった。有為のクラスメイト二人も一緒である。二人とも高宮のファンだという。

 確かに高宮はハンサムだ。少し自惚れが強過ぎるとは感じるが、有為自身も男は自信家のほうが良いと思う。うじうじしている奴を見ると、イライラする。
 そこで何故か、有為は姉のクラスメイトを思い出した。

 年下の少女に庇ってもらって、耳を赤くしていた男。

(だっさい――)
 有為はそう呟くと、カバンを抱えなおして路地を歩く。高宮は送っていこうと言ったが、代わりにクラスメイトのことを頼んだ。
「あたしなら気にしないで。昔は有理と一緒に合気道も習ってたし」
 だが、いつからか三人の男が後をつけてくることに気が付いた。

 三人とも大学生くらいだろうか。酒でも飲んでいるのか、にやけた笑いを張り付かせて近付いてくる。有為は自然と早足になったが振り切れない。走り出そうか迷っていると、不意に男の手が後ろから有為の腕を取った。

「ねえ、彼女。俺達と遊ばない?」
 有為は黙ったまま、乱暴にその手を払って歩き出す。

「痛え! 骨折れちまったよ」
 ドレッドヘアの男の大袈裟な声に、唇にピアスをつけた男が困ったように肩を竦めた。
「おいおい、どうしてくれるんだよ」
 スキンヘッドの男が自分の前に回り込む。

 決して人通りの少ない道ではないが、サラリーマン達はこの光景が見えないかのように、顔を背けて立ち去っていく。有為は男たちを睨みつけて脇をすり抜けようとしたが、横のピアス男に腕を押さえられた。

「まあ急ぐなって。それとも美人のお友達でも呼ぶか」
 そう言って下卑た声で笑う。
 有為は唇を噛締めると、もう一度男の手を振り払って脇道に入ったが、男達も嬌声をあげながら有為を追いかけて来る。有為は軽く舌打ちすると、路地を曲がり、雑居ビルの間を走り抜けた。

(交番か、せめて、コンビニでもあれば)
 そう思って走るが、こんな時に限って酔客相手の店ばかりで見つからない。大通りに一直線に向かわなかった判断の悪さを呪う間もなく、有為は路地裏に追い詰められてしまった。

 そこは雑居ビルのゴミ置き場だった。
 男達も有為も肩で息をしている。有為の栗色の髪の毛は額に張り付いてしまっていた。一方、男達はこれから起きることを想像して、濁った目を血走らせている。

(屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ屑だ。一人では何も出来ないくせに、昼間は何も出来ないくせに、酒を飲まなければ何も出来ないくせに――)

「いい加減にしてよ、警察呼ぶわよ」
 そう言って睨んだとき、一人がナイフを出すのが見えた。思わず足がすくんだ。
(こいつら慣れてる――)

 途端に声が喉に絡んで、小さくなる。
「た、高宮先輩」
 その声はもはやか細く、路地裏の喧騒に吸い込まれた。

 男達が距離を詰める。一歩下がろうとした有為は何か足を取られ、思わず小さな叫び声を上げた。
 スキンヘッドの男の舌なめずりが目に入り、嫌悪感から無意識に身震いする。カバンを胸の前に抱く。

「鬼ごっこはおしまいか?」
 男達は既にズボンの前が怒張していた。ドレッドヘアの男が、これ見よがしに指で車のキーを回す。
「彼女、俺達と遊びに行こうぜ」
 反射的に有為は、男の手を払いのけた。

「何すんだ、このガキ!」
「いいから、さっさと積んじまえ!」
 群がる男達に有為が悲鳴を上げたその瞬間、トレーニング・スーツの徹が飛び込んできた。

   * * * * * * * *
 
 相手は三人。一人はナイフを持っている。
 咄嗟にそれだけ確認すると、徹はナイフを持った男へ疾った。

「な、何だこの野郎!」
 薄汚れた長髪を振り乱し、ピアス男は徹にナイフを向ける。
 先ほどの稽古の通り、無意識に体が動いた。

 自分の左腕でナイフを持った男の右手を制しながら、掌でナイフを押さえる。その手の上に自分の右掌も重ね、身体を開きながら男の手首の関節をねじりきる。
 ぶちり。
 徹の耳に、聞こえるはずのない音が響いた。

 唸り声を立てて男が右肩から横転する。それを見届ける間もなく、スキンヘッドに向かった。呆然と立つ、その懐に低く飛び込む。
 ずくっつ。
 徹は左肘をスキンヘッドの鳩尾に入れ、続けて左拳を顎に撃つ。仰け反る相手の後ろに回り、両手で肩を後ろに引き倒す。背中をアスファルトに打ちつけたスキンヘッドは、そのまま失神した。

 あと一人。
 ようやく自分の置かれた状況を認識したドレッドヘアの男は、全身を震わせていた。
 怒りか、それとも恐怖なのか。

「て、てめぇ」
 頭一つ高いその顔は歪み、声は裏返っている。だが、徹は男にそれ以上の時間を与えなかった。腰を落として襲い掛かる徹に、男は泣くような奇声を発しながら、警棒に似た武器を振りかざしてきた。

 ざん。
 ドレッドヘアを巻き込む竜巻のように、徹は両腕を上げて背後に入る。

 左腕を下ろしながら男のこめかみを押さえる。右腕は相手が振り下ろした警棒を追いかけながら、上から被せる。ソシアル・ダンスのように二人の動きが同調したその直後、ドレッドの首をぐりっと捻った。
 警棒を振り下ろす勢いを加速させられた男は、潰されるように崩れ落ちた。
 
 この間、二十秒余り。
 もう、立っているのは有為と徹だけだった。
 有為はカバンを両腕で胸に抱いたまま、白い顔で唇を震わせている。
 
 徹は黙って、目の前に手を差し出した。

ま、それが普通の反応だよね (向日葵5)

2008年10月29日 00:30

 何で学校には試験があるのだろう。
 何で学期毎に試験があるのだろう。

 学校の数だけ、生徒の数だけ繰り返されたはずの台詞を呟きながら、徹は教室の机に向かっている。早いもので、六人で公園に行ってから三週間。あっという間に一学期の中間試験である。

 転校して自分の成績の居所が分からない徹としては、不安な一週間である。ナンバーワンの連を選抜するのに、成績も重要であることは間違いなかった。互いに学年一位の杉山想平と荻原有理が組むことは、それだけで脅威らしい。

 公園に行って以来、有理とは踏み込んだ会話が出来ていなかった。リタとも、まずは試験に集中しようと、放課後に会うのを止めていた。リタはイギリスでは相当優秀だったらしいが、国語は勿論のこと、日本の文系授業への対応には限界がある。ここは徹が頑張るしかない。

 数学の試験を五分ほど時間を残して解き終え、徹は考える。
 何故、みんなナンバーワンの連を目指すのだろう。

 いや、この表現は正確ではない。
 ナンバーワンを目指している連は、実のところそれほど多くない。学園で百八十組のうち、本気なのは十組もないかもしれない。残りの連は、あわよくば、という程度だろう。

 宝玉を手に入れると、どうなるというのだろうか。
 昨日、ついに疑問に耐え切れず楠ノ瀬麻紀に聞いてしまった。過去二年連続ナンバーワンの瓜谷悠と組んだ、今や「本命」の楠ノ瀬にである。

 そこで徹は初めて知ったのだが、ナンバーワンに選ばれると、翌年度の学園祭と体育祭の一部を自由に決められるということだった。

 参宮学園は夏に学園祭、秋に体育祭がある。学園祭は夏休み前の最終週の土日に開催される。一方、体育祭は十月の体育の日だ。前年度ナンバーワンの連には、学園祭で前夜祭を、また体育祭で午後の種目を自由に企画できる特権が与えられる。

 要は、今年度は瓜谷が学園祭の実行委員長を務め、有理が体育祭の実行委員長を務めるということなのだ。

 翌年のイベントを企画できるのか――そう納得した後で疑問が湧く。
「でも、連に三年生がいた場合は?」
「ああ、そういう意味では、その人は卒業するから何もなし」

 思わず、それって不公平じゃないかと言いかける徹を、楠ノ瀬は制した。
「でもね。夢が叶うらしいよ」
 現実的な楠ノ瀬には、似つかわしくない台詞だった。徹の口を開けた表情を見て、楠ノ瀬は皮肉っぽく鼻に皺を寄せた。

「ま、それが普通の反応だよね。きっと徹ちゃんもナンバーワンになれば分かるよ」
「それって一体――」
「おっと、ライバルに口を滑らしちゃうとこだった。じゃあねぇ、徹ちゃん」
 楠ノ瀬は、思わせぶりな口振りのまま去っていった。

 確かに、好きなイベントを企画するのは面白いに違いない。杉山想平はこのタイプだろう。
 そんな特典がなくても、勝負に勝ちたい奴だっているだろう。これは高宮の馬鹿か。

 でも、リタはそうじゃない。きっと本当に夢を叶えたいんだ。

 そこまで昨日のことを思い出したところで、試験の終わりを告げる鐘が鳴る。これで中間試験も全て終了だった。
 徹は本屋に寄ってから、稽古に行くことにした。

   * * * * * * * * 

 稽古が終わって師である鳴神静瑛の家を出ると、午後九時を回っていた。飯でも食っていけ――そんな誘いに、つい長居してしまった。
 徹は帯を畳んでリュックにしまうと、静瑛の家を出た。引越して、道場から自宅までの距離も随分近くなり、徹はトレーニングの為にジョギングで帰っている。
 
 徹の自宅までは、途中で西砂の繁華街を抜ける必要がある。 徹はトレーニング・スーツ姿で歓楽街を黙々と走っていたが、不意に聞こえてきた悲鳴に立ち止まった。

 同世代の少女の声だった。
 空き缶の転がる音と一緒だった。そして男達の低い声。

 徹は躊躇った。
 繁華街ではよくある光景に違いない。君子危うきに近寄らずだ。いや、そもそも空耳だったか。
 立ち止まって耳を澄ましたが、もう少女の悲鳴は聞こえてこない。

 十秒ほどそうしていただろうか。軽く額の汗を拭い、再び走り出そうとして――
 その時、確かに聞き覚えのある声がした。
 今度は短い悲鳴だった。

 徹は衝動的に走った。その声が誰のものか思い出せないまま走った。塀越しだが、声は近い。キャバクラの脇を曲がり、煙草と酒の匂いのする男達の集団をすり抜ける。

 そして、徹は目指す相手を見つけた。

僕たち決めたんです (向日葵4)

2008年10月26日 23:05

「いやあ、楽しかった」

 瓜谷が両脇を見回す。並んでいた徹は杉山の車椅子を押しながら頷いた。夕日が六人の顔を正面から照らす。久我瀬公園から駅へと向かう欅の並木道、今までひとしきり遊んでの帰り道だった。自分たちの影が後方へと長く伸びている。

「でも、ちょっと焼きすぎちゃった。こんなに晴れると思わなかった」
 有理が困ったように自分の両腕を触ると、瓜谷が「俺もお肌が心配」と話を合わせる。楠ノ瀬が声を出して笑った。
「面白い男だな」
 リタが、瓜谷の引き締まって褐色に焼けた肌と、長い茶色の髪をしげしげと眺める。

 今日こうやって来たこと自体は、正解だったと思う。
 聞けば参宮学園の生徒は、こうして毎年ゴールデンウィークに出歩くのだそうだ。確かに、公園には見知った顔が何組か来ていた。
 
 結局、有理とは昼間以降、話の続きをすることはなかった。
 それでいいと思う。何かを期待した自分が愚かだった。傷が浅くて、勘違いが大きくならなくてよかった。
 
 だが、そんな風にしか思えない意気地の無い自分が心底嫌だった。横では、そんな徹の心の内など気付くことなく、有理とリタが楽しげに話を続けている。
 徹が深呼吸をして気持ちを入れ替えようとした、その時だった。

「明日からだね」
 杉山が車椅子からリタに呼びかけた。徹の機先を制した――そう表現するに相応しいタイミングであった。
 リタは杉山の言葉を予想していたらしい。何が、とも聞かずに目で同意する。

「何だ、お前ら駅まで待てないのか。若い奴はせっかちだな」
 瓜谷もからかっているようで、やはりわかっているらしい。徹は有理を盗み見ると、少し寂しげだったが、直ぐに演武前の真剣な顔つきに変わった。

「私達はナンバーワンを狙うことに決めたの。確かに競争相手は多いけど、負けない」
 有理は一呼吸おくと、言葉を続けた。
「私達が一番のライバルだと思うのは、貴方達」

 瓜谷はふてぶてしく薄ら笑いを浮かべ、その言葉を聞いている。リタは、対照的に軽く顎を引いて口を一文字に結んでいる。
「僕達決めたんです。僕達が認めるライバルたちに、正々堂々と宣戦布告しようと」
 杉山が毅然とした態度で有理の後を継いだ。ほっそりとした色白の頬を、少しだけ紅潮させている。

 瓜谷がごりっと頭を掻くと、車椅子を押している徹の横に立った。杉山と、その後ろでどう答えていいか分からず視線を左右に走らせている徹の、それぞれの肩に手を置いた。
 いや、置いただけではない。そのまま大きな手にぐいっと力を込められた。

「いいぜ。勝負したければ気合入れて来い」
 瓜谷は腕に力を込めたまま、入学式でリタに見せたあの笑顔を浮かべていた。
 徹は、とか何とか言って――と誰かが混ぜっ返すことを期待したが、誰も何も言わなかった。楠ノ瀬さえも、ま、しょうがないか、そう呟いただけだった。

 そのまま六人は、胸にそれぞれの思いを抱いたまま駅まで無言で歩いた。徹自身、数え切れないほど自問自答を繰り返したが、結局、思いを口にすることは無かった。
 ほどなく駅に着くとお互い短く挨拶をして、家の方角へと別れていく。

 きっと徹は、一番情けない顔をしていたに違いなかった。一人、二人去る中で、その場から離れられず立ちつくしている。既に歩き出していた有理が、振り返って溜息をついた。
 ――と思ったら突然駆け寄ってきて、徹の耳元に唇を寄せた。
 徹は一瞬にして固まる。

「有為なんかに負けたら、許さないからね」
 そう囁いて、有理は再び駐輪場へと走り去っていく。
 黒髪からは、やはり金木犀の匂いがした。

 傍らでリタが僅かに口を尖らせたが、徹は有理の後姿をただ眺めていた。

――って聞いてる? 徹君 (向日葵3)

2008年10月26日 00:26

 六人は瓜谷を先頭に、歩いて十五分ほどの久我瀬公園へ向かった。
 久我瀬公園は、綺麗な芝生が広がる県立公園である。最初は遊園地や映画の案もあったが、杉山想平が車椅子であることと、楠ノ瀬麻紀がお弁当を作りたいと主張したこともあってピクニックとなった。

 徹には意外だったが、楠ノ瀬の家は母親が料理教室を開いていて、麻紀本人もかなりの腕前とのことだった。
「徹君、幸せねぇ。麻紀ちゃんの手料理はおいしいって評判なんだよ」
「でもあたし、実はお菓子の方が得意なんだ。ケーキとか」
「私も甘いものは好きだ」

 コンビニでペットボトルと紙コップを買い込んで公園に着くと、もう十二時を回っていた。空には雲一つなく、背中に軽く汗が滲む。
「いい天気でよかったな、リタちゃん」
 シャツの袖を捲り上げた瓜谷が、隣のリタに相槌を求める。
 
 瓜谷は、当初の印象ほど背が高いわけではなかった。身長だけであれば高宮の方が高い。だが、形のいい小さな頭と鼻筋の通った顔、引き締まった長い手脚とが相まって、見る者にどこか日本人離れした印象を与える。リタと並んで見劣りしないその姿に、徹は一層その思いを強くした。
 
 一方のリタは瓜谷の容姿など全く無関心な様子で、淡白な返事を返す。
「そうだな、瓜谷の言うとおりだ」
「今日は三十度近くなるんじゃないか」
「ああ、暑いな確かに」
言葉とは裏腹に、リタは汗一つかいていない。瓜谷は苦笑して肩をすくめた。
「リタちゃん、もうちょい話のつながる相槌うってくれよ」

リタは心外だとばかりに瓜谷を一瞥すると、口を開いた。
「わかった。では、日本の五月の平均気温はどのくらいだ?」
「……いや、そんな話の転がし方じゃなくて」

 少し離れた芝生の上では、楠ノ瀬と杉山が楽しそうに話している。徹は有理と、大木の下に座っていた。有理は鹿の子のポロシャツに股上の浅いデニムのブーツカットを穿いている。並んで座ると腰から肌が覗き、徹はそれだけで落ち着かなかった。

「――って聞いてる? 徹君」
「あ、ごめん。何?」
 有理が形のいい眉を寄せていた。

 澄んだ空からは木々の葉を揺らすように微風が吹いており、肌だけでなく耳にも心地が良い。横に座る徹の元には、風に乗って微かに有理の黒髪の匂いが届く。
 艶やかな髪からは、金木犀に似た匂いがした。

「こないだ有為達が迷惑かけたでしょ、学食で」
 有為に「カッコ悪い」と言われた記憶が蘇り、耳が少しだけ熱くなる。
「いや、問題は有為ちゃんっていうより、高宮の馬鹿で」
 慌てて体の前で手を振る徹に、有理は申し訳なさそうな顔になった。

「御免ね。あいつ焼餅焼きで」
 徹はその言葉に引っかかった。嫌な予感に顔を顰めたが、有理は徹の変化に気付かない。
 
「あいつって、有為ちゃんじゃなくて、うちのクラスの高宮?」
 恐る恐るの問い掛けに、有理が首を縦に振る。徹は何かの間違いであって欲しいと祈りながら、話を続けた。ついさっきまでの幸せな気分は、どこかへ消し飛んでしまっていた。

「がっちりしてて、手に拳ダコとかあって――」
 徹の問いかけに、さして嬉しくもなさそうに有理が相槌を打つ。
「そうなの。あいつ、空手の全国大会準優勝だから」

 全国大会準優勝。本来ならさらっと流すような単語では無いのだが、有理の真意が気になる徹は、あえて先を急いだ。
「……その高宮が焼餅焼きで、困っちゃうって?」
 思わず語尾の震えた徹に対し、有理は物憂げな顔で死刑宣告した。

「あたし、つきあってるからってすぐ束縛する奴って、駄目だと思うんだ」

まずは出発だ (向日葵2)

2008年10月25日 03:12

「明るい、男女交際~」
「瓜谷さん何ですか、その歌は」

 結局、五月三日は、徹の連と荻原有理の連、楠ノ瀬麻紀の連の三組で公園に出掛けることにした。
 決まってまず徹がしたことは、服を買いに行くことだった。上から下まで揃えるのは予算的に無理だったので、悩みに悩みシャツを選んだ。家に戻ると、間の悪いことに姉の望とばったり玄関で出くわした。紙袋を抱えた徹を見ると、望は意地の悪い笑いを浮かべて自分の部屋に戻っていったのだった。

 徹はそんなことを思い出しながら、瓜谷と並んで立っている有理を横目で見る。
 有理は待ち合わせの場所に、自転車で現れた。
「遅刻しそうになって焦っちゃった。髪の毛ばさばさ」
 有理は、額の汗をハンカチで軽く押さえて笑った。

「あれ、リタちゃんは?」
 徹が首を横に振ろうとしたところに丁度、濃緑色の外車が静かに止まった。ブロンド女性の運転手が外に出ると後部座席のドアを開ける。そこから赤い髪の少女が黒いロングスカートをふわりと翻して降り立った。
 歓声を上げて迎える徹たちに目で頷くと、今度は運転手に英語で言葉を掛ける。運転手の女性は、気をつけてと言ったのだろうか。一言二言リタに告げると車で去っていった。

「リタちゃん、綺麗!」
 有理が賞賛の声を上げる。リタも、セシルと呼ばれた女性ほどではないが背が高い。赤い髪が太陽の光を受けて輝き、白いシャツに映えていた。洋服が欧米人のためにあることを実感する。
 そうこうするうちに楠ノ瀬麻紀と車椅子に乗った杉山想平もやって来て、全員が揃った。

「で、これから呼ぶ時は、藤原とリタちゃんでいいかな」
 瓜谷が皆の前で早速声を掛けてくる。リタと徹が頷くと、瓜谷は徹を見て顔をしかめた。
「おい頼むぜ藤原。ここは『僕のことは徹ちゃんって呼んでくれないんですか』って返すのが基本だろ」
 瓜谷が額にかかった、男にしては長いその髪をかき上げる。年の差こそ一つだが、私服の瓜谷は遊び慣れた大学生にしか見えなかった。

 徹が口を開く前に有理が笑顔で答えた。
「いいんです。徹君は突込みよりもいじられるほうが味が出るから」
(オギワラユリ、そんなこと言うか……)
「そうそう。それに徹ちゃんを『徹ちゃん』って呼ぶのはあたしだけで十分」
(楠ノ瀬……よくわかんないよ、それ)
「なるほど」
(リタ……何にどう納得したんだよ)

「今日は、先輩方ありがとうございます」
 少女たちが徹をからかって話を続ける中、ごく自然に杉山想平が入ってきた。ようやくの助け船に、喜んで徹が応じる。
「礼を言うことじゃないって。一度杉山とも話してみたかったし」
 その言葉に瓜谷と楠ノ瀬も頷いた。

「本当ですか。でも――」
 そう言って杉山はリタを見上げた。メタルフレームの奥の瞳が好奇心に輝いている。
「リタ、君こそ今年の注目株だよ」
 杉山が車椅子から身体を起こし、眼鏡を押し上げる。リタは杉山を真直ぐ捉えながら言葉を返した。
「私のクラスでは、お前が最もナンバーワンに近いという評判だぞ」

 杉山は、途端に顔を輝かせた。
「聞いた? 有理さん、僕に声を掛けられてラッキーでしょ」
 得意げに振り返る。一見、優等生風だが仕草に愛嬌もある。有理にも大分馴染んでいる様子が窺えた。

「うん、ラッキー」
有理も楽しげに返事をすると座が湧き、瓜谷は短く口笛まで吹いた。
「よし、もう自己紹介はいいだろう」
 瓜谷が一同を見廻すと、指を南の方角に向けた。その先には爽やかな五月の空が広がっている。

「まずは出発だ」

うーん、男らしくないぞ (向日葵1)

2008年10月24日 02:38

 連の組み合わせが決まると、暦はゴールデンウィークである。

 徹が帰り支度をしていると、するするっと荻原有理が寄ってきた。これから部活なのだろう、赤いスポーツバッグが膨らんでいる。
 徹は反射的に教室を見渡して高宮がいないことを確認した。と同時に、そんな反応をした自分に落ち込む。

「ライバルのオギワラユリが、何の用だい」
 徹が自己嫌悪から立ち直ろうとしながら尋ねると、有理は目の前で軽く拝む仕草になった。相変わらず有理の対人距離は、徹よりかなり近い。
「ゴールデンウィーク空いてる?」

(これはもしかして)
 途端に心臓の鼓動が倍になった。
「空いてるよ」
(平静を装うことがこんなに難しいなんて)
 徹は唾を飲み込んで、有理の次の台詞を待った。

「一緒に遊びいかない? ゴールデン・ウィークに仲良くなるのって連の基本なんだけど、やっぱり何組か一緒の方が自然なんだよね」
 有理の誘いに、徹は思わず声が裏返った。
「い、いいけど。みんなの予定合わせるの大変じゃない?」
(だから、二人で出掛けようって)

 徹は必死に電波を送る。そんな真剣な顔つきを不安の表れと誤解したのか、有理は腰に手を当ててると任せろとばかりに胸を張った。
 確かに荻原有理の胸は大きくなかった。
 だが、そんなことはこの際、問題ではない。全くもって問題ではない。

「既にオギワラユリが根回し済だから、大丈夫」
「へ?」
 徹は間の抜けた声を出した。有理は徹の反応など無頓着に続ける。
「みんな、五月三日だったら空いてるって」
(みんな……みんなってことは……みんなってことは)

「リタも?」
「リタちゃんも」
「杉山も?」
「杉山君も」
 声が小さくなっていく徹に、有理が大きく頷いた。

「もしかして、俺に最後に声掛けた?」
「あ、徹君ちょっと暗い顔した。うーん、男らしくないぞ」
「……押忍」

第二章 向日葵/ 闇の中で人々を喰らっておる (向日葵0)

2008年10月23日 01:58

 かつて、参宮学園が弦桐寺と呼ばれていた頃の話である。

 その年の霜月、鬼門岳が噴火した。
 億千万の雷鳴の如し、そう記された大爆発だった。黒き石砂が一昼夜振り続けたという。噴火から既に数ヶ月、年が明けても余震は収まらなかった。
 
 やがて、奇妙な噂が流れ始めた。
 曰く、夜な夜な凶獣が徘徊している、と。
 曰く、近隣の村々からいつの間にか住民が消えている、と。

 そんな中、葛原家の若き当主、葛原貞義のもとに一人の男が訪れたのは如月のことであった。

「では、そなたはこの日本が異界と繋がってしまったというのか」
 四十畳程はあろうかという部屋に男と二人。上座に腰を下ろした貞義の言葉には、明らかな嘲笑が混じっていた。口髭を弄りながら冷ややかに尋ねる。一方の訪ねてきた男はと言えば、頬は削げ目は窪み、その憔悴ぶりは誰の目にも明らかであった。

 全身埃塗れの男は真剣な表情で、ひび割れた唇を開いた。
「鬼門岳は古くより、現世と冥界とを繋ぐ門として知られた霊峰。それが裂けて何事も起こらぬ方がむしろ不思議かと」

「それで、我らに一体何をしろと言うのか」
 横柄とも取れる態度を崩さぬままの貞義に対し、男は畳に擦りつけんばかりに深々と頭を下げた。
「宝玉を拝借致したい」

 ぴくりと左の頬を動かした貞義に対し、男はそのままの姿勢で言葉を継いだ。
「葛原家に伝わる宝玉の噂は、我が地まで届いておられる」

「ただの噂だ」
 貞義の答えはにべも無かった。
 そんなはずは――思わず頭をもたげる男に貞義は不快そうに言い放つ。
「葛原家当主の言葉を信じられぬというか」

 男は慌てて首を振りつつも、貞義の真意を図りかねていた。が、当の貞義は、既に男から興味を失ったかのように立ち上がると男の後方に声をかけた。
「客人は今日は泊まっていかれるそうだ。部屋をご用意してさし上げよ」

   * * * * * * * *

 その夜、床に就いた男は、部屋の外に佇む気配に気付いた。
 黙って傍らの刀に手を伸ばすと、障子の外から声が掛かった。
「先程の話、続きを聞かせてくれぬか」

 当主の貞義の妹、葛原木蘭が立っていた。
 胸の辺りまでかかる豊かな髪は見事なまでに銀色に輝き、肌は陽の下に出たことがないかのように白い。只でさえどこか人ならぬ印象を与える姿だが、揺るぎない瞳と相まって、闇に浮かぶひと振りの鋭利な刀を連想させた。

「そなたは宝玉で何をするつもりか」
 木蘭の問い掛けに咄嗟に男は左右を見渡した。冷え冷えとした板張りの廊下には他に人影は無い。上限の月も雲にその姿を隠しており、濃密な闇が庭先に広がるだけである。

 未婚の娘を夜更けに部屋に招き入れる行為。まかり間違えば如何なる咎となるのか、わからぬ男ではなかった。男は暫く木蘭の瞳を見つめていたが、やがて決心し木蘭を招き入れると口を開いた。

「音に聞こえた夢見の宝玉で、我が命と引き換えに凶獣を封じるつもりであった」
 凶獣、その聞き慣れぬ響きに木蘭が訝しげな表情を浮かべる。年の頃は貞義より十歳は下であろうか。改めて近くで見ると、ふとした表情に少女の面影も残っているが、かといって男と二人で怖じる様子もない。

「闇の中で人々を喰らっておる。自分も凶獣が娘を咥えたまま消える姿を見申した」
 真剣な面持ちで男は続けた。
「草木は枯れ果て人々は飢え、凶獣が徘徊する。地獄絵さながらでござる」
 何が脳裏に浮かんだのか一瞬男の唇が震えたが、直ぐに元に戻った。

「その化け物の数は、どの程度か」
 一頭と答える男に対し、木蘭は訝しげに眉を顰めた。

「たかが一頭、人数を集めて討ち取ることは適わなかったのか」
 もっともな疑問を口にした木蘭に対し、男は静かに答えた。
「我が一族の男は、もはや我が身を含めて片手にて足る数にまで減り申した」

 思わず目を見開いた少女に構わず、男は続けた。
「あれは闇が形を取った魔性の獣。煙と同様、幾ら切り裂いても傷を与えることが出来申さん。総力を挙げて挑んだものの打ち滅ぼせず、恥を忍んで参った次第」

 その言葉の意味する衝撃的な事実に、木蘭は口を真一文字に結んで柳眉を寄せる。
 部屋の僅かな灯りが、その玲瓏たる美貌と老婆のような銀髪に微妙な陰影を与える。

(凶獣が異界のものであれば、この娘もまた夢幻か――)
 男にとって、そう思わずにいられない光景であった。

 不意に木蘭の双眸に強い光が宿った。
「承知した、宝玉をお貸ししよう」
 思わず膝立ちとなる男を制し、木蘭は言葉を続けた。
「とはいえ、葛原家の家宝をみだりに預けるわけには行かぬ。私が参ろう」

 男は木蘭の言葉に息を呑んだ。
「とてもそのような……女人が足を踏み入れるような地ではござらぬ」
 だが、木蘭は僅かに目を細めただけであった。男がなおも何か言いかけようとしたその瞬間、木蘭は立ち上がった。
「十五日までにそちらに伺おう。兄上にはこの話、内密に」

 返事も待たず、銀髪の少女は姿を現したときと同様、音も無く去っていった。

(あれが葛原の鬼娘殿か――)
 男は、いつの間にか顔を出した月を見上げて深く息を吐いた。

警告したからな (桜12)

2008年10月19日 22:13

 翌日から、徹とリタは極力一緒に行動することにした。
 そうすることで何が変わるのか、二人にもわからなかった。だが、自分たちには必要なことだという思いは揺ぎ無かった。休み時間にお互い教室に寄っては、他愛のない話をした。

 そして数日後の昼休み、二人で混雑する学食に行ったときのことだった。
 リタはランチボックスを持参している。先に席を取っておく――そう言ってリタは背を向け、徹が麺類のコーナーへ急いだところで、見覚えある少女とすれ違った。

「あれ、有為ちゃん」
 徹の声に、荻原有為は怪訝そうな表情を浮かべた。
 徹は言葉を続けようとして、その後ろに立っている男に気付いた。
 高宮武だった。
 
 高宮は荻原有為を後ろに下がらせると、覆い被さるように徹を睨みつけてきた。
「また女に声掛けてんのか、藤原ぁ」
 高宮の台詞も不快だったが、続く有為の言葉に徹は表情が強張った。

「藤原……さんですか。すいません、覚えてなくて」
 声を掛けられることに慣れた台詞だった。
 高宮がもう一度威嚇するように顔を近づける。その面長で彫りの深い顔立ちが、酷薄そうに歪んでいる。
「どっか行けってよ」
 外見だけであれば有為と釣り合っている。そう表現できる高宮の容姿だったが、唇は徹に対する感情を映すかのように歪んでいた。徹は思わず一歩後ずさった。

 ただならぬ事態に気づき始めた周囲の視線が、集中する。だが止めようとする者は無い。この後どうなるのか見てみたい、そんな好奇と期待の視線が大半である。
 どうすべきか。徹が逡巡したその時――

「徹に何をする!」
 騒ぎに気付いたリタが割って入った。
 徹を庇う様に足を大きく開き、両の拳を握り締めて高宮の前に立つ。まさに燃え立つ炎であった。

「そっか……リタの組んだ人か」
 ようやく思い出したかのように有為が呟く。だが徹には、その後の独り言まで耳に入った。
 年下の子に助けられるなんて、カッコ悪い――

 屈辱感に顔が熱くなった。
 一方で、自らの優位を確信している高宮の眼はリタを通り越し、徹に照準を合わせたままである。

「よかったな、連れが助けに来てくれて」
 高宮はそう言うと、べろんと、どこか卑猥な仕草で唇を舐める。どこかグロテスクなその大きな拳を胸の前で重ねて見せる。不快な仕草ではあるが、そこまでなら耐えられた。だが、反応を示さない徹に対して高宮はさらに言葉を継いだ。
「俺は強いぜ」

 高宮の言葉を聞いた瞬間に小さな音を立てて、何かが徹の心の中で外れた。
 徹は無言で、リタの前に一歩出る。周囲が無謀さにざわめいた。
 
 混雑した学食の中で、高宮と徹を遠巻きに取り囲むように輪が出来始める。何か言いかけようとしたリタを、徹は黙って腕で制した。
「警告したからな」
 高宮が嬉しそうに、軽く前足でステップを踏み始めたその時だった。

「徹ちゃん、リーたん!」
 能天気な大声が、学食中に響き渡った。
「早く来てよ、さっきから待ってるんだから。貧血で倒れたりしたら、徹ちゃんどう責任取ってくれんのよ!」
 場の雰囲気など全く気付かぬように、楠ノ瀬麻紀が大股で近付いてきた。

 徹の耳とリタの手を取り、客扱い慣れした笑顔で徹たちを連れ去っていく。徹は、思わず間の抜けた悲鳴を上げながら、楠ノ瀬の後を追った。リタも、突然出現した楠ノ瀬に諾々とついていく。
 高宮も、毒気を抜かれたように立っていた。

「高宮に有為ちゃん、またね」
 振り返った楠ノ瀬の言葉に、観客達が安堵とも失望とも取れぬ溜息を漏らした。

   * * * * * * * *

 告

 本年度の連は以下の通りとする。

…………
 リタ=グレンゴールド(一年一組) ― 藤原徹(二年三組)

…………
 杉山想平(一年二組) ― 荻原有理(二年三組)

…………
 荻原有為(一年三組) ― 高宮武(二年三組)

…………
 楠ノ瀬麻紀(二年三組) ― 瓜谷悠(三年三組)

…………
 
 以上

 五月一日
 参宮学園高校 事務局

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私を見たとき運命を感じなかったのか (桜11)

2008年10月18日 01:42

「私は、宝玉を手に入れるために来た」
 
 学園から歩いて二十分ほどの高台に立つ洋館で、徹はリタと向き合って腰掛けていた。
 窓から外を見ると、季節の花々が美しく咲き乱れている。この館の主が誰であれ、愛情を持って庭を手入れしていることは明らかだった。
 
 徹は、天井の高さや絨毯の毛足の長さがどうにも落ち着かない。防音設備が施されているのでは、そう思わせるほど室内は静かで、時計の音だけがやけに響く。
 先ほど紅茶を運んできた女性も気になる。遠縁と言っていたが、その立ち振舞いは秘書を連想させた。

「徹には、一緒にナンバーワンの連を目指してもらいたい」
 私服に着替えたリタの、シャツ越しの肩の薄さや脚の細さが目についた。背は百七十四センチある徹とあまり変わらないが、近くで見ると思いのほか華奢な身体つきをしている。落ち着いた話し方と比べ、どこかアンバランスだった。

「リタ、どうして僕を選んだんだい」
 リタは青い瞳を徹に向けた。背後の窓から差し込む西日が、徹の目を射る。
「前から、力を持つ者を探していた」
 その低い声が、徹の耳に神託のように響く。

「私の前で徹が『あれ』を使ったのは、まさに運命だった」
 赤い髪の少女は軽く顎を上げた。
「私は、神の導きに感謝している」
 リタの言葉の幾つかは、徹には理解不能だった。だが、そのどれもが確信に満ちており、端々に覗く宝玉への思いは圧倒的ですらあった。

(果たして自分は、リタの探す「力」を持っているのだろうか――)

 徹の心の動きを知ってか知らずか、リタは咎めるような調子で徹を覗んだ。
「徹こそ、私を見たとき運命を感じなかったのか」

 自宅でのリタは、普段よりも徹の前で感情を見せている気がする。
 知り合ってまだ僅かではあるが、容易に人前で表情を崩すタイプでないことは分かる。そんなリタがふと見せる表情は、徹の心を揺らす。

「凄く強い印象だった。なんたって『私に任せてくれ』だから」
「預けて欲しい、だ」
 リタは訂正するが、徹には微かな照れが混じっている気がする。

「声を掛けられたときは、なぜか懐かしくて、でも不安。そんな感じだった。何となく匂いもしたし」
 訝しげな表情を浮かべるリタに、徹は困って頬を掻いた。
「懐かしい匂いがしたんだ。変だろ、笑っていいよ」

「匂いか――」
 リタは笑う代わりに、徹の台詞を吟味するかのように腕組みをした。
「五感は決して軽んじられない。見て考えるか、触れて感じるか、それとも匂いで捉えるか。アプローチの違いでしかない。私自身、触れることで相手を確認することがある」
 リタは組んでいた腕を元に戻すと、再び紅茶で喉を潤した。

「あ……だから連を申し込んだとき、リタは手を組んで――」
 徹の言葉に、リタが当然だとばかりに頷いた。陶器のように白い頬に僅かに朱が差す。
「手を握れば、相手の善悪ぐらいわかる。無論、肌と肌の接触面が広ければ更に感度が高まるが」

 肌と肌との接触――

 リタの誇らしげな口調とは裏腹に、徹はあらぬ妄想に顔を赤くし、慌てて邪念を追い払う。徹は強引に話題を変えると、ひとしきり入学式でのリタの印象について語った。

 いつの間にか夕闇が訪れ、窓に自分達の姿が映り込んでいる。そろそろ帰るか――徹が立ち上がりかけたとき、リタが徹に微笑んだ。

 いや、その言い方は不正確だった。
 目の前の年下の少女は、莞爾として微笑んだのだった。

「徹、お互い悔いの無い一年を過ごそう」
 その顔には一片の迷いも無かった。何者にも媚びず、何者に対しても奢らず、己の決断に誇りを持ち、そして相手の決断を信じる瞳であった。
 徹は瞬きすら忘れ、リタを見つめていた。

(リタ……僕はリタに選ばれたことを誇りに思うよ)
 徹は、この瞬間を忘れないだろうと確信した。

 一方リタは、厳粛な気持ちに打たれている徹を前になぜか、小さく思い出し笑いをした。
「そうか。徹は匂いでイメージを捉えるのか」
「いや、そんな大袈裟なものじゃ――」 

 慌てて首を振る徹の前で、微かにリタの口の端が上がった。  
「私もエジンバラにいたときは、コーギーを飼っていたぞ」

二年連続で一人は切ないよ (桜10)

2008年10月15日 00:49

 リタは、それから毎日徹の教室に来るようになった。
 連を申し込まれたとき、徹は確かに何か匂いを嗅いだはずだが思い出せない。血の匂いだった気もするが、今はリタの髪から仄かに甘く乾いた香りが漂うだけである。

「ふうん、リーたんは遠縁のお姉さんと二人暮らしなんだ。で、また聞いちゃうんだけど、リーたんは徹ちゃんのどこがいいと思ったわけ」
 楠ノ瀬麻紀が興味丸出しで覗き込む。
 今日は学食の丸テーブルを二つ繋げ、徹たちはリタを囲むように食事を取っていた。メニューから徹と桐嶋はカレーを、楠ノ瀬麻紀はサンドイッチを選び、荻原有理とリタは持参した弁当を広げている。

「ナンバーワンになるために、徹が必要だからだ」
 当然といった表情でリタが答える。
「ふ、藤原のどこが必要だったんだ、リ、リーたんは」
「今は説明できない」
 あまりに簡潔なリタの答えに、桐嶋が左右に広がる太い眉をハの字にして、気にしないでくれと慌てて手を振る。リタの一言には妙な威厳があり、徹や桐嶋などしばしば圧倒されてしまう。

「リタちゃんは、ライバルと思う子はいないの?」
 有理の問いかけにもリタは表情を変えず、ナプキンで口を拭いながら首を横に振った。
「あたしの妹なんかどう? 荻原有為って知ってる?」
「知らない。だが、二年生では貴方がライバルだろう」

「敢えて言えばって感じね。昨年の優勝者に、一応敬意を払ってくれたってとこかしら」
 有理が苦笑いした。

(昨年の優勝者?)
 徹はカレーを頬張ったまま目を見開き、他の全員が何を今頃といった表情で徹を見る。有理は弁当の苺を摘みながら、
「まあ、去年は瓜谷先輩のおかげだし。でも、今年もいい線いくかな」
 澄ました顔で口の中に入れた。

「お、荻原さんは、今年も瓜谷先輩と組むつもりかい?」
 有理は、勢い込んだ桐嶋を手で制して苺を飲み込むと、
「今年は、一年の杉山君と組むことにしたんだ」
 と答えた。

 入学式で挨拶した一年生の注目株の名を耳にして、徹たちは驚きの声を上げる。周囲が何事かと振り向いたが、当の本人は涼しい表情で楠ノ瀬に話題を振った。
「麻紀ちゃんは、結局どうしたの」

「楠ノ瀬も人気あったよね」
 徹の問いかけに、楠ノ瀬は艶然と髪の毛を掻き上げる。
 今日のピアスは水色だった。
「何度も麻紀ちゃんって呼んでって、言ってるのになぁ」
「……」

「それより桐嶋。あんた大丈夫? 二年連続で一人は切ないよ」
 楠ノ瀬の無遠慮な問いかけに、小柄な桐嶋がさらに身を小さくして俯く。ひとしきり桐嶋の話で盛り上がった後で、リタが何気ない調子で話しかけてきた。

「徹、今度うちに来ないか。今後の策を練りたい」

 楠ノ瀬が、大袈裟に徹の肩を抱いた。
「頑張ってね、徹ちゃん」

縦では、肋骨の隙間に入らないなあ (桜9)

2008年10月12日 01:43

 リタの申し込みの事実は、直ぐに学園中を駆け巡った。
 全校生徒が三百六十人の、小さな参宮学園である。その場に数十名の生徒がいたことを考えると、当然とも言えた。留学生が珍しいことに加えて、徹自身が転入生であることも手伝い、今年の連の台風の目になったのは間違いなかった。

「ふ、藤原。例の赤い髪の子が、『お前の命を預けてほしい』って抱きついてきたって、本当かよ」
「命じゃないって」
「で、でも、抱きついてきたって」
「抱きついてないって」

 しつこく詰め寄る桐嶋をあしらいながら、徹はその後のリタとの遣り取りを思い出していた。
 どこで自分を知ったのか訊いた徹に対し、リタは、十日ほど前に学園で、と答えた。

 (あれを――子猫を助けた時のあれを、見られたのだろうか)

 迷いの無い瞳が、徹の脳裏に焼きついている。吸い込まれそうな青さを思い出しながら、軽く頭を振った。 
 リタは何故、鳴神流が必要だと考えたのだろう。徹自身、鳴神流が如何なるものか実は分からない。日本舞踊と称しているが、実態はもっと禍々しいものである――その程度は徹も認識している。

 礼儀作法が身に付き、立ち振る舞いがきちんとするから。そんな理由を口にして習わせた両親は、どれだけ真実を理解していたのだろう。使う道具こそ扇や帯、鈴ではあるものの、血なまぐさい歴史が背後にあることは疑いない。
 幼い日に徹が、扇を横に寝かせて突き出す動きを質問したことがあった。その時の師の答えは、今も思い出せる。

「縦では、肋骨の隙間に入らないなあ」
 
 徹はその後、十二歳の春に正式に一門としての名を得た。
 鳴神徹瑛――これが藤原徹の鳴神としての名前である。師の孫娘で、徹の姉の幼馴染でもあった鳴神菖蒲は当時、徹の入門に大反対した。驚くほど激しい抵抗だった。

 鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと――

 今思うと、当時の菖蒲は病的にやつれていた。当時の徹は、菖蒲に一言だけ問うた。
「でも、あやちゃんも鳴神なんだろ」
 
 徹にとっては、その理由だけで十分だった。

ヒロインを描いて頂きました (物語について3)

2008年10月11日 03:22

ついに、「マイピク」様からイラストが届きました。

ブログ小説を機に、前から気になっていたハルノ◇イズミ様にお願いして作ってもらったのがこれです。
[ヒロインを描いて頂きました (物語について3)]の続きを読む

では、確かめよう (桜8)

2008年10月10日 00:48

 想像だにしていなかった口説き文句だった。
 徹も、そしてクラス中の全員も絶句した。
 高宮を取られずに済んだと喜びかけた他の一年も、ただ絶句した。
 教室の時計の秒針が刻む音だけが響き――
 
「あっはっは……やっぱ徹ちゃん、大物だ」
 ただ一人、一足早く復活したのは、隣にいた楠ノ瀬麻紀だった。
 周囲は未だ硬直したままである。が、リタは全く気にすることなく、徹だけを真正面から捉えていた。

「あの、グレンゴールドさん……多分人違いだと思うんだ。第一、僕の名前を知らないってことは――」
 申し訳なさそうに話しかける徹の言葉を、リタは左手を挙げて制した。
 ターコイズ・ブルーの瞳の中に抑え切れない興奮が映っているのを見て徹は息を呑み、軽く勃起した。

「間違いない」
 リタの表情は揺るがなかった。
「いや、そういっても――」
「では、確かめよう」
 リタは突然、徹の右手を取ると、自分の左手と指同士を組み合わせた。

 教室中が息を呑んだ。先ほどまでとは性質の異なる、異様な静寂が辺りを支配する。
 楠ノ瀬麻紀さえも、再び押し黙った。
 徹は恋人同士のように指を組み合わされ、そのまま石になってしまった。 

 身体の中で、激しく渦巻く興奮と混乱。そして、リタが教室に入ってきて以来感じているこの匂い。
 甘くなど無い。芳しくなど無い。
 では何故、自分がこの匂いをこんなにも懐かしく思うのか。

 徹は、名前を呼ぶのが精一杯であった。
「リ……タ」

 リタは徹と手を繋いだままで軽く瞳を閉じると、何事かを呟いた。
 白い肌に、薄らと雀斑の浮かんだ高く細い鼻。意思の強さが示された真直ぐな眉。
 前髪の間から覗く額には、隠すことの出来ない聡明さが宿っている。
 必ずしも完璧な美人とはいえない。が、見る者を惹きつけずにいられないその顔が、軽く頷いた。
 
 瞳を開くと、リタは先ほどの言葉を繰り返した。
「徹、お前を探していた。お前の一年を私に預けて欲しい」

 徹は首を横に振ろうとした。
 誓ってそのつもりだった。
 だが、口を突いて出たのは全く別の言葉だった。

「僕でよければ」

 徹は、至るところから響き渡る驚愕の叫びを、他人事のように聞いていた。

見つけた  (桜7)

2008年10月08日 23:34

 入学式から三日が過ぎた。
 そのとき徹は、一時間目の教科書を出していたところだった。
 
 入学式の日以来、特に高宮武に絡まれることなく、とはいえ一言も口をきくことなく過ごしている。
 高宮は決して楠ノ瀬が言うほど「馬鹿」ではなく、徹を体育館裏に呼び出すことも無ければ、椅子がへし折られるとことも無かった。
 
 高宮には、今日も女生徒が連の申し込みに来ている。一八五センチを超える長身に、それなりのルックスであることを考えると、新入生の行動はむしろ当然ともいえた。
(これであの殺気がなければな……)
 日に何度となく強烈な視線が高宮から向けられることは、相変わらずであった。もちろん、その理由は分かっている。

 何とかしろよ、オギワラユリ。

 その本人は、徹の悩みなど気にする風もない。というより、部活と新入生の熱烈なアタックに時間を割かれているようだ。徹が合気道部への入部を辞退して以来、大した会話も無く過ぎている。
 徹が軽く溜息を付いたとき、教室の前の扉が勢いよく開いた。

 振り向くと、背の高い一人の少女が立っていた。
 
 燃えるような赤い髪が、見る者の目を刺す。廊下の外から、外の空気が流れ込んでくる。徹の頬を撫でていく風はどこか懐かしく、それでいて不安にさせる匂いがした。
 
「見つけた」
 赤い髪の少女はぼそりと呟くと、教室の中に入ってきた。
 入学式の遣り取りを覚えていた者は互いに囁き合い、少女が誰の前に立つか固唾を呑む。
 
 徹は、歩いてくる少女と高宮とを交互に見比べた。
(彼女も高宮のところに来たか――)
 驚きはない。が、徹本人ですら気付かぬ僅かな失望が、心に影を差す。一方の少女は唇を一文字に結んだまま、大またで足を進めた。群集を掻き分けるかのように周囲には目もくれない。

 少女は高宮の席を通り越した。
 周囲の囁きがざわめきに変わった。高宮の顔が一瞬引き攣り、直ぐに視線をあらぬ方向へと逸らした。
 なおも少女は歩みを止めない。
 誰が目当てなのか。
 少女の歩みと共に対象者が狭まり、それに比例するかのように教室の緊張感が高まっていく。

 そして――

 少女は徹の席の前に立っていた。
「見つけた」
 今度は、はっきりと勝ち誇ったように少女は喋った。

「私はリタ=グレンゴールド。お前の名前を教えてほしい」
 クラスのざわめきが一段と大きくなる。
 徹は余りに予想外の展開に、ただ口を開けていた。

 空耳ではないか――
 目の前の光景が信じられないでいる徹に、少女は苛立つでもなく同じ言葉を繰り返した。

「もう一度言う。お前の名前を教えて欲しい」
 間違いはなかった。
 少女のターコイズ・ブルーの瞳は、確かに徹を捉えている。徹はごくりと唾を飲み込んだ。
「ふ、藤原徹……」
 気圧されたように自分の名を口にすると、リタは満足げに頷いた。

「フジワラトオルか。お前を探していた」

キマイラゆりかご変 (物語について2)

2008年10月07日 18:44

 作品の雰囲気を伝える説明として、前回は「六番目の小夜子」+「マリア様がみてる」だと書きました。

 今回、別の例を考えてみたら、「幻獣少年キマイラ」+「樹上のゆりかご」になりました。
[キマイラゆりかご変 (物語について2)]の続きを読む

自己紹介に何書いたんだ? (桜6)

2008年10月07日 01:36

 有理に負けず劣らずの美少女が、歩いてくるところだった。
 有理と同じくらいの背格好で、栗色の外巻きの髪。同じ制服を着ているのに、周囲と明らかに異なる華やかさを身に纏っている。有理は、妹の有為だといって三人に引き合わせた。

 手足が細いな。それが徹の第一印象だった。
 
 ユイと呼ばれた少女は、徹たちを露骨に品定めする視線を向けると、
「有理、あたし負けないから」
 そう言って姉の前で胸を張った。

「もう、組む相手は決まったの?」
 何気ない有理の言葉にも、有為は過敏に反応する。
「熟慮中。有理こそ変な相手と組んでがっかりさせないでね」

 変な相手。
 その言葉の中に自分が含まれていると感じるのは、気のせいだろうか。徹は自分の卑屈な想像を振り払って、話しかけた。
「やっぱり姉妹で似てるね。有為ちゃんの方がちょっと背が高いかな?」
 場の雰囲気を和らげたい。それだけだった。
 が、馴れ馴れしい――そう言わんばかりに有為が眉を顰めた。徹が思わず目を伏せると、

「惜っしいなぁ」
 楠ノ瀬が皮肉っぽく声を掛けた。
「素材は負けてないんだけどね。いや、お姉ちゃん以上かな。でも未熟」
 有為はあからさまに不機嫌な顔になる。その表情もかわいいと思ってしまう自分が情けない。
 
 有理が妹の態度をたしなめようと、口を開きかけたところで、
「とにかく勝負だからね」
 そう有理に言い捨てて、有為は友人の輪に戻っていった。

「あらら、怒っちゃったかな」
「でも、確かに可愛い」
「御免ね。ほんとあの子未熟で」
「……ちょ、ちょっと怖かった」

 徹たちが各人各様の感想を漏らしたところで、楠ノ瀬が話題を変えた。
「それにしても、有理ちゃんみたいに相手が押しかけて来るのも大変だよね」
 大げさに天井を見上げて言葉を続ける。
「あたしの所にも、やたら男の子が来るんで参っちゃって」

「……楠ノ瀬、自己紹介に何書いたんだ?」

  * * * * * * * *


「リタ様、探していた者は見つかりましたか」

 その夜、学園から離れた洋館の一室で、赤い髪の少女はそう問いかけられていた。月には薄く霞がかかり、淡い光が高窓から室内に差し込んでいる。

「知っているか、セシル。こういう夜を朧月夜というそうだ」
 少女は問いに答えることなく、傍らに佇むブロンドの女を見上げて語りかける。
「この国の言葉は、風情があるな」
 セシルと呼ばれた女は黙って頷く。
 
 大ぶりのソファーと年代物の家具が置かれた広い応接間に、リタとセシルの二人きりである。二人の年齢差は七、八歳あるだろうか。セシルの理知的な表情は如何にも有能な秘書然としており、若き主人が語るのを静かに待っている。
 果たして、少女はおもむろに言葉を継いだ。
 「見つかった。いや、正確に言うと目星はつけた」

「では――」
「名前はわからない。だが近いうちに会えるだろう」
 リタ=グレンゴールドはそれきり会話に興味を失ったように、卓上のカードに手を伸ばす。ほっそりとした指でカードをひとしきり弄ぶと、黒革のソファーに深々と背中を沈めて目を閉じた。

 如月の宝玉か。
 一年を賭けるに値するものであればよいが。

 気付くとリタの前には、紅茶が湯気を立てていた。既にセシルの気配はない。さり気ない気配りに感謝しながら、リタはカップを手にした。
 窓から覗く月は静謐さを湛え、リタを蒼く照らしていた。

確かに、麻紀ちゃんには負けるよね (桜5)

2008年10月06日 01:32

 その翌日も、荻原有理への申込みは絶えることなく続いた。
 リボンをかけた大きなプレゼントを渡そうとする者や、いきなり目の前で絶叫する者。噂を聞きつけた他のクラスの同級生や三年生も教室を覗くようになり、休み時間の人口は一気に膨れ上がった。

「やっぱり荻原さんの人気は、け、桁違いなんだ。凄いね」
 クラスメイトの桐嶋和人が徹に声をかけてきた。

 桐嶋は昨日の午後、自分も高宮に目を付けられていると告白してきた。

 小柄で気弱な、いかにも不良生徒の的になりそうなタイプである。眉毛が太く頬骨がでたその顔は、一つ一つをとれば凛々しい表情を浮かべてもおかしくない造作だった。だが桐嶋の場合は、その内面を映すかの如く瞳は落ち着かなく左右に動き、その眉は広がるに従って垂れている。
 襟元からは古傷が見え隠れしているが、本人の説明によれば交通事故のためとのことだった。親しげに話しかけてくる仕草には仲間を見つけた安堵感が漂っていて、徹は正直複雑だった。

「ぼ、僕らにも誰か、声をかけてくれる一年生はいないかな」
「桐嶋は去年、誰と組んだんだ?」
 徹の問いかけに、桐嶋は恥ずかしそうに、昨年は誰とも組めなかったと告白してきた。徹は慌ててフォローしようとしたが、楠ノ瀬麻紀がそれを遮って話しかけてきた。

「桐嶋ぁ。あんた徹ちゃんと自分が一緒だと思ってるみたいだけど、それ、すっごい勘違いだから」
 意地悪そうな笑みを浮かべている。なおも必死で言葉を探す徹に声が掛かった。

「徹君、お昼ご飯食べにいこうよ」
 黒髪をなびかせて荻原有理が立っていた。あたしも――楠ノ瀬麻紀は元気よく立ち上がると、桐嶋に囁く。
「ほら、わかった?」

「桐嶋も行こうぜ」
 徹の誘いに桐嶋も寂しげに頷くと、四人は学食に向かった。

 学食は大勢の生徒達でごった返して、席を取るにも一苦労である。四人揃ってトレイを置いて座る頃には、十二時半を回っていた。

「それにしても荻原は人気あるね。自分で言うだけのことはあるな」
 徹の言葉に、有理がハンバーグを口に入れるのをやめて首を傾げてみせる。
「ほら、オギワラユリは競争率高いって」
 口真似をしてみせた徹に、有理が思い出したかのように、にっこりした。
「ああ、あれは、ちょっとした冗談」
 
 楠ノ瀬麻紀はやれやれとばかりに肩をすくめると、しらっと付け加えた。
「でも、胸はあたしの方が大きいけどね」
 桐嶋はどう反応したらいいかわからないようで、三人の顔を見比べている。

 有理は茶目っ気たっぷりに、
「確かに麻紀ちゃんには負けるよね」
 そう相槌をうつと、徹に向き直った。
「徹君、合気道部に入らない? 素質あると思うし、頑張れば段位もとれるよ」

「うーん。ありがたいけど、きっと部活には入らないよ」
 徹は、有理の肩越しに見える下級生達の視線が気になっていた。有理がいるだけで周囲の視線がテーブルに集まるのだ。いや、視線だけでない。確実に聞き耳も立てている。
 慣れていない徹は、それだけで落ち着かなかった。

「仮入部だけでもすれば、徹君も新入生との接点が増えると思うんだけど」
 当の有理本人はといえば、至って平気で気にする素振りもない。徹を眺めながら、楠ノ瀬麻紀がからかうような表情を浮かべた。

「徹ちゃん、優しい言葉に勘違いしないようにね」
「ああ。オギワラユリは競争率高いしね」
 徹が心配無用とばかりに頷くと、突然、有理は学食の入口に手を振った。
「あ、ユイ!」

同志を待つ (自己紹介)

2008年10月05日 02:47

ちょっと唐突ですが自己紹介です。

性別: 男 

職業: 会社員 

趣味: 物語を読むこと 

ひと言: 同志をお待ちしています。

俺、先輩のために何でもします (桜4)

2008年10月04日 00:27

 前途多難な予感に徹が溜息をついているうちに、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。徹が、背伸びをして立ち上りかける。
 と、いきなり一年生が数人、教室に雪崩れ込んで来た。脇目も振らず荻原有理の席まで歩み寄ると、先頭が大声を張り上げた。
「一年三組の山本雄一です。荻原先輩、自分と連を組んでください」
 
 すぐ後ろの男が押しのけるように前に出る。
「自分は一年一組の北里剛史です。先輩の噂は入学前から聞いてました」
 順番を待ちきれないように、後ろの方からも別の声が掛かる。
「荻原先輩。俺、先輩のために何でもします」

 有理の席は既に五、六人の一年生に取り囲まれていた。気付くと教室には他にも一年生が姿を見せ、徹のクラスメイトに声をかけている。
(なるほど、こういうシステムなのか)
 徹は、宇田川や瓜谷の説明をようやく実感した。

「だーめ駄目。どうせあたしと組んだら、すぐやらせてくれると思って来たんでしょ」
 ぎょっとして振り返ると、楠ノ瀬麻紀がニキビ面の男子生徒を、片手であしらっていた。
「あたしは理想高いの。悪いけど他あたって」
 肩を落とす一年生を横目に、楠ノ瀬が意味深に笑いかけてくる。
「徹ちゃんが一年生だったら、よかったんだけどなあ」

 予想外の言葉に徹が顔を赤くすると、楠ノ瀬はその反応に満足げな表情を浮かべて教室を出て行った。再び有理の方を見ると、こちらもあっさり勝負あったようで、一年生たちがすごすごと帰るところだった。
 
(有理は、誰と組むんだろう)
 周囲ではまだ、クラスメイトたちと一年生の駆け引きがあちこちで続いている。だが、自分目当てにやって来た一年生は皆無だった。

(ま、転入生のところに初日から来る子はいないか)
 人より特に目立つわけでもない。敢えて他人との違いを探せば日本舞踊くらいだが、これとてインパクトがあるとも思えず、しかも実態は古武術である。女子高生が興味を持つとは到底思えなかった。

 徹は、一年生向けの冊子に書いた自己PRの出だしを思い出してみた。
 藤原徹――四月に転校してこの学園にやってきました。君らと同じ新入生のつもりで、全力投球しようと思います。一緒に楽しい学園生活を送りましょう。

 改めて思い返すと、我ながら冴えない内容だった。
 徹は首を振ると、カバンを持って立ち上がった。

しかも空手なんかやってるから、けっこうやばいかもよ (桜3)

2008年10月02日 00:38

 入学式が終わり、徹は担任の西川と廊下を歩きながら、先程の出来事を思い返していた。
 赤い髪の少女も車椅子の新入生も、宝玉を手に入れるため入学したかのようだった。

(如月の宝玉って、何だろう)

 ガタン
 西川が教室のドアを開ける音で、徹は頭を切り換えた。
「エーと、転入生を紹介します。藤原君といって」
 白髪混じりの西川のしゃがれ声を聞きながら、徹が教室を見廻すと、
「徹君?」
 黒髪の少女が、自分を指差して中腰になっていた。その瞬間、徹の頭に六文字が浮かぶ。

 オギワラユリ

「うっそぉ、同級生だったんだ。うわ……すっかりあたし勘違いしちゃった」
 西川が咳払いをして眼鏡を直す。
「荻原、落ち着け。お前ら知り合いか?」

「えっと、いや……」
「そうなんです!」
 徹と有理の声が重なった。西川が面倒くさそうに手を振る。
「わかったわかった。後でゆっくり話せ。まずは藤原、みんなに自己紹介だ」

 有理の顔を見た瞬間、徹は頭の中が真っ白になってしまった。用意してきた挨拶も、何一つ思い出せない。しどろもどろになりながら名前と前の住所を口にすると、西川が苦笑した。
「それだけか。随分と控えめな奴だな」
 徹は、已む無く言葉を捻り出した。
「家族は、両親と姉がいます。あとは――」
「彼女は?」クラスメイトの声が飛んだ。
「えっと、いません」

「当然だろ」
 突然の乱暴な声が徹を遮った。ざわついていた教室が一瞬にして静まり返る。振り向くと、長身の男が椅子に浅く腰掛けたまま足を投げ出して、徹を睨み付けていた。
 踵を踏みつけた上履き。短い茶髪に両耳のピアス。面長でどちらかといえばハンサムな顔立ちだが、薄い唇が不快そうに歪んでいる。
 徹の最も苦手とするタイプだった。膝の辺りで組んだ両拳のグロテスクな蚯蚓腫れが、人を殴り慣れていることを雄弁に物語っていた。

「高宮、感じ悪いって」
 有理が睨んだが、高宮と呼ばれた男は徹から目を逸らさない。徹は気を取り直して続けた。

「まだここでは友達がいないので、宜しくお願いします」
「あたしがいるって!」
 有理が、任せてとばかりに元気よく手を上げる。西川は再び面倒臭そうに手を振ると、
「席は――楠ノ瀬の隣だな。そこの空いてる席だ」
 右奥を指差し、徹は自分の席へと向かった。

 視線が痛かった。
 クラスメイト達は好奇心丸出しで徹を眺め、高宮からは露骨な敵意が刺さってくる。徹はうつむき加減で歩きながら、小さく溜息をついた。
 席に着くと、隣の楠ノ瀬麻紀が、早速シャープペンで徹の左肩を突付いてきた。
「初日からクラス一番の美少女とクラス一番の馬鹿にロックオンされて、もう大変って感じ?」

「あの……」
「あたしは楠ノ瀬麻紀。麻紀ちゃんって呼んで。オッケ?」
「えっと、楠ノ瀬……さん」
 楠ノ瀬は、唇を軽く尖らせて首を振った。
「麻紀ちゃん。オッケ?」
「……麻紀ちゃん」

「高宮って馬鹿だけど、でかいじゃない。しかも空手なんかやってるから、けっこうやばいかもよ」
 楠ノ瀬は茶色に染めた髪を揺らしながら、愉快そうに徹を見た。制服の白いブラウスから覗く肌が、綺麗に日に焼けている。首にはゴールドのチェーンが光り、耳元にはピンク色のピアスが覗いていた。

「なあ楠ノ瀬、そういう話はもう少し小声で……」
「麻紀ちゃんだって言ってるのに」
「……麻紀ちゃん」
「楽しみ、楽しみ。さっそく刺激的な学園生活。もう徹ちゃん、青春真っ只中?」

「おい、藤原と楠ノ瀬、私語止めろ。仲良くなるのはいいが、今は授業中だぞ」
(だから違うって……)


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