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第一章 桜/ 必ず男女で組んで下さい (桜1)

2008年09月27日 23:58

 四月六日、参宮学園での初日。講堂に座った藤原徹の耳に飛び込んできたのは、背の高い男がステージに並んだメンバーに出す合図だった。

「ワン・ツー・スリー、ゴー!」
 ドラムスティックを高らかに打ち鳴らす音と、続いて講堂中に鳴り渡るアニソン・ヒットメドレー。
 一列に講堂に入ってきた新入生達は突然の大音響に足を止め、やがて堪え切れずに一人、また一人と吹き出していく。

「お願い、お願い~」
 ステージでは先ほど合図を出した男がその整った顔を大袈裟に歪め、オーバーアクションで両手を前に突き出す。徹以外の在校生達はいつもの事と驚いた風も無く、歓声を上げ、手拍子を取る。

 横では、軽くウェーブのかかった茶色い髪の少女が、
「瓜谷先輩、やっぱ最高!」
 そう言いながら大笑いしていた。

「今日もいい天気ぃっと、センキュ」
 瓜谷と呼ばれていた男は絶叫し終わると、背筋を伸ばしてマイクに向き直った。いつのまにか新入生も全て入場し終えている。どうやら、これがこの学校の流儀らしかった。
「それでは只今から入学式を始めます。在校生起立」
 歌い終えた男の声は意外に低く、そして落ち着いていた。
 
 徹がショーのような始まりに呆気に取られている間に、入学式は淡々と進んでいた。車椅子の少年による新入生代表の挨拶も終了し、壇上では予想通り瓜谷と名乗った司会の三年生が連の組み方について説明を始めていた。

「明日から二週間、つまり四月十九日までに、一年生は自分が組みたい上級生を見つけて連を申し込んで下さい。会って話してもいいし電話でも手紙でもいい。但し、心優しき上級生を脅さないように」
 瓜谷悠は、場慣れた調子で左右を見渡した。
 男にしては長い髪と、均整の取れた長身。鼻筋の通った顔をくしゃっとさせて笑う姿が、見る者を惹きつける。

「上級生からのアプローチは禁止。申込みに来た一年生と組むか、断るかを選ぶことしかできません。提出した自己PRを信じて、首を長くして待っているように」
 再び瓜谷は歯を見せた。つられて在校生席にも笑いが広がる。

「相手を見つけないのも自由。但し、行事によっては一人の参加になるかもしれません」
 今度は新入生の席からざわめきが広がる。
 一人での行事参加。想像したくない響きに、徹は腹の奥がぎゅっと緊張した。

「四月二十日からは二年生の番です。一年生と組まずに残った二年生は、自分が組みたい三年生に連を申し込んで下さい。締切りは今月一杯です」
 
 徹は、転入案内に書いてあった説明を頭の中で反芻した。
 参宮学園では、自主性を尊重すると共に学年を超えた連帯を強めるため、異なる学年での組による活動を奨励しています。これを当学園では「連」と称しています――か。

「一年生諸君には上級生の自己PRを載せた冊子を用意したので、講堂を出るときに受取るように。以上、質問はありますか」
 瓜谷は手際よく説明を終えると新入生席を一瞥した。入学案内をよく読んできたのか、それとも周囲の卒業生から既に聞いているのか、手を挙げる者はいない。

「そうだ、大事なことを言い忘れた。男同士、女同士の連は認められません。必ず男女で組んで下さい」
 瓜谷は、その方が楽しいだろとばかりに片目を瞑る。そんな気取った仕草にも嫌味が無い。
「どうやら質問もなさそうなので」
 瓜谷がそう言いかけたとき、少女の声が響いた。

「ナンバーワンの連になれば、如月の宝玉を手にすることが出来るのか」

 講堂中の視線が集まったその一角、赤い髪を長く伸ばした外国人の少女が、挑むように立っていた。
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誰がその連を選ぶのか (桜2)

2008年09月30日 00:27

 キサラギノホウギョク
 少女が発した言葉は、異国の呪文のように徹の耳朶に響いた。
 抜けるように白い肌の色。 ビスクドールを連想させる硬質な表情に、見る者を貫く青い瞳と高く通った鼻筋。そして何より、燃えるような赤い髪。
 
 人目を惹く。
 その言葉では、少女の姿を伝えきることはできない。白黒フィルムの中で、そこだけが総天然色――手垢のついた表現だが、まさにこの場の彼女に相応しかった。

「誰がナンバーワンを選ぶのか、教えてほしい」
 少女には、瓜谷以外の存在は眼中にないかのようだった。
 瓜谷は、その視線を正面から受け止めていた。細めた目も、端を吊り上げた口元も、先程の笑顔と全く同じ形であった。が、身に纏う雰囲気が一変している。
 
 面白い。

 徹の目には、瓜谷の口がそう動いたように見えた。無意識に身震いしてしまう。じわり、講堂の緊張感が高まったところで、瓜谷の横にいた宇田川が自然な動作で立ち上がった。
「一年生の学年主任の宇田川だ。私から説明しよう」
 落ち着いた張りのある声が、講堂に響く。同時にそこかしこから、安堵の吐息が漏れる。

「確かに年度最後の一ヶ月、学園にある青い玉を一組の連に預ける伝統がある。例えるなら、持ち回りのトロフィーのようなものだ」
「誰がその連を選ぶのか」
 宇田川が言い終わるのも待たず、少女が尋ねる。

 赤い髪の少女は言葉に不自由していないようだが、日本で育ったわけでもないことは明らかだった。抑揚が少なく、話す内容も比較的シンプルである。それが逆に、聞く者に切っ先の鋭さを感じさせ、ある種の緊張感を生み出している。

「学校が選ぶ」
 宇田川の答えもまた、簡潔だった。
「勘違いして欲しくないのは、青い玉――如月の宝玉と呼んでいるが――を預かる連が、絶対だとは限らない点だ」
 ここで宇田川は、一呼吸置いた。
「教師には教師の見方があり、君達には君達の見方がある。その数だけナンバーワンがあると思ってもらって、構わない」

「要は先生方が選ぶということですね。成績が重視されるのですか、それとも課外活動ですか」
 一年生の中から新たな声がする。代表の挨拶をした、杉山という名の車椅子の少年だった。穏やかな響きだったが、何故かよく通った。

「全てを重視する。これでは納得できないかな」
 宇田川がそう説明した後で、瓜谷が愉快げに付け加えた。
「去年と一昨年は、俺の連が宝玉を預かった。こいつは参考になるかな」
 宇田川は瓜谷を一瞥すると、言葉を続けた。
「いずれにせよ自らのベストを尽くすことだけが、宝玉を手に入れる道だ」
 
 赤い髪の少女は、このゲームへの参加を全員の前で宣言するかのように、きっぱり答えた。
「わかった」
 そのターコイズ・ブルーの瞳は、一層青く輝いていた。車椅子の新入生代表も、後に続いた。
「僕も了解しました」

 壇上の宇田川は、二人の新入生の言葉に静かに頷くだけだった。
 だが徹には、その光る眼が何故か自分を見つめているように感じられた。

しかも空手なんかやってるから、けっこうやばいかもよ (桜3)

2008年10月02日 00:38

 入学式が終わり、徹は担任の西川と廊下を歩きながら、先程の出来事を思い返していた。
 赤い髪の少女も車椅子の新入生も、宝玉を手に入れるため入学したかのようだった。

(如月の宝玉って、何だろう)

 ガタン
 西川が教室のドアを開ける音で、徹は頭を切り換えた。
「エーと、転入生を紹介します。藤原君といって」
 白髪混じりの西川のしゃがれ声を聞きながら、徹が教室を見廻すと、
「徹君?」
 黒髪の少女が、自分を指差して中腰になっていた。その瞬間、徹の頭に六文字が浮かぶ。

 オギワラユリ

「うっそぉ、同級生だったんだ。うわ……すっかりあたし勘違いしちゃった」
 西川が咳払いをして眼鏡を直す。
「荻原、落ち着け。お前ら知り合いか?」

「えっと、いや……」
「そうなんです!」
 徹と有理の声が重なった。西川が面倒くさそうに手を振る。
「わかったわかった。後でゆっくり話せ。まずは藤原、みんなに自己紹介だ」

 有理の顔を見た瞬間、徹は頭の中が真っ白になってしまった。用意してきた挨拶も、何一つ思い出せない。しどろもどろになりながら名前と前の住所を口にすると、西川が苦笑した。
「それだけか。随分と控えめな奴だな」
 徹は、已む無く言葉を捻り出した。
「家族は、両親と姉がいます。あとは――」
「彼女は?」クラスメイトの声が飛んだ。
「えっと、いません」

「当然だろ」
 突然の乱暴な声が徹を遮った。ざわついていた教室が一瞬にして静まり返る。振り向くと、長身の男が椅子に浅く腰掛けたまま足を投げ出して、徹を睨み付けていた。
 踵を踏みつけた上履き。短い茶髪に両耳のピアス。面長でどちらかといえばハンサムな顔立ちだが、薄い唇が不快そうに歪んでいる。
 徹の最も苦手とするタイプだった。膝の辺りで組んだ両拳のグロテスクな蚯蚓腫れが、人を殴り慣れていることを雄弁に物語っていた。

「高宮、感じ悪いって」
 有理が睨んだが、高宮と呼ばれた男は徹から目を逸らさない。徹は気を取り直して続けた。

「まだここでは友達がいないので、宜しくお願いします」
「あたしがいるって!」
 有理が、任せてとばかりに元気よく手を上げる。西川は再び面倒臭そうに手を振ると、
「席は――楠ノ瀬の隣だな。そこの空いてる席だ」
 右奥を指差し、徹は自分の席へと向かった。

 視線が痛かった。
 クラスメイト達は好奇心丸出しで徹を眺め、高宮からは露骨な敵意が刺さってくる。徹はうつむき加減で歩きながら、小さく溜息をついた。
 席に着くと、隣の楠ノ瀬麻紀が、早速シャープペンで徹の左肩を突付いてきた。
「初日からクラス一番の美少女とクラス一番の馬鹿にロックオンされて、もう大変って感じ?」

「あの……」
「あたしは楠ノ瀬麻紀。麻紀ちゃんって呼んで。オッケ?」
「えっと、楠ノ瀬……さん」
 楠ノ瀬は、唇を軽く尖らせて首を振った。
「麻紀ちゃん。オッケ?」
「……麻紀ちゃん」

「高宮って馬鹿だけど、でかいじゃない。しかも空手なんかやってるから、けっこうやばいかもよ」
 楠ノ瀬は茶色に染めた髪を揺らしながら、愉快そうに徹を見た。制服の白いブラウスから覗く肌が、綺麗に日に焼けている。首にはゴールドのチェーンが光り、耳元にはピンク色のピアスが覗いていた。

「なあ楠ノ瀬、そういう話はもう少し小声で……」
「麻紀ちゃんだって言ってるのに」
「……麻紀ちゃん」
「楽しみ、楽しみ。さっそく刺激的な学園生活。もう徹ちゃん、青春真っ只中?」

「おい、藤原と楠ノ瀬、私語止めろ。仲良くなるのはいいが、今は授業中だぞ」
(だから違うって……)

俺、先輩のために何でもします (桜4)

2008年10月04日 00:27

 前途多難な予感に徹が溜息をついているうちに、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。徹が、背伸びをして立ち上りかける。
 と、いきなり一年生が数人、教室に雪崩れ込んで来た。脇目も振らず荻原有理の席まで歩み寄ると、先頭が大声を張り上げた。
「一年三組の山本雄一です。荻原先輩、自分と連を組んでください」
 
 すぐ後ろの男が押しのけるように前に出る。
「自分は一年一組の北里剛史です。先輩の噂は入学前から聞いてました」
 順番を待ちきれないように、後ろの方からも別の声が掛かる。
「荻原先輩。俺、先輩のために何でもします」

 有理の席は既に五、六人の一年生に取り囲まれていた。気付くと教室には他にも一年生が姿を見せ、徹のクラスメイトに声をかけている。
(なるほど、こういうシステムなのか)
 徹は、宇田川や瓜谷の説明をようやく実感した。

「だーめ駄目。どうせあたしと組んだら、すぐやらせてくれると思って来たんでしょ」
 ぎょっとして振り返ると、楠ノ瀬麻紀がニキビ面の男子生徒を、片手であしらっていた。
「あたしは理想高いの。悪いけど他あたって」
 肩を落とす一年生を横目に、楠ノ瀬が意味深に笑いかけてくる。
「徹ちゃんが一年生だったら、よかったんだけどなあ」

 予想外の言葉に徹が顔を赤くすると、楠ノ瀬はその反応に満足げな表情を浮かべて教室を出て行った。再び有理の方を見ると、こちらもあっさり勝負あったようで、一年生たちがすごすごと帰るところだった。
 
(有理は、誰と組むんだろう)
 周囲ではまだ、クラスメイトたちと一年生の駆け引きがあちこちで続いている。だが、自分目当てにやって来た一年生は皆無だった。

(ま、転入生のところに初日から来る子はいないか)
 人より特に目立つわけでもない。敢えて他人との違いを探せば日本舞踊くらいだが、これとてインパクトがあるとも思えず、しかも実態は古武術である。女子高生が興味を持つとは到底思えなかった。

 徹は、一年生向けの冊子に書いた自己PRの出だしを思い出してみた。
 藤原徹――四月に転校してこの学園にやってきました。君らと同じ新入生のつもりで、全力投球しようと思います。一緒に楽しい学園生活を送りましょう。

 改めて思い返すと、我ながら冴えない内容だった。
 徹は首を振ると、カバンを持って立ち上がった。

確かに、麻紀ちゃんには負けるよね (桜5)

2008年10月06日 01:32

 その翌日も、荻原有理への申込みは絶えることなく続いた。
 リボンをかけた大きなプレゼントを渡そうとする者や、いきなり目の前で絶叫する者。噂を聞きつけた他のクラスの同級生や三年生も教室を覗くようになり、休み時間の人口は一気に膨れ上がった。

「やっぱり荻原さんの人気は、け、桁違いなんだ。凄いね」
 クラスメイトの桐嶋和人が徹に声をかけてきた。

 桐嶋は昨日の午後、自分も高宮に目を付けられていると告白してきた。

 小柄で気弱な、いかにも不良生徒の的になりそうなタイプである。眉毛が太く頬骨がでたその顔は、一つ一つをとれば凛々しい表情を浮かべてもおかしくない造作だった。だが桐嶋の場合は、その内面を映すかの如く瞳は落ち着かなく左右に動き、その眉は広がるに従って垂れている。
 襟元からは古傷が見え隠れしているが、本人の説明によれば交通事故のためとのことだった。親しげに話しかけてくる仕草には仲間を見つけた安堵感が漂っていて、徹は正直複雑だった。

「ぼ、僕らにも誰か、声をかけてくれる一年生はいないかな」
「桐嶋は去年、誰と組んだんだ?」
 徹の問いかけに、桐嶋は恥ずかしそうに、昨年は誰とも組めなかったと告白してきた。徹は慌ててフォローしようとしたが、楠ノ瀬麻紀がそれを遮って話しかけてきた。

「桐嶋ぁ。あんた徹ちゃんと自分が一緒だと思ってるみたいだけど、それ、すっごい勘違いだから」
 意地悪そうな笑みを浮かべている。なおも必死で言葉を探す徹に声が掛かった。

「徹君、お昼ご飯食べにいこうよ」
 黒髪をなびかせて荻原有理が立っていた。あたしも――楠ノ瀬麻紀は元気よく立ち上がると、桐嶋に囁く。
「ほら、わかった?」

「桐嶋も行こうぜ」
 徹の誘いに桐嶋も寂しげに頷くと、四人は学食に向かった。

 学食は大勢の生徒達でごった返して、席を取るにも一苦労である。四人揃ってトレイを置いて座る頃には、十二時半を回っていた。

「それにしても荻原は人気あるね。自分で言うだけのことはあるな」
 徹の言葉に、有理がハンバーグを口に入れるのをやめて首を傾げてみせる。
「ほら、オギワラユリは競争率高いって」
 口真似をしてみせた徹に、有理が思い出したかのように、にっこりした。
「ああ、あれは、ちょっとした冗談」
 
 楠ノ瀬麻紀はやれやれとばかりに肩をすくめると、しらっと付け加えた。
「でも、胸はあたしの方が大きいけどね」
 桐嶋はどう反応したらいいかわからないようで、三人の顔を見比べている。

 有理は茶目っ気たっぷりに、
「確かに麻紀ちゃんには負けるよね」
 そう相槌をうつと、徹に向き直った。
「徹君、合気道部に入らない? 素質あると思うし、頑張れば段位もとれるよ」

「うーん。ありがたいけど、きっと部活には入らないよ」
 徹は、有理の肩越しに見える下級生達の視線が気になっていた。有理がいるだけで周囲の視線がテーブルに集まるのだ。いや、視線だけでない。確実に聞き耳も立てている。
 慣れていない徹は、それだけで落ち着かなかった。

「仮入部だけでもすれば、徹君も新入生との接点が増えると思うんだけど」
 当の有理本人はといえば、至って平気で気にする素振りもない。徹を眺めながら、楠ノ瀬麻紀がからかうような表情を浮かべた。

「徹ちゃん、優しい言葉に勘違いしないようにね」
「ああ。オギワラユリは競争率高いしね」
 徹が心配無用とばかりに頷くと、突然、有理は学食の入口に手を振った。
「あ、ユイ!」

自己紹介に何書いたんだ? (桜6)

2008年10月07日 01:36

 有理に負けず劣らずの美少女が、歩いてくるところだった。
 有理と同じくらいの背格好で、栗色の外巻きの髪。同じ制服を着ているのに、周囲と明らかに異なる華やかさを身に纏っている。有理は、妹の有為だといって三人に引き合わせた。

 手足が細いな。それが徹の第一印象だった。
 
 ユイと呼ばれた少女は、徹たちを露骨に品定めする視線を向けると、
「有理、あたし負けないから」
 そう言って姉の前で胸を張った。

「もう、組む相手は決まったの?」
 何気ない有理の言葉にも、有為は過敏に反応する。
「熟慮中。有理こそ変な相手と組んでがっかりさせないでね」

 変な相手。
 その言葉の中に自分が含まれていると感じるのは、気のせいだろうか。徹は自分の卑屈な想像を振り払って、話しかけた。
「やっぱり姉妹で似てるね。有為ちゃんの方がちょっと背が高いかな?」
 場の雰囲気を和らげたい。それだけだった。
 が、馴れ馴れしい――そう言わんばかりに有為が眉を顰めた。徹が思わず目を伏せると、

「惜っしいなぁ」
 楠ノ瀬が皮肉っぽく声を掛けた。
「素材は負けてないんだけどね。いや、お姉ちゃん以上かな。でも未熟」
 有為はあからさまに不機嫌な顔になる。その表情もかわいいと思ってしまう自分が情けない。
 
 有理が妹の態度をたしなめようと、口を開きかけたところで、
「とにかく勝負だからね」
 そう有理に言い捨てて、有為は友人の輪に戻っていった。

「あらら、怒っちゃったかな」
「でも、確かに可愛い」
「御免ね。ほんとあの子未熟で」
「……ちょ、ちょっと怖かった」

 徹たちが各人各様の感想を漏らしたところで、楠ノ瀬が話題を変えた。
「それにしても、有理ちゃんみたいに相手が押しかけて来るのも大変だよね」
 大げさに天井を見上げて言葉を続ける。
「あたしの所にも、やたら男の子が来るんで参っちゃって」

「……楠ノ瀬、自己紹介に何書いたんだ?」

  * * * * * * * *


「リタ様、探していた者は見つかりましたか」

 その夜、学園から離れた洋館の一室で、赤い髪の少女はそう問いかけられていた。月には薄く霞がかかり、淡い光が高窓から室内に差し込んでいる。

「知っているか、セシル。こういう夜を朧月夜というそうだ」
 少女は問いに答えることなく、傍らに佇むブロンドの女を見上げて語りかける。
「この国の言葉は、風情があるな」
 セシルと呼ばれた女は黙って頷く。
 
 大ぶりのソファーと年代物の家具が置かれた広い応接間に、リタとセシルの二人きりである。二人の年齢差は七、八歳あるだろうか。セシルの理知的な表情は如何にも有能な秘書然としており、若き主人が語るのを静かに待っている。
 果たして、少女はおもむろに言葉を継いだ。
 「見つかった。いや、正確に言うと目星はつけた」

「では――」
「名前はわからない。だが近いうちに会えるだろう」
 リタ=グレンゴールドはそれきり会話に興味を失ったように、卓上のカードに手を伸ばす。ほっそりとした指でカードをひとしきり弄ぶと、黒革のソファーに深々と背中を沈めて目を閉じた。

 如月の宝玉か。
 一年を賭けるに値するものであればよいが。

 気付くとリタの前には、紅茶が湯気を立てていた。既にセシルの気配はない。さり気ない気配りに感謝しながら、リタはカップを手にした。
 窓から覗く月は静謐さを湛え、リタを蒼く照らしていた。

見つけた  (桜7)

2008年10月08日 23:34

 入学式から三日が過ぎた。
 そのとき徹は、一時間目の教科書を出していたところだった。
 
 入学式の日以来、特に高宮武に絡まれることなく、とはいえ一言も口をきくことなく過ごしている。
 高宮は決して楠ノ瀬が言うほど「馬鹿」ではなく、徹を体育館裏に呼び出すことも無ければ、椅子がへし折られるとことも無かった。
 
 高宮には、今日も女生徒が連の申し込みに来ている。一八五センチを超える長身に、それなりのルックスであることを考えると、新入生の行動はむしろ当然ともいえた。
(これであの殺気がなければな……)
 日に何度となく強烈な視線が高宮から向けられることは、相変わらずであった。もちろん、その理由は分かっている。

 何とかしろよ、オギワラユリ。

 その本人は、徹の悩みなど気にする風もない。というより、部活と新入生の熱烈なアタックに時間を割かれているようだ。徹が合気道部への入部を辞退して以来、大した会話も無く過ぎている。
 徹が軽く溜息を付いたとき、教室の前の扉が勢いよく開いた。

 振り向くと、背の高い一人の少女が立っていた。
 
 燃えるような赤い髪が、見る者の目を刺す。廊下の外から、外の空気が流れ込んでくる。徹の頬を撫でていく風はどこか懐かしく、それでいて不安にさせる匂いがした。
 
「見つけた」
 赤い髪の少女はぼそりと呟くと、教室の中に入ってきた。
 入学式の遣り取りを覚えていた者は互いに囁き合い、少女が誰の前に立つか固唾を呑む。
 
 徹は、歩いてくる少女と高宮とを交互に見比べた。
(彼女も高宮のところに来たか――)
 驚きはない。が、徹本人ですら気付かぬ僅かな失望が、心に影を差す。一方の少女は唇を一文字に結んだまま、大またで足を進めた。群集を掻き分けるかのように周囲には目もくれない。

 少女は高宮の席を通り越した。
 周囲の囁きがざわめきに変わった。高宮の顔が一瞬引き攣り、直ぐに視線をあらぬ方向へと逸らした。
 なおも少女は歩みを止めない。
 誰が目当てなのか。
 少女の歩みと共に対象者が狭まり、それに比例するかのように教室の緊張感が高まっていく。

 そして――

 少女は徹の席の前に立っていた。
「見つけた」
 今度は、はっきりと勝ち誇ったように少女は喋った。

「私はリタ=グレンゴールド。お前の名前を教えてほしい」
 クラスのざわめきが一段と大きくなる。
 徹は余りに予想外の展開に、ただ口を開けていた。

 空耳ではないか――
 目の前の光景が信じられないでいる徹に、少女は苛立つでもなく同じ言葉を繰り返した。

「もう一度言う。お前の名前を教えて欲しい」
 間違いはなかった。
 少女のターコイズ・ブルーの瞳は、確かに徹を捉えている。徹はごくりと唾を飲み込んだ。
「ふ、藤原徹……」
 気圧されたように自分の名を口にすると、リタは満足げに頷いた。

「フジワラトオルか。お前を探していた」

では、確かめよう (桜8)

2008年10月10日 00:48

 想像だにしていなかった口説き文句だった。
 徹も、そしてクラス中の全員も絶句した。
 高宮を取られずに済んだと喜びかけた他の一年も、ただ絶句した。
 教室の時計の秒針が刻む音だけが響き――
 
「あっはっは……やっぱ徹ちゃん、大物だ」
 ただ一人、一足早く復活したのは、隣にいた楠ノ瀬麻紀だった。
 周囲は未だ硬直したままである。が、リタは全く気にすることなく、徹だけを真正面から捉えていた。

「あの、グレンゴールドさん……多分人違いだと思うんだ。第一、僕の名前を知らないってことは――」
 申し訳なさそうに話しかける徹の言葉を、リタは左手を挙げて制した。
 ターコイズ・ブルーの瞳の中に抑え切れない興奮が映っているのを見て徹は息を呑み、軽く勃起した。

「間違いない」
 リタの表情は揺るがなかった。
「いや、そういっても――」
「では、確かめよう」
 リタは突然、徹の右手を取ると、自分の左手と指同士を組み合わせた。

 教室中が息を呑んだ。先ほどまでとは性質の異なる、異様な静寂が辺りを支配する。
 楠ノ瀬麻紀さえも、再び押し黙った。
 徹は恋人同士のように指を組み合わされ、そのまま石になってしまった。 

 身体の中で、激しく渦巻く興奮と混乱。そして、リタが教室に入ってきて以来感じているこの匂い。
 甘くなど無い。芳しくなど無い。
 では何故、自分がこの匂いをこんなにも懐かしく思うのか。

 徹は、名前を呼ぶのが精一杯であった。
「リ……タ」

 リタは徹と手を繋いだままで軽く瞳を閉じると、何事かを呟いた。
 白い肌に、薄らと雀斑の浮かんだ高く細い鼻。意思の強さが示された真直ぐな眉。
 前髪の間から覗く額には、隠すことの出来ない聡明さが宿っている。
 必ずしも完璧な美人とはいえない。が、見る者を惹きつけずにいられないその顔が、軽く頷いた。
 
 瞳を開くと、リタは先ほどの言葉を繰り返した。
「徹、お前を探していた。お前の一年を私に預けて欲しい」

 徹は首を横に振ろうとした。
 誓ってそのつもりだった。
 だが、口を突いて出たのは全く別の言葉だった。

「僕でよければ」

 徹は、至るところから響き渡る驚愕の叫びを、他人事のように聞いていた。

縦では、肋骨の隙間に入らないなあ (桜9)

2008年10月12日 01:43

 リタの申し込みの事実は、直ぐに学園中を駆け巡った。
 全校生徒が三百六十人の、小さな参宮学園である。その場に数十名の生徒がいたことを考えると、当然とも言えた。留学生が珍しいことに加えて、徹自身が転入生であることも手伝い、今年の連の台風の目になったのは間違いなかった。

「ふ、藤原。例の赤い髪の子が、『お前の命を預けてほしい』って抱きついてきたって、本当かよ」
「命じゃないって」
「で、でも、抱きついてきたって」
「抱きついてないって」

 しつこく詰め寄る桐嶋をあしらいながら、徹はその後のリタとの遣り取りを思い出していた。
 どこで自分を知ったのか訊いた徹に対し、リタは、十日ほど前に学園で、と答えた。

 (あれを――子猫を助けた時のあれを、見られたのだろうか)

 迷いの無い瞳が、徹の脳裏に焼きついている。吸い込まれそうな青さを思い出しながら、軽く頭を振った。 
 リタは何故、鳴神流が必要だと考えたのだろう。徹自身、鳴神流が如何なるものか実は分からない。日本舞踊と称しているが、実態はもっと禍々しいものである――その程度は徹も認識している。

 礼儀作法が身に付き、立ち振る舞いがきちんとするから。そんな理由を口にして習わせた両親は、どれだけ真実を理解していたのだろう。使う道具こそ扇や帯、鈴ではあるものの、血なまぐさい歴史が背後にあることは疑いない。
 幼い日に徹が、扇を横に寝かせて突き出す動きを質問したことがあった。その時の師の答えは、今も思い出せる。

「縦では、肋骨の隙間に入らないなあ」
 
 徹はその後、十二歳の春に正式に一門としての名を得た。
 鳴神徹瑛――これが藤原徹の鳴神としての名前である。師の孫娘で、徹の姉の幼馴染でもあった鳴神菖蒲は当時、徹の入門に大反対した。驚くほど激しい抵抗だった。

 鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと――

 今思うと、当時の菖蒲は病的にやつれていた。当時の徹は、菖蒲に一言だけ問うた。
「でも、あやちゃんも鳴神なんだろ」
 
 徹にとっては、その理由だけで十分だった。

二年連続で一人は切ないよ (桜10)

2008年10月15日 00:49

 リタは、それから毎日徹の教室に来るようになった。
 連を申し込まれたとき、徹は確かに何か匂いを嗅いだはずだが思い出せない。血の匂いだった気もするが、今はリタの髪から仄かに甘く乾いた香りが漂うだけである。

「ふうん、リーたんは遠縁のお姉さんと二人暮らしなんだ。で、また聞いちゃうんだけど、リーたんは徹ちゃんのどこがいいと思ったわけ」
 楠ノ瀬麻紀が興味丸出しで覗き込む。
 今日は学食の丸テーブルを二つ繋げ、徹たちはリタを囲むように食事を取っていた。メニューから徹と桐嶋はカレーを、楠ノ瀬麻紀はサンドイッチを選び、荻原有理とリタは持参した弁当を広げている。

「ナンバーワンになるために、徹が必要だからだ」
 当然といった表情でリタが答える。
「ふ、藤原のどこが必要だったんだ、リ、リーたんは」
「今は説明できない」
 あまりに簡潔なリタの答えに、桐嶋が左右に広がる太い眉をハの字にして、気にしないでくれと慌てて手を振る。リタの一言には妙な威厳があり、徹や桐嶋などしばしば圧倒されてしまう。

「リタちゃんは、ライバルと思う子はいないの?」
 有理の問いかけにもリタは表情を変えず、ナプキンで口を拭いながら首を横に振った。
「あたしの妹なんかどう? 荻原有為って知ってる?」
「知らない。だが、二年生では貴方がライバルだろう」

「敢えて言えばって感じね。昨年の優勝者に、一応敬意を払ってくれたってとこかしら」
 有理が苦笑いした。

(昨年の優勝者?)
 徹はカレーを頬張ったまま目を見開き、他の全員が何を今頃といった表情で徹を見る。有理は弁当の苺を摘みながら、
「まあ、去年は瓜谷先輩のおかげだし。でも、今年もいい線いくかな」
 澄ました顔で口の中に入れた。

「お、荻原さんは、今年も瓜谷先輩と組むつもりかい?」
 有理は、勢い込んだ桐嶋を手で制して苺を飲み込むと、
「今年は、一年の杉山君と組むことにしたんだ」
 と答えた。

 入学式で挨拶した一年生の注目株の名を耳にして、徹たちは驚きの声を上げる。周囲が何事かと振り向いたが、当の本人は涼しい表情で楠ノ瀬に話題を振った。
「麻紀ちゃんは、結局どうしたの」

「楠ノ瀬も人気あったよね」
 徹の問いかけに、楠ノ瀬は艶然と髪の毛を掻き上げる。
 今日のピアスは水色だった。
「何度も麻紀ちゃんって呼んでって、言ってるのになぁ」
「……」

「それより桐嶋。あんた大丈夫? 二年連続で一人は切ないよ」
 楠ノ瀬の無遠慮な問いかけに、小柄な桐嶋がさらに身を小さくして俯く。ひとしきり桐嶋の話で盛り上がった後で、リタが何気ない調子で話しかけてきた。

「徹、今度うちに来ないか。今後の策を練りたい」

 楠ノ瀬が、大袈裟に徹の肩を抱いた。
「頑張ってね、徹ちゃん」

私を見たとき運命を感じなかったのか (桜11)

2008年10月18日 01:42

「私は、宝玉を手に入れるために来た」
 
 学園から歩いて二十分ほどの高台に立つ洋館で、徹はリタと向き合って腰掛けていた。
 窓から外を見ると、季節の花々が美しく咲き乱れている。この館の主が誰であれ、愛情を持って庭を手入れしていることは明らかだった。
 
 徹は、天井の高さや絨毯の毛足の長さがどうにも落ち着かない。防音設備が施されているのでは、そう思わせるほど室内は静かで、時計の音だけがやけに響く。
 先ほど紅茶を運んできた女性も気になる。遠縁と言っていたが、その立ち振舞いは秘書を連想させた。

「徹には、一緒にナンバーワンの連を目指してもらいたい」
 私服に着替えたリタの、シャツ越しの肩の薄さや脚の細さが目についた。背は百七十四センチある徹とあまり変わらないが、近くで見ると思いのほか華奢な身体つきをしている。落ち着いた話し方と比べ、どこかアンバランスだった。

「リタ、どうして僕を選んだんだい」
 リタは青い瞳を徹に向けた。背後の窓から差し込む西日が、徹の目を射る。
「前から、力を持つ者を探していた」
 その低い声が、徹の耳に神託のように響く。

「私の前で徹が『あれ』を使ったのは、まさに運命だった」
 赤い髪の少女は軽く顎を上げた。
「私は、神の導きに感謝している」
 リタの言葉の幾つかは、徹には理解不能だった。だが、そのどれもが確信に満ちており、端々に覗く宝玉への思いは圧倒的ですらあった。

(果たして自分は、リタの探す「力」を持っているのだろうか――)

 徹の心の動きを知ってか知らずか、リタは咎めるような調子で徹を覗んだ。
「徹こそ、私を見たとき運命を感じなかったのか」

 自宅でのリタは、普段よりも徹の前で感情を見せている気がする。
 知り合ってまだ僅かではあるが、容易に人前で表情を崩すタイプでないことは分かる。そんなリタがふと見せる表情は、徹の心を揺らす。

「凄く強い印象だった。なんたって『私に任せてくれ』だから」
「預けて欲しい、だ」
 リタは訂正するが、徹には微かな照れが混じっている気がする。

「声を掛けられたときは、なぜか懐かしくて、でも不安。そんな感じだった。何となく匂いもしたし」
 訝しげな表情を浮かべるリタに、徹は困って頬を掻いた。
「懐かしい匂いがしたんだ。変だろ、笑っていいよ」

「匂いか――」
 リタは笑う代わりに、徹の台詞を吟味するかのように腕組みをした。
「五感は決して軽んじられない。見て考えるか、触れて感じるか、それとも匂いで捉えるか。アプローチの違いでしかない。私自身、触れることで相手を確認することがある」
 リタは組んでいた腕を元に戻すと、再び紅茶で喉を潤した。

「あ……だから連を申し込んだとき、リタは手を組んで――」
 徹の言葉に、リタが当然だとばかりに頷いた。陶器のように白い頬に僅かに朱が差す。
「手を握れば、相手の善悪ぐらいわかる。無論、肌と肌の接触面が広ければ更に感度が高まるが」

 肌と肌との接触――

 リタの誇らしげな口調とは裏腹に、徹はあらぬ妄想に顔を赤くし、慌てて邪念を追い払う。徹は強引に話題を変えると、ひとしきり入学式でのリタの印象について語った。

 いつの間にか夕闇が訪れ、窓に自分達の姿が映り込んでいる。そろそろ帰るか――徹が立ち上がりかけたとき、リタが徹に微笑んだ。

 いや、その言い方は不正確だった。
 目の前の年下の少女は、莞爾として微笑んだのだった。

「徹、お互い悔いの無い一年を過ごそう」
 その顔には一片の迷いも無かった。何者にも媚びず、何者に対しても奢らず、己の決断に誇りを持ち、そして相手の決断を信じる瞳であった。
 徹は瞬きすら忘れ、リタを見つめていた。

(リタ……僕はリタに選ばれたことを誇りに思うよ)
 徹は、この瞬間を忘れないだろうと確信した。

 一方リタは、厳粛な気持ちに打たれている徹を前になぜか、小さく思い出し笑いをした。
「そうか。徹は匂いでイメージを捉えるのか」
「いや、そんな大袈裟なものじゃ――」 

 慌てて首を振る徹の前で、微かにリタの口の端が上がった。  
「私もエジンバラにいたときは、コーギーを飼っていたぞ」

警告したからな (桜12)

2008年10月19日 22:13

 翌日から、徹とリタは極力一緒に行動することにした。
 そうすることで何が変わるのか、二人にもわからなかった。だが、自分たちには必要なことだという思いは揺ぎ無かった。休み時間にお互い教室に寄っては、他愛のない話をした。

 そして数日後の昼休み、二人で混雑する学食に行ったときのことだった。
 リタはランチボックスを持参している。先に席を取っておく――そう言ってリタは背を向け、徹が麺類のコーナーへ急いだところで、見覚えある少女とすれ違った。

「あれ、有為ちゃん」
 徹の声に、荻原有為は怪訝そうな表情を浮かべた。
 徹は言葉を続けようとして、その後ろに立っている男に気付いた。
 高宮武だった。
 
 高宮は荻原有為を後ろに下がらせると、覆い被さるように徹を睨みつけてきた。
「また女に声掛けてんのか、藤原ぁ」
 高宮の台詞も不快だったが、続く有為の言葉に徹は表情が強張った。

「藤原……さんですか。すいません、覚えてなくて」
 声を掛けられることに慣れた台詞だった。
 高宮がもう一度威嚇するように顔を近づける。その面長で彫りの深い顔立ちが、酷薄そうに歪んでいる。
「どっか行けってよ」
 外見だけであれば有為と釣り合っている。そう表現できる高宮の容姿だったが、唇は徹に対する感情を映すかのように歪んでいた。徹は思わず一歩後ずさった。

 ただならぬ事態に気づき始めた周囲の視線が、集中する。だが止めようとする者は無い。この後どうなるのか見てみたい、そんな好奇と期待の視線が大半である。
 どうすべきか。徹が逡巡したその時――

「徹に何をする!」
 騒ぎに気付いたリタが割って入った。
 徹を庇う様に足を大きく開き、両の拳を握り締めて高宮の前に立つ。まさに燃え立つ炎であった。

「そっか……リタの組んだ人か」
 ようやく思い出したかのように有為が呟く。だが徹には、その後の独り言まで耳に入った。
 年下の子に助けられるなんて、カッコ悪い――

 屈辱感に顔が熱くなった。
 一方で、自らの優位を確信している高宮の眼はリタを通り越し、徹に照準を合わせたままである。

「よかったな、連れが助けに来てくれて」
 高宮はそう言うと、べろんと、どこか卑猥な仕草で唇を舐める。どこかグロテスクなその大きな拳を胸の前で重ねて見せる。不快な仕草ではあるが、そこまでなら耐えられた。だが、反応を示さない徹に対して高宮はさらに言葉を継いだ。
「俺は強いぜ」

 高宮の言葉を聞いた瞬間に小さな音を立てて、何かが徹の心の中で外れた。
 徹は無言で、リタの前に一歩出る。周囲が無謀さにざわめいた。
 
 混雑した学食の中で、高宮と徹を遠巻きに取り囲むように輪が出来始める。何か言いかけようとしたリタを、徹は黙って腕で制した。
「警告したからな」
 高宮が嬉しそうに、軽く前足でステップを踏み始めたその時だった。

「徹ちゃん、リーたん!」
 能天気な大声が、学食中に響き渡った。
「早く来てよ、さっきから待ってるんだから。貧血で倒れたりしたら、徹ちゃんどう責任取ってくれんのよ!」
 場の雰囲気など全く気付かぬように、楠ノ瀬麻紀が大股で近付いてきた。

 徹の耳とリタの手を取り、客扱い慣れした笑顔で徹たちを連れ去っていく。徹は、思わず間の抜けた悲鳴を上げながら、楠ノ瀬の後を追った。リタも、突然出現した楠ノ瀬に諾々とついていく。
 高宮も、毒気を抜かれたように立っていた。

「高宮に有為ちゃん、またね」
 振り返った楠ノ瀬の言葉に、観客達が安堵とも失望とも取れぬ溜息を漏らした。

   * * * * * * * *

 告

 本年度の連は以下の通りとする。

…………
 リタ=グレンゴールド(一年一組) ― 藤原徹(二年三組)

…………
 杉山想平(一年二組) ― 荻原有理(二年三組)

…………
 荻原有為(一年三組) ― 高宮武(二年三組)

…………
 楠ノ瀬麻紀(二年三組) ― 瓜谷悠(三年三組)

…………
 
 以上

 五月一日
 参宮学園高校 事務局

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