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月の裏で会いましょう/ まえがき 

2009年02月26日 00:21

 「如月の宝玉」を最後まで読んで頂いた方、そして読後もこのブログに足を運んで頂いている僅少なる「熱烈な同志」(作者脳内変換)に感謝をこめて、簡単な読み物を作りました。

 全五話構成で、各話は独立していますが短編の形は取っていません。「如月の宝玉」の舞台において、本編の裏側で何が起こっていたかを五つのシーンに切り取ったものです。
 構成としては、第一話から四話までが小さな伏線の回収や視点を変えた描写です。また第五話はささやかにファン・ディスク的?な内容にしています。(本当にささやかですが……)

 欠片の寄せ集めではありますが、少しでも楽しんで頂けると嬉しいです!
(一話ごとに掲載していく予定です :各話は如月の宝玉本編目次の下部にリンクを貼っています)
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第一話 君はこれをどう思ったかい (月の裏で会いましょう1)

2009年02月26日 00:37

 その日は朝から雪が降っていた。

 入学式まで一週間足らず。午前中に幾つもの打ち合わせを終えた宇田川隆介が職員室に戻ると間もなく、黒いダウンジャケットを脇に抱えた少年が辺りを見回しながら入ってきた。ぼさぼさの髪の毛の下、優しげな瞳が宇田川を探している。
 宇田川は冷めかけたコーヒーを一口啜ると、少年に向かって軽く手を上げて合図をした。

「藤原徹君だね。私が宇田川だよ」
 少年は、宜しくお願いします――そう言って頭を下げると宇田川の机の前の丸椅子に腰掛けた。細身の体つきだが、体幹を中心にしなやかな筋肉がついていることが身のこなしから見て取れた。

(鳴神菖蒲の後に送り込まれただけあるか)

 宇田川は一人納得すると、机の中から茶封筒に入った書類を取り出し、おもむろに説明を始めた。
 受け答えの端々から、藤原徹には聡明さも兼ね備わっていることが見て取れた。宇田川は説明の最後に、相手の反応を試すかのように質問を投げ掛けてみることにした。

「この学園は、入学や転入に当たって卒業生の推薦状が必要なことは知っていると思うが、君はこれをどう思ったかい」
 仮に批判的な見解を口にするならば、何故転入してきたのかと問い、もし肯定的に追従するなら、その安易さを指摘するつもりであった。

 ――高校生といえば、多様な価値観が存在する社会に出て行くための、いわば人格形成期だ。そんな時期に、知り合いしか入れないなどという同族集団に身を置く問題点を、君はどう考えるんだい?
 藤原徹の答え次第では、そう反論してやるつもりであった。

(まあ、目的無しに来る場所ではない、ということだな)
 内心皮肉っぽく考えながらも、宇田川は柔和な微笑を絶やさずに、少年の答えを待った。
 だが、返って来たのは予想外の答えであった。

「その前にですが、卒業や退学に当たっては卒業生の了解が必要ありますか」
 虚を突かれた宇田川が思わず聞き返すと、藤原徹は慌てたように言葉を重ねた。
「すみません。質問を質問で返すつもりはなかったんです。ただ……」

 藤原徹は、困った顔で、ぼさぼさの髪の毛を右手の指で軽くつまんでいたが、宇田川の促すような視線に口を開いた。
「先生方が、どのくらい責任を学園の卒業生に転嫁するつもりなのかと思って」

「責任を転嫁――」
 宇田川は、目の前の少年の言葉を繰り返した。藤原徹はなおも困った表情を浮かべていたが、それは難問に窮するというよりも、自分の考えをどの程度直截的に伝えるか悩んでいる様子であった。不意に宇田川は自分が発した質問の愚かしさに気付き、恥じた。

「失礼した。君は我々教師陣が、当学園に相応しいと認めた人材だ。誤解を生むような表現があったなら、訂正しよう」
 少年は耳を赤くしたが、宇田川はもはやその表情に騙されることは無かった。

(なるほど。自分について一言も語ることなくその価値を示して見せるとは、思った以上に聡明な少年だ)

 宇田川は、今度こそ腹の底から笑みを浮かべた。
 この少年が十五年前にいたら、彼女は果たして自分とどちらを選んだろうか。
(ねえ、隆介。私と貴方が組めば、出来ないことなど何も無いと思わない?)
 もう一度、青い瞳の少女の姿が目に浮かんだ。

「先生、宇田川先生?」
 藤原徹の呼びかけに宇田川は我に返ると、不思議そうな少年の表情に気付いて軽く顎を掻いた。

 職員室の窓から舞い散る雪はいつしか小降りになり、雲の切れ間からは薄日が差し込んでいた。

第二話 最高の相手を狙わなきゃ (月の裏で会いましょう2)

2009年02月27日 23:40

 四月六日、始業式の朝、午前七時三十分。
 
 桐嶋和人は独り暮らしのアパートで朝食を取っていた。
 痩せた小柄な身体を前屈みにして、黙々とパンを口に運ぶ。テレビのニュースは天気予報へと変わっていたが、桐嶋の頭の中は、あと一時間もしないうちに貼り出される新年度のクラス分けのことで一杯だった。
 
 連の仕組みはシビアである。異性受けする者であれば引く手も数多だろうが、全ての生徒がその条件を兼ね備えているわけではない。麗らかな春の一ヶ月は、一部の生徒に取っては悪夢の季節でもあるのだ。
 昨年、連を組めなかった桐嶋にとっては、クラスこそが自分の居場所を見出し友情を育むための場所になるはずであった。だが――

 一年のときのクラスを思い出して、桐嶋は憂いを帯びた表情を浮かべ睫を瞬かせた。

 桐嶋の両親は桐嶋が幼い頃に病で他界したという。
 桐嶋自身、二年ほど前に酷い交通事故に遭ったこともあり、それ以前の記憶が殆どない。身寄りの無い桐嶋にとっては、学費のかなりの部分が卒業生の寄付で賄われている参宮学園で無ければ、果たして高校に通えていたかどうかも疑問だった。

 自分のこうした生い立ちを同級生達が知っているのか、桐嶋には判らない。だが桐嶋自身がどこか影を感じさせるのか、親友と呼べる相手が出来ぬまま一年が過ぎてしまった。

 桐嶋は軽く溜息を付くと牛乳を飲み干し、立ち上がった。

   * * * * * * * *
 
 午前七時五十分――

「有為、先行くわよ!」
「ちょっと待ってよ。有理は髪の毛に気を使わなさ過ぎ」
「あたしはいいの。大体、武道やっててそんな髪型に出来るわけないでしょ」

 荻原有理は妹の有為の言葉を軽く受け流すと、茶色のローファーに足を通した。
 今日から、姉妹そろっての通学である。参宮学園までバスで二十分。今日はバスの窓から見える桜並木も見事に違いない。
 有為は自分よりも可愛いと思うのだが、すぐ感情の起伏が顔に出るのが玉に瑕だ。さっきから髪の毛が決まらないとぶつくさ言いながら、しつこくやり直している。

 今からそれじゃあ髪の毛痛むよ――
 有理はそんな台詞を飲み込む。多分、有為の機嫌が悪い本当の理由は別にある。今日の新入生挨拶を、他の同級生に取られたからだ。

 有為は、去年の春に有理が新入生挨拶をした時、絶対来年は自分がやると誓っていた。実際、中学三年生の間、有為は学校でトップを守ってこの日に備えていた。負けん気の強い有為が今回どれほど悔しく思ったことか、容易に想像できる。

 参宮学園の入学試験の問題は決して難しくない。受験に推薦状を必要とするため入口段階で絞られているからなのか、有理の時も基礎学力のチェック程度の内容だった。一方で面接はユニークで、在校生との集団面接、教師との一対一の面接、そして理事長代行との面接と、計三回もあった。父の哲臣などは、就職活動みたいだなどと妙な感想を漏らしていた。
 新入生挨拶の役は何を基準に選んでいるのか、有理自身には今一つ思い当たるものが無かったが、いずれにせよ有為を押さえてその座についた相手がいるということだ。

 今年の新入生は、結構手強いっていうことか。
 有理は、数日前に学園の道場で会った優しげな少年を思い浮かべた。
 あの子かな。いや、ちょっとインパクト弱いかな。
 そこまで考えて、有理は今日三度目の台詞を口にした。

「有為、先行くわよ!」

   * * * * * * * *

 午前八時二十分――

 杉山想平は、十数年間そうしてもらっていたように、母親の運転する車の後部座席から抱きかかえられると、脇に置いた車椅子へと腰を下ろした。見送る母親に軽く頷くと、眼鏡を指で押し上げ、参宮学園の校門へと車椅子の車輪を回す。

 杉山は、四つ離れた兄の恭平から学園の伝統を聞き、全国有数の進学校を蹴って参宮学園を選んだ。周囲はどう思ったか知らないが、兄弟にとっては当然の決断だった。
「想平、参宮学園は最高だぞ」
 恭平の言葉に、自分は何度目を輝かせたことだろう。

 校舎へ続く並木道は、どこか初々しい紺色のブレザー姿の同級生達で溢れている。自分のことを棚にあげるのも何だが、結び慣れないストライプのネクタイが微笑ましい。まだ名も知らぬ友人達がその一瞬、堪らなくいとおしい存在に感じられ、杉山はそんな自分に苦笑した。

(これじゃあ入学前から年寄りだよ)

 杉山の中学から一緒に進学した者はいない。そもそも参宮学園の生徒たちは、県外からも多く集まって来ている。同級生には杉山が知っている者も、また杉山のことを知る者も僅かだろう。
 杉山はそこまで分析したところで、今度ははっきりと声に出した。
「うん。今のところライバルは見当たらないな」

 車椅子の同級生にまだ馴染めぬ者達が自分を盗み見るのを全く気にせず、杉山は胸を張って講堂へと向かった。

   * * * * * * * *

 午前九時――

 講堂で二年生の席に座った楠ノ瀬麻紀の耳に飛び込んできたのは、瓜谷悠が、ステージに並んだメンバーに合図を出す声だった。
「ワン・ツー・スリー、ゴー!」
 ドラムスティックを高らかに打ち鳴らす音と、続いて講堂中に鳴り渡るアニソン・ヒットメドレー。
 一列に入ってきた新入生達は、堪え切れないように一人、また一人と吹き出していく。

「――いくつも愛を持っているのねぇえ」
 ステージでは瓜谷が日焼けした整った顔を大袈裟に歪め、両腕で自分の肩を抱いている。
 楠ノ瀬は、相変わらずの瓜谷の姿に笑い声を上げた。

 よーし、決めた。やっぱり最高の相手を狙わなきゃ。
 綺麗なピンク色に塗られた唇が半月に開く。

 楠ノ瀬は、冊子に書いた自己紹介の文句を口に出してみた。
 身も心も捧げます――
 二度、三度、口の中で転がしながら頷く。

(頑張って、瓜谷先輩を掴まえなくっちゃ)

 気付くと、いつのまにか新入生も全て入場し終えている。
「それでは、只今から入学式を始めます。在校生起立」
 マイク越しの瓜谷の声に、楠ノ瀬は立ち上がった。

第三話 今年は負けられない (月の裏で会いましょう3)

2009年03月02日 20:21

 その頃、高宮武は一人、部室で菓子パンを食べていた。
 身体に纏わりつく湿った空気が、梅雨の訪れが近いことを告げている。高宮はシャツのボタンをもう一つ外すと、太い首の付け根の辺りを掻いた。

 昨年も、自分ではナンバーワンの連になる自信はあった。
 確かに瓜谷悠と荻原有理が組んだ連は最強だったが、もし三位まで公表されていれば、自分と金田実優も入っていたと確信している。

 今年は負けられない。
 誰が相手であろうともだ。

 有理の妹の有為が自分を誘って来たときは驚いた。だが栗色の髪の少女の言葉は明快だった。
「有理には負けたくないの。そして同級生の誰にも」
 自分と似ている、と思う。
 ぶつかるかも知れない、そうも思った。

 有為の実力は紛れも無い。
 有理と付き合う前から、その妹の噂は聞いていた。曰く、姉に勝るとも劣らぬ美貌と成績。いや、中性的な魅力の強い姉よりも上だという者もいた。
 確かに噂に間違いは無かった。この連は強いと確信した。

 だが同時に、有為は懸念も口にした。
 自分達に対して、周囲は好き嫌いがはっきり分かれるかもしれない、と。
 高宮もそう思う。
 決して自分は聖人君子ではない。むしろ逆だ。
 有為は誰もが認める美人だが、そういう女は敵も多いかもしれない。

 そうだ。だからこそ瓜谷は強敵なのだ。
 高宮の脳裏に、鼻歌交じりの上級生の姿が浮かんだ。
 
 華のある男。
 飄々として学園の誰からも愛され、行動力も伴う男。
 
 高宮は昨年組んだ金田実優から聞いたことがある。
 自分達が入学したときの入学式は、重々しかったが退屈だったと。
 それを変えたのが当時一年生の瓜谷だった。まだ瓜谷がナンバーワンの連に選ばれる前の話である。
 学園と掛け合い、上級生と話し合い、翌年の入学式を祭りへと見事に変えてみせた。
 
 後から聞くには、卒業生や父兄にも根回しを済ませていたらしい。それでいて式当日は、何食わぬ顔で澄ましていたという。

 金田は決して軽薄な女ではない。損得の計算ができる女だ。その金田ですら瓜谷について語るときは常に言葉が熱を帯びていた。

 だが、高宮にも覚悟がある。
 今年は負けられない。

 高宮は予鈴を耳にすると、無意識に親指で唇を弾いて立ち上がった。

第四話 相違ござらぬか (月の裏で会いましょう4)

2009年03月05日 00:27

 その夜は、野犬の遠吠えがやけに耳に付いた。

「今夜も凶獣が徘徊しておるか」
 男は、筆を仕舞いながら誰に話しかけるとも無く呟く。

 葛原貞義のもとを訪れてから二週間、目は一層落ち窪み、髪はほつれている。
 鬼相が出ている――占師でなくとも、そう見立てるに違いなかった。
 如月も半ばになるとこの地に雪が降ることは滅多に無いが、今日は昼過ぎから雲が厚く立ち込めている。日が暮れてからの冷え込みも昨夜より厳しかった。

(月が顔を出してくれればいいのだが――)

 男はそう思いながら、隣の部屋で正座していた娘の楓に声を掛けた。
「では行ってくる」
 葛原木蘭との約束の時間まで、まもなくであった。

 楓は今年数えで十一。まだ顔にはあどけなさが残るが、自分を見詰めるその姿に亡き妻千草の面影が重なる。
 男は微かに目を細めた。
「蝋燭の火は絶やさず、夜が明けるまでこの部屋から一歩も出ないように」
 小さく返事をする楓に男は満足げに頷くと、引き戸を開けて外に出た。

 男はそのまま無言で歩を進めたが、村境に差し掛かったところで足を止めた。
 男の幼少から身近に感じてきた気配が漂ってくる。気配を発している者たちは、それを隠そうともしていなかった。

 殺気であった。
 男は提灯を手にしたまま、軽く腹に力を込める。

「葛原家の家臣とお見受けするが、相違ござらぬか」
 男の声が夜の闇に響いた。

   * * * * * * * *

 全身に刀傷を負った男がその場所に辿りついたのは、既に明け方近くであった。
 約束を果たす――
 その一念で、ここまで来た。 

 だが、既に手遅れだったのだろうか。
 竜巻が通過した後のように、その一角の草木が薙ぎ倒されている。
 巨大な力の痕跡が記されている。
 そして何より、むせ返る血の匂い。
 
 これだけ血が流れて、人が無事でいられるはずが無い。
 男は不吉な予感を振り払い、桜の木の下に走り――

 地面に顔を突っ伏して倒れこんでいる小柄な男と、銀髪の少女を見つけた。

 初めて見る小柄な男の左脚は足首から奇妙な角度に曲がり、右の肩口からは鎖骨が剥き出している。
 その手は銀の鎖を掴んで離さず、鎖の先にはどす黒い染みが広がっていた。
 重なるように倒れている少女の銀髪は土埃にまみれ、揺さぶっても何の反応も示さない。
 
 果たして何があったというのか。
 凶獣はどこへいったのか。
 
 と、男の足元に何か固いものが触れた。

 手を草叢の中に伸ばすと、乳飲み子の頭ほどの球体の石があった。
 慌てて拾い上げた両手の中、宝玉が一瞬光る。
 振り返った桜の梢越しに、曙光が男の目を刺した。

 春分の夜の――
 男の生涯で最も長い夜の終わりであった。

第五話 なかなかいい男っていないですよね (月の裏で会いましょう5)

2009年03月07日 00:40

「楠ノ瀬先輩、なかなかいい男っていないですよね」

 今日の休み時間も徹たちの教室には荻原有為が来ていた。いつからか有為は、姉の有理のいるいないにかかわらず楠ノ瀬麻紀の席に入り浸るようになった。
 リタに対してもそうだったが、楠ノ瀬は意外に同性の後輩に人気があった。さばけた態度がポイントなんだろうか、隣で徹はぼんやりと考える。

「有為ちゃんもそう思う? あたしも参宮に入った時は瓜谷先輩を見て感激したんだけど、結局あのレベルは殆どいないんだよねえ。瓜谷先輩はしっかり先約済だったし」
「そうそう。で、周りにいるのは優柔不断男とか鈍感男とか優柔不断男とか鈍感男とかばっかり」
 有為が、口を尖らせて栗色の髪の毛を掻き上げる。

 楠ノ瀬と話に夢中になるのはいいが、人の机に腰を掛けて足をぶらつかせるのは止めてほしい。だいたい、有為の台詞に必死に笑いを堪えている楠ノ瀬は、何が可笑しいのだろうか。
 徹は机に数学の教科書を広げようとしてみたが、有為の赤いチェック柄のスカートの腰に触れてしまいそうで諦めた。

「まあ、有為ちゃん落ち着いて。将を射んと欲すればまず馬を射よっていうじゃない。それで最近あたしんところに来るんでしょ」
 有為を宥めるかのような楠ノ瀬の台詞だった。だが徹の予想に反して、それを聞いた栗色の髪の少女の顔に朱が差した。

「く、楠ノ瀬先輩、何言ってるんですか。あ、あたしは純粋に楠ノ瀬先輩と話したくて来てるんですからっ」
 まるで桐嶋かと思わせるリアクションだった。有為にしては珍しい。

 それにしても楠ノ瀬も故事成語を持ってきたのはいいが、言いたいことが全く判らない。今度ちゃんと意味を教えてやろう。徹は頭の隅で考えながら、有為の形のいい脚が机の端で揺れるのを眺めていた。初めて会ったときから思ってはいたが、やっぱりこの子は――

「徹ちゃん、見過ぎ」
「もしかして変態ですか、藤原先輩」

 油断するとすぐ矛先が向く。徹は心の中で今日何度目かの――最初に二人に出会ったときから数えれば確実に三桁に達するだろう――溜息をつくと無視を決め込んで、数学の教科書を開くことにした。

 楠ノ瀬はいつもの小悪魔の表情を浮かべていたが、
「ところで、有為ちゃん今週末が誕生日だっけ。今年も男の子のプレゼント攻勢が凄いんじゃない?」
 意味ありげな視線をこちらに送りながら、有為に話しかけてきた。

「ええ、もう始まってて。行き帰りのバスの中とか恥ずかしくって」
 自慢げな口調は全くなく、心底うんざりした様子だった。さすが学園一の美少女の誉れ高いだけに、とんでもないことになっていそうだった。

 徹が内心同情していると、楠ノ瀬が笑顔のままで口を開いた。
「ねえ有為ちゃん。中学生の時の綽名が『撃墜王』だったって話、ほんと?」

 その途端、周囲の温度が数度下がった。
 楠ノ瀬の話を聞くともなしに聞いていたクラスメイトが、思わず小さな悲鳴を漏らす。
「……楠ノ瀬先輩、その嘘八百を先輩に伝えた奴はどこのどいつでいらっしゃいますか?」
 有為の凄む声に徹は竦み上がった。

「あれ、違った? 誰から聞いたっけなあ」
 だが楠ノ瀬は全く気にも留めていないようだった。有為の殺気を微風のように受け流すこの少女は何者なのか。学園最強の称号は高宮武でも瓜谷悠でもなく、実は楠ノ瀬麻紀にこそ相応しいのかもしれない。
 とにかく有為の綽名の件は二度と持ち出さないようにしよう。徹は肝に銘じた。

「で、有為ちゃんは誕生日の予定はあるの」
 楠ノ瀬の話し方は連を組んだ瓜谷の影響を確実に受けている。さっきから脈絡なく話が飛んでいるようで、誰かをどこかに追い込んでいる。
 自分の内なる鳴神が、我が身に危険が迫っていると早鐘のように告げていた。

 徹は時計に目をやる振りをしてそそくさと立ち上がった。学食にでも避難するつもりだった。

「それが、こないだ付き合ってた男と別れちゃって、空いちゃったんです」
 そんな内容を敢えて大きな声で言わなくてもいいのに。只でさえ「有為教」の信者は多いのに、これを知ったら大変な騒ぎになるんじゃないだろうか。徹は人ごとながら心配になった。

 こんな美少女と別れるとは、なんてもったいない男だろう――徹はそんな感想を抱きながら教室の外へと向かった。

「……こりゃ、有為ちゃんも長期戦だね」
 呆れたような楠ノ瀬の台詞と必死にそれを否定する有為の言葉は、徹の耳には届かなかった。
 

 月の裏で会いましょう 完

月の裏で会いましょう/ あとがき

2009年03月08日 22:04

 「月の裏で会いましょう」は如何だったでしょうか?
 
 各話とも起承転結のない欠片ではありましたが、気楽な読み物として雰囲気を味わってもらえればと思い作成しました。ちなみに如月の宝玉本編と各話との関係は、以下の通りです。

 第一話 君はこれをどう思ったかい (運命の輪2)
 第二話 最高の相手を狙わなきゃ (桜1)
 第三話 今年は負けられない (向日葵8)
 第四話 相違ござらぬか (運命の輪0、プリムラ1)
 第五話 なかなかいい男っていないですよね (夢見の宝玉9)

 第一話から第四話までは本編連載前に作成済でしたが、掲載時に視点の揺れを抑えようと削除した内容です。こんな形ではありますが今回読んで頂けて嬉しいです。
 また、第五話は新たに作成したのですが、書いているうちに作者の方が楽しんでしまいました。(これが好きだといいな、という気持ちなのですが……)

 最後になりますが、お読み頂き本当にありがとうございました!

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続・月の裏で会いましょう/ まえがき

2009年04月04日 01:06

 本編終了後もこのブログに訪れ、時に拍手まで下さる「熱烈な同志」(作者脳内変換)に感謝をこめて、再び簡単な読み物を作りました。四百字詰原稿用紙で三十枚程度の掌編で、全4回に分けての掲載です。

 本編の世界が持つ(そうであって欲しいと作者が願っている)、「少女たちに振り回される賑やかな日常とそこに影差す非日常の不安感」、がテーマです。
 うまく表現できたか自信はありませんが、登場人物達は伸び伸び動いてくれて一先ずほっとしています。

 それでは物語をお楽しみ下さい!

来週の予定はキャンセルだ (続・月の裏1)

2009年04月04日 01:07

 十二月の第二週、参宮学園高校の校内。
 藤原徹は放課後、栗色の髪の一年生の少女の前に先程から直立不動で立たされていた。

「で、まさか、二回も借りを返してもらおうなんて思ってないですよね、藤原先輩」
 制服のブレザーに身を包んだ荻原有為が徹の顔を覗き込む。栗色の外巻きの髪が目の前で左右に揺れ、微かに甘い匂いが徹の鼻孔をくすぐる。

 本来であれば胸をときめかせてもいい状況のはずだが、少女の顔に浮かぶ不機嫌そうな表情を前にして、そんな感慨に浸る余裕はなかった。

「……有為ちゃん。こういう時だけ後輩らしい喋り方は止めて欲しいんだけど。あと、正直何言ってるかわからなくて――」

 相手の顔を見ながら恐る恐る切り出した徹の言葉に、有為の大きな瞳がすっと細まる。
 女の子の睫毛ってどうしてこんなに長いのだろう。そんな感想を抱いたのはほんの一瞬で、その睫毛の奥に燃えているのは自分の勘違いでなければどうやら怒りの炎のようで――

 ええと、ちょっと待った、冷静に考えろ。
 
 徹は、ぼさぼさの髪の毛を指先で無意識に弄りながら必死に考える。

 今は来週末の自分の誕生日の予定を聞かれているわけで、借りと言ったら借金の心当たりが無い以上、他の貸し借りを考えるべきで――

 わざわざ人気の無い実験教室まで呼び出されて、いつの間にか説教モードに入られている。徹は小さく溜息をつくと、怒りにまかせて再び何かを口にしようとした少女の唇の前へと指を伸ばした。

「な、何を一体――」
「有為ちゃん。そんなに騒ぐと、せっかく人目を避けたのに誰か来ちゃうって」
 よかれと思って口にした台詞だったが、それを聞いた栗色の髪の少女の声が裏返った。

「だ、誰が人目を避けてるですって」
 有為の声は更にボリュームを増している。逆効果だったかと徹が肩を落としかけたところで――

「それならよかった。隠れるのは性に合わないからな」

 突然の声に二人が振り返ると、いつからいたというのか、実験教室の戸口に赤い髪の少女が立っていた。背筋を伸ばし凛とした姿は、既にその年にして威厳に似たものすら感じさせる。

「リタ!」
 図らずも徹と有為の声が揃う。二人の声には共に動揺の響きがあったが、有為の声の中には一滴の忌々しさも混じっている。

 リタは、殊更にゆっくりとした調子で二人の元に近づいてきた。

「徹の教室に寄ったら、こっちの方角へ行ったと言うので来てみたんだが」
 豊かな赤い髪が腕組みをした胸元までかかっており、そこから覗く陶器のように白い首筋がどこか艶めかしい。その一方で表情は相変わらずのポーカーフェイスで、この状況を不愉快に感じているのか楽しんでいるのか、何とも見極めづらかった。

「徹、来週の予定はキャンセルだ。有為と出掛けてもらって構わない」
 単に事実だけを告げる口調だった。

 思いもよらぬリタの台詞に、
「へっ?」「はい?」 
 再び徹と栗色の髪の少女は声を揃えてしまう。

「どうして急に」「か、勘違いしないでよ、あたしは」
 相手に構わず話し続ける徹と有為を前に、リタは微かに――片眉をほんの数ミリだけ上げて――苦笑した。

「すまない、少し早くイギリスに帰省したくなったからな」
 その時、少女のターコイズ・ブルーの瞳には何が映っていたのだろうか。
 だが徹は深く考えることなく、リタの台詞に無造作に頷いた。

「だから、勘違いしないでって言ってるじゃない」
 尚も食い下がる有為の言葉に今度は口の端を僅かに上げて微笑むと、赤い髪の少女は用が済んだとばかりに背中を向ける。

「徹、また電話する」
 ハスキーな声とともに、ふわり、二人の目に豊かな赤い髪の毛が靡く残像が焼きついた。

何か足りないんだよなあ (続・月の裏2)

2009年04月05日 22:02

「……で、何でこうなるんだ」
 若い女たちでごった返すアクセサリー店の前。徹は自分の黒いダウンジャケットに小脇に抱えたまま、呆然と立ち尽くしていた。

 結局、徹は翌週末に有為の買い物に付き合うことになった。
 
 いや、正確に言おう。荻原姉妹の買い物に付き合うことになったのである。先ほどから黒髪と栗色の髪の美少女姉妹は、西砂の駅前に出来たショッピング・モールの中を端から端まで移動し続けている。

 ワンフロア降りるごとに、徹の両腕にぶらさがる買い物袋が増えていく。
 館内の強すぎる暖房と相まって、徹の額には玉の汗が浮かんでいた。

 このメンバーで歩くと周囲の視線を集めるのは判ってはいたが、こと男たちからの視線に限っていえば、妬み、戸惑い、憐み、疑い――これまた何一つポジティブなものがない。唯一の救いは、この場に楠ノ瀬麻紀がいないことだった。

 もし、彼女に見つかろうものならどんな攻撃を――

「あれえ、徹ちゃんじゃない?」
 徹は頭を抱えてうずくまった。
 茶色いウェーブのかかった髪に日焼けした肌――まさかの相手が隣の店先に立っていた。

 楠ノ瀬は言葉こそ問い掛けの形ではあったが、その眼は既に獲物を見つけた動物のそれだった。徹に向かって軽やかな、だが決して逃走を許すことのないステップで近づいてくる。

 しゃがみこんだ徹が再び顔を上げると、制服より十センチは短いスカートから覗く少女の太腿がもう目の前だった。慌てて視線をずらすと、少女の手には先ほど自分達が出てきた店と同じ紙袋があった。

「く、楠ノ瀬も買い物か?」
 あまりに運のない展開に語尾が震えたことくらい、許して欲しいと思う。

「うん。徹ちゃんたちも?」
 何か突っ込まれると思ったが、意外にも素直な楠ノ瀬の返しに徹は安堵した。いつ買い物を終えて出て来たのか、後ろで有為が嬉しそうに手を叩く。

「楠ノ瀬先輩、奇遇ですね。今日はこの後お暇ですか」
「うーん、暇というか約束があるというか……」
 続きを言い掛けた楠ノ瀬の後ろに、見慣れた形の良い頭が覗いた。

「俺なら暇だぞ」
 茶色のムートンジャケットを着た瓜谷悠が白い歯を見せていた。

   * * * * * * * *

「おぼえていますかぁ 目と目が合った時を~」
 瓜谷の鼻歌を聴きながら、クリスマスの飾り付けが施された駅前通りを五人が歩いて行く。

 瓜谷たちが一行に加わったことで、周囲の視線の量が倍加するとともに、その中身も羨望、感嘆、陶然――余りにも色々なものが混じり過ぎて、既に徹の語彙では分析できなくなってきていた。

 荻原姉妹や楠ノ瀬が、あちらに寄りこちらに寄りするのは相変わらずであり、その度に荷物を抱えた徹は案山子の如く店の前で芸もなく立ちつくしては、少女達を待っている。
 一方の瓜谷は手ぶらのままで時に右肩を回して投球フォームをしたり、時に女性店員に無駄口を叩いたりしては自由気ままに楽しんでいる。

 荻原姉妹と待ち合わせしてから既に三時間余り。あまりにお約束の流れといえ、自分の置かれた理不尽な境遇に天を仰ぎかけたところで、

「何か足りないんだよなあ」
 西砂で一番新しいファッションビルの前、蝶のオブジェが飾られた広場に差し掛かかると不意に、瓜谷が鼻歌を止めて呟いた。

 その瞬間、徹の背中に緊張が走る。
 ぞくり、首の後ろの産毛が逆立つ。

 これが単なる独り言と思ったら大間違いだ。この台詞は一体何の布石なのか。
 無意識に腰を低くして身構える徹の頭越しに、楠ノ瀬が相槌を打つ。
「そうそう」

「でしょ」
 有理も顔を近づけるようにして追随する。
 仲間たちの会話が噛み合うのと反比例して、徹の緊張感は急速に高まっていく。だがその一方、有理の肩口に流れ落ちる艶やかな黒髪に性懲りもなく見惚れてしまう。

 金木犀に似た香りが微かに届いた――が、その香りを感じる間もなく、
「という展開を予想して、さっき呼んじゃいましたあ」
 語尾にハート・マークが付きそうな声で、有為が纏めてきた。

 柄にもなくそんな声を――

 そう思いかけたところで、物凄い目つきで有為がこちらを見た。睾丸が縮みあがり、慌てて危険な考えを追い出す。

「よ、呼んだって誰を?」
 代わりに当然の疑問を口にしてみたが、栗色の髪の少女から返ってきたのは大袈裟な嘆息だった。
「藤原先輩だけですよ、そんな察しの悪い台詞を口にするのは」

「へっ?」
 嫌味を言う時だけの「藤原先輩」モードだったが、徹には意味が判らず間の抜けた返事をしてしまった。

「有為」
 有理が流石に妹をたしなめるが、若干含み笑いが混じっている。
「じゃあ徹ちゃんに問題。有為ちゃんは誰を呼んだでしょう。一回で答えられなかったら罰ゲームね」
「お、おい楠ノ瀬――」

 既に有為は拍手をしている。蝶のオブジェの周囲で待ち合わせをしている人々が、何事かと徹たちの集団を眺めている。
 この展開の速さはまずい。まずすぎる。

 救いを求めて振り返ると、瓜谷は腕組みをして不敵な笑いを浮かべていた。
「藤原ぁ、男を見せろよ」

(瓜谷先輩。楠ノ瀬の質問も先輩の発言の意味も全く判りません……)
徹が心の中でそう口にした瞬間、新たな声がした。

「お、遅れちゃったかな」
 毛糸の帽子をかぶった徹の小柄な親友が、眼鏡の少年の車椅子を押してやって来るところだった。

 車椅子を押す少年の顔には、自分も呼ばれたことを喜ぶ邪気のない笑みが広がっている。一方、車椅子に乗った少年はといえば徹を一瞥しただけで今日これまでの展開を読み切ったらしく、眼鏡の奥に共感とも同情ともつかぬ微妙な雰囲気を漂わせている。

 二人は、桐嶋和人と杉山想平だった。

いいよ、先輩と一緒なら (続・月の裏3)

2009年04月08日 00:07

 それから間もなく、瓜谷の行きつけだという小さな喫茶店で七人は一休みすることにした。

 土曜の夕方だというのに店の奥半分が事実上の貸切り状態である。磨き込まれた大きな木のテーブルに陣取り、名物だという濃厚なチーズケーキを口にしながら、スポーツの話題から教師の論評まで話はとめどもなく続いていく。

「で、今年は誰がナンバーワンの連になると思う?」
 瓜谷がコーラを片手に皆の顔を見渡した。

 連が「崩れた」有為がいるのに、ちょっと無神経じゃあ――
 徹は横目で栗色の少女を盗み見るが、当の有為は気にも留めていないようである。むしろ二か月も前のことに拘る自分の態度こそが問題なのだろうか、一人徹は軽い自己嫌悪に陥る。

「自信があるやつは手を挙げろ」
 瓜谷は、徹の心の動きなど無頓着に大声を張り上げると、自ら勢いよく腕を突き上げる。
 見渡すと、他に手を挙げたのは杉山だけだった。

「今年の二年生は自信が無いやつばっかりだな」
 瓜谷が呆れ顔で徹と有理の顔を順に覗き込んだ後、
「それにしても体育祭ではさみしかったぜ。俺じゃなくて藤原の側について」
 楠ノ瀬に向かって大袈裟に口を尖らせてみせた。だが、

「有為ちゃん、男の嘘を見抜ける女にならなきゃね」
 楠ノ瀬はあっさり、そうういなす。テーブルの反対側で栗色の髪の少女も澄まして首を縦に振った。

「うーん、麻紀ちゃんってあたしよりお姉さんだなあ」
 有理が感想を漏らす脇で、瓜谷はといえば懲りずに桐嶋に対し
「お前も、女の嘘を黙って包み込んでやれる男になれよ」
 などと話しかけては桐嶋を困惑させている。

 徹がどう助け船を出そうか考えているうちにウェートレスがテーブルの上を片づけに来て、全員での話題から隣同志の雑談へと変わった。
 そのタイミングを見計らったかのように杉山が耳元で話しかけてきた。

「先輩、どうして瓜谷先輩が楠ノ瀬先輩を選んだか、知ってますか」

 確かに二人はいい組み合わせだが、そんなことは今まで考えたことがなかった。
 徹が眼で頷くと、車椅子の少年は声を潜めて続けた。
「じゃあ、楠ノ瀬先輩が自己紹介に何て書いたかは知ってますか」

 果たして、自己紹介の中に瓜谷の関心を引く言葉でもあったのだろうか。
 考え込む徹の姿を見て、杉山は合点がいったとばかりに頷いていたが、おもむろに、
「身も心も捧げます。って書いてありました」
 そう口にした。

(何勘違いしたのか、やれると思ってやたら男の子が来るんで参っちゃって――)

 徹は、不意に楠ノ瀬の四月の言葉を思い出した。
 成程、それが理由だったのか――新入生たちの行動に今となって得心する。
 だが半面、瓜谷自身はそんな言葉に勘違いするはずがないのに何故――ごく当然の疑問も湧き上がってくる。

 徹は、表情だけで杉山に話の先を促す。

「……で、楠ノ瀬先輩が瓜谷先輩に申し込んだときですけど」
 少年は眼鏡越しに素早く左右を見渡すと、一段と声を顰めた。

 同時に店内に流れていたクリスマス・ソングも消え、続く言葉だけが木霊した――そう感じたのは、徹が後から振り返っての記憶なのだろうか。
 一拍遅れて、車椅子の少年の囁きが徹の耳朶を打つ。

「瓜谷先輩は楠ノ瀬先輩に向かって、一緒に死ねるか尋ねたそうですよ」

(死――)
 その単語の重みが、徹の動きを完全に止めさせた。

 一緒に死ねるか、だと?
 徹はその言葉を反芻することしかできない。だが、車椅子の後輩の説明は続く。

 楠ノ瀬麻紀が瓜谷にその理由を問うと、
 ま、念の為にな――笑顔のままでそう答えたらしい。

 正直、徹に言わせれば瓜谷の台詞は滅茶苦茶である。だが、
「いいよ、先輩と一緒なら」
 少女は何の説明も求めず、即答したという。
 その話を聞いて徹は絶句しながら、楠ノ瀬の横顔を盗み見た。

 なんと能天気なと舌打ちしたくなる反面、どこか楠ノ瀬らしいと思ってしまう自分がいるのにも気付く。
 当の本人はといえば、瓜谷が自分の小学校時代のエピソードについて熱弁を振るうのを、涙を流すほど笑いながら聞いている。

 ちょっと自分でも過敏すぎる反応だっただろうか。まさか瓜谷の言葉も文字通りの意味ではあるい。
 徹は小さく息を吐くと話題を切り替えることにした。
「杉山はナンバーワンになったらどうするんだ?」

 明るい夢の話でも訊くつもりだった。
 だが、車椅子の少年は眼鏡の弦を指で押し上げながらさらりと答えた。
「リタと一緒ですっていったら、どうします」

 危うく手にしたコーヒーカップを落としかける。
 絶句している徹の余りに直截的な反応に、杉山はどこか憐みの表情すら浮かべていた。
「冗談です。それよりリタは何のために学園に来たんですか?」

 その質問にも答えられなかった。

 そんな徹を車椅子の少年はじっと見詰めていたが、やがて酷く真面目な口調になった。
「藤原先輩、ナンバーワンになったら気をつけて下さいね」
 改めて、自分だけがルールを知らぬゲームに参加している不安感に苛まれる。

「リタは……リタは何をしたいんだ?」
 徹の言葉に杉山は黙って首を振るだけだった。

夢を見ていたんだ (続・月の裏4)

2009年04月10日 00:01

「……リタ、戻って来てたんだ」
 その時、ベッドの上の少年が静かに目を開けた。
 傍らに立つ母が、驚きと共に少年の名を口にする。背後からは奇跡だと呟く看護婦の声が聞こえた。

 病室に横たわる少年の顔は、その染み一つない壁の色よりも白かった。

「ねえリタ、僕は今夢を見ていたんだ」
 私と同じ、燃えるように赤い髪とターコイズ・ブルーの瞳の少年が話し掛けてくる。いや、ひび割れた唇を動かしただけなのかもしれない。
 だが、私はその声をはっきり聞き取ることが出来た。

「リタの代わりに僕が、参宮学園に入学した夢だったよ」
 夢の中の光景を思い返すように少年は目を細くした。私はその表情を眺めるより先に、げっそりこけた頬と尖った顎の方が目に入ってつい目を伏せてしまう。

 少年は私の変化に気付かずに、枕の上の頭を私の方に傾けて話し続ける。
「でも良かった、リタが男に生まれてこなくて」

(え……?)

 思いがけない一言に、足元へと逸らしかけた視線を再び少年へと戻す。そして――
 私は息を呑んだ。
 少年の顔に浮かんでいたのは、私が知る弟の照れた幼い微笑ではなく、一族の運命を誇り高く受け入れる男のそれであった。

「お陰で、僕はいつでも安心して眠れる」

 何と答えればいいのか。私は、どう答えればいいのか。
 逡巡しているうちに、再び少年は青い瞳を閉じてしまった。

 どれだけ時間が経ったのだろう。

 気付くと私は立ったままで母に強く抱きしめられていた。
 先ほどまでの消毒液の匂いに代わって、暖かな懐かしい匂いが全身を満たしている。

「よく堪えたわね。いいわよ、エドワードは眠ったから」
 
 両眼から滂沱の如く涙が流れ落ちるのに、それから時間は掛からなかった。

   * * * * * * * *

「さあて、じゃあお待ちかねのメインイベントだ」

 突然の瓜谷の大声に、徹と杉山は会話を止めた。
 一体何が始まるというのか。いぶかる徹をよそに瓜谷が立ち上がると、奥に向かって軽く右手を挙げる。
 と、それを合図に、突如スピーカーから陽気なアレンジのバースデイ・ソングが大音響で流れ出した。店中の客が話をやめて周囲を見回す。

(もしかして――)

 奥から満面の笑顔を浮かべたウェートレスが、蝋燭に火を灯したチョコレートのホール・ケーキを徹の前に持ってきた。徹を囲んで瓜谷が、有理が、桐嶋が、楠ノ瀬が、杉山が、そして有為すらもどこか怒ったような顔で音楽に合わせて歌を口ずさんでいる。

 朝、姉妹と待ち合わせる前に一瞬期待して、そして買い物を続ける間にすっかり諦めていた展開が、まさに目の前にあった。自分の耳が一気に充血するのが判る。
 その間も仲間たちの歌声は続いている。

“Happy birthday to you!”
 最後のフレーズと共に全員の声が一層大きく揃った。

 いつ用意したのかクラッカーの甲高い破裂音が二度、三度と響き、一拍遅れて色とりどりの紙吹雪が舞い散る。周囲に急かされて徹が蝋燭の火を吹き消すと、少女たちから歓声が上がった。
 
「徹君、おめでとう!」
 有理がリボンに包まれた薄い包みを両手で差し出してきた。

「こ、ここにいるみんなからなんだ」
 桐嶋が、八の字の太い眉をこれ以上無いほどに垂らして笑顔を作っている。頭の上にクラッカーの紙吹雪が載ったままなのが、何とも桐嶋らしかった。

「ちなみに選んだのは、有為ちゃんだから」
「楠ノ瀬先輩!」
 含み笑い混じりの楠ノ瀬の言葉に、途中から焦った有為の声が被さる。

 徹はちょっとしたサプライズ・パーティーの余韻に浸りながら仲間たちの会話を聞いていたが、周囲から急かされて包みを開けることにした。
 不器用な手つきでリボンを解いていき、テープを剥がし――

(あ……)

 それが何なのか判った瞬間、どきりとした。
 中から姿を見せたのは、黒いカーフレザーのパスポート・カバーだった。

 何故パスポート・カバーなのか。
 
 リタが二学期の終業式も待たず、「少し早く」イギリスに帰省して既に一週間。結局その理由は、後から掛って来た電話でも説明のないままであった。
 一度リタの故郷に行ってみようか――海外はおろか、飛行機に乗ったことすらない徹の心中に漠然とそんな思いが擡げ始めていたのは、事実であった。

 奇妙な偶然の一致に胸がざわつく。
 が、

「カバーに穴がたくさん空いてておしゃれでしょ」
 徹の表情の変化に触れぬまま、選んだ自分の趣味の良さだけを自慢げに話すところが有為らしく――そう、自己中心的なようで実は察しのいい有為らしかった。

 その台詞に真顔で相槌を打つ桐嶋の人の好さも相変わらずだった。
 あたしも色違いのを自分で買っちゃったんだ――楠ノ瀬もいつも通りの調子で話しかけてくる。
 仲間たちのそれぞれの言葉に、一瞬強張った徹の顔から思わず笑みが零れた。

「ここにリタちゃんがいれば、完璧だったんだけどね」
 申し訳なさそうに徹の顔を覗き込む黒髪の少女に、徹は頭を振った。

「何言ってるんだよ。皆がいてくれるだけで完璧以上だよ」
 心の底からの気持ちであった。
 そう言いながら何の気なしに革の匂いを嗅ぐ徹に、少女たちから小さな笑いが漏れる。 

 瓜谷も口の端を上げたままその光景を眺めていたが、
「確かにいい選択だ。使う機会が直ぐ来るのも、いいような悪いような――だがな」

 陽気な口調の中にも、何かを見通した台詞であった。
 その真意を咀嚼するかの如く、車椅子の少年が目を細めて眼鏡の弦を指で押し上げる。
 徹は不意に、実験教室でのリタの瞳を思い出した。

(少し早くイギリスに帰省したくなったからな――)

 あの時、少女の表情に影が差していたような――
 
 いや、自分の思い過ごしだ。
 徹は直ぐに不吉な考えを頭の中から追い払った。

 今はそんなことを考える必要はない。目の前にはリタこそいないものの、大切な仲間たちの笑顔が揃っている。間違いなくこれまでで最高の誕生日を、心の底から楽しむべきだった。
 そんな徹を眺めていた瓜谷が、白い歯を見せると再び右手を上げた。

「ようしマスター、じゃあ記念写真でも撮ってくれよ」
「瓜谷先輩、マスターってそれ死語だから」

 息の合った連の二人の掛け合いに、再び喫茶店の中が笑いに包まれる。
 ケーキを徹たちに切り分けていたウェートレスさえも、堪え切れぬように肩を震わせている。

 宝玉の管理者の発表まで三週間、土曜の晴れた午後のことであった。


 続・月の裏で会いましょう 完

続・月の裏で会いましょう/ あとがき

2009年04月10日 00:02

 「続・月の裏で会いましょう」は如何だったでしょうか?

 今回の掌編は、本編との対応関係でいうと第三章金木犀18の裏側で起きているシーンです。
 前回の「月の裏……」に比べると伏線の回収は減りましたが、一方でそれぞれのキャラ、特に準主役クラスの「らしさ」は増したかなあ、と作者自身は思っています。
 毎度のことながら、これが好きだといいな、という気持ちなのですが……

 最後になりましたが、ここまでお読み頂きありがとうございました!

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髪は炎の色にして/ まえがき 

2009年05月01日 00:28

 本編終了後もこのブログに訪れて下さる「熱烈な同志」(毎度ながら脳内変換)に感謝をこめて、三度目の簡単な読み物を作りました。今回は、リタと赤い髪の一族に絡んだ話です。
 大きく分けて三つのパートから成り立っており、それぞれ主人公は異なります。

 今までの二作のサイドストーリーが本編の物語世界の裏側で「実際に起きていた」話であるのに対し、今作は本編の並行世界で「起きた(起きる)かもしれない」話です。

 各話が物語本編と地続きに繋がっているかと問われればYesではないが、かといってNoでもなく――というのが正直なところです。簡単に言えば、if小説という表記が一番近いかもしれません。

 それでは、これが好きだといいなと願いつつ始めます。

髪は炎の色にして 第1話 About fifteen years ago 前編

2009年05月01日 00:29

「ちょっと考えさせて貰える?」
 それが連を申し込んだときの彼女の答えだった。

   * * * * * * * *

 アナスタシア=ハート。三週間前にイギリスから突然やって来た赤い髪の三年生は、参宮学園高校に春の嵐を巻き起こしていた。

 背が高く均整のとれた――いや、日本人の基準からすれば胸元はそれ以上の、容姿。スクリーンの中でしか見かけたことのない、血管の浮き出るような白い肌と彫りの深い整った顔立ち。生命力に満ち溢れていながら、ふとした拍子に神秘的な影が差すターコイズ・ブルーの瞳。
 そして何より、燃えるように赤く豊かな髪。

 脳裏に次々と浮かんだ陳腐なまでに文学的な表現に、宇田川隆介は昼休みの教室で溜息をついた。

 隆介たち二年生が上級生である三年生に連を申し込めるのは、今週一週間だけである。
 先週まで新入生たちが軒並みアナスタシアに申込んでは断られたとの噂は、隆介も耳にしていた。勇気ある少年達は、数えるのに片手では足りぬ数に上ったという。中には自作のラブソングまで披露した者までいたというから驚きである。

 噂と言えば、彼女は如何なる相手にも即答しなかったらしい。

「ちょっと考えさせて貰える?」
 常にそう口にしたという。
 転校生の人気を必ずしも快く思わない少女たちの間では、これが流行語になっていた。
「ねえ、お昼は屋上で食べようよ」
「ちょっと考えさせて貰える?」
 今も教室の少し離れた席では、クラスメイト達が下らぬ会話に笑い崩れている。

 宇田川は無意識に眉を顰めると、再び机に頬杖をついた。

 去年は残念ながら、ナンバーワンの連になる夢は叶わなかった。

 長年学園の理事長職に君臨する祖父の力をもってすれば、孫に宝玉の管理者の栄誉を与えることなど造作もなかったろう。そもそも宝玉の呪いを解くことは、自分のみならず一族全ての悲願である。
 
 だが、祖父は隆介が選ばれることをよしとしなかった。
 実力不足。その言葉を口に出されるまでもなく、隆介本人が一番良く判っていた。

 とはいえ、自分が成長していることも事実である。これから一年で祖父の眼鏡に適うまでなってみせるとの自負はあった。そのためにも――そうであればこそ、今回のドルイドの少女の来訪は隆介にとって願ったりであった。

 まず間違いなく、彼女の方も隆介を知っているはずであった。遥か異国の地から宝玉を求めてきたのであれば、自分たちの事も当然調査済であろう。
 赤い髪の少女の目的は知る由もないが、彼女が一年生達の申込みを切って捨てたのは、自分からの申込みの可能性に賭けていたからだと隆介は信じて疑わなかった。これはごく当然の推論であった。

 にもかかわらず、まさか自分もこの言葉を聞くことになるとは――

(ちょっと考えさせて貰える?)

 自然と苦い笑みが浮かぶ。
 頬を撫でる風に窓から外を見ると、裏手の桜の古木は既に葉桜へと変わっていた。

   * * * * * * * *

「隆介、き、聞いたかよ」

 隆介はその日の放課後、小柄な親友が息せき切って教室に飛び込んでくる姿に顔を上げた。
「一体何だよ。そんな慌てて」
 栗原和人――隆介が参宮学園に入学する前からの、いや、正確に言えば物心ついたときからの幼馴染が、その黒々と太い眉を困惑に歪めていた。

 栗原は、過去のことが次々と記憶から消え去ってしまうという奇病に侵されていた。恐らく今の栗原には、自分が参宮学園に入学する前の記憶は既に無い。
「お、俺の頭ん中はおが屑が入っているんだって、い、医者の先生も言ってたぜ」
 隆介が幼い頃、栗原はよくそんな台詞を好んで口にしていたが、きっとそれすら忘れてしまっているだろう。

 隆介は一瞬脳裏をかすめた感傷を直ぐに振り払った。
「だから何だよ」
 幼馴染に対し、敢えて乱暴な口調でそう尋ねる。
 栗原は唾がかからんばかりの距離まで顔を近づけてきた。
「お、お前、そ、そんな落ち着いてる場合じゃ――」

「全く栗原君はいつも大袈裟なんだから」
隣の席の水野貴子も、慣れっことばかりに茶々を入れてくる。
「また、未確認飛行物体でも見たのか?」 
 皮肉る隆介に、憤慨した栗原が一層顔を近づけてきた。

(鼻にでも噛みつくつもりかよ)
 隆介が内心そう軽口を叩きかけたところで――
「ア、アナスタシアちゃんが、芥川に連のOKを出したんだぞ!」

(え……?)
 予想もしなかった栗原の言葉に、隆介の動きが完全に止まった。

 芥川圭吾。
 その名前は参宮学園の生徒であれば、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。
 芥川がまたやったらしいぜ。
 本当にあいつ馬鹿だよな。
 そんな話題はこの一年で既に日常化した。

 入学早々、全校生徒の前で陸上部のエーススプリンターだった三年生に一対一の勝負を挑んであっさり玉砕した話から、先週西川の授業中にいきなり贔屓の野球チームの応援歌を歌い出して抜き打ちテストを中止させた話まで。芥川の名前が学園で話題に上らない日は無かった。

 連についても、去年は組む相手を見つける前からナンバーワンを狙うと公言しては、相手という相手に引かれてしまい、片っ端から断られていた。
 最後にようやく見つかった三年生の少女は一学期末での転校が決まっていたという落ちまでついて、一年前の春は随分もの笑いの種になったものだった。

 だが一方、物怖じせず何にでも向かう姿勢や裏表のない性格、そして何より、小柄な身体にもかかわらずサッカーからバスケット、バレーに至るまで球技全般に運動神経の冴えを見せる少年が、学園でのポジションを確かなものにしていくのに時間はかからなかった。

 理事長の血縁で学年一、二を争う秀才と、行動に幼さを残した愛すべき学園の名物男。
 決して仲が悪いわけではないのだが、好対照と捉える周囲の評価が二人の間に見えない皮膜を――おそらくは隆介の方からだろうが、作っていた。

 だが、だがまさか、彼女が芥川に色よい返事をするなどとは――

「か、彼女が芥川なんかと連を組むはずがない!」
 動揺からつい語気を荒げる。
 栗原だけでなく水野貴子も驚いたように顔を向けた。

「宇田川君、それはちょっと言い過ぎじゃ」
 失言に気付いて隆介は慌てて言い訳を探した。
「いや、その……あいつには坂本先輩がいるだろ」

 昨年、組んだ相手が転校して連が崩れた後、既に人気者になっていた芥川には、連を組めなかった何人かの少女からアプローチがあったらしい。
 中には単に連の相手というだけでなく、恋愛対象としての告白もあったと聞く。

 だが、芥川は他の少女に靡かなかった。
 理由はどうやら芥川の家の近所に住む一つ年上の坂本美由紀にあるというのが、もっぱらの説であった。

「で、でも実際、芥川はア、アナスタシアちゃんに申し込んだのは事実だし……」
 栗原が困った顔で付け加える。隆介の方も、自分の下手な言い訳に拘るつもりはなかったので、曖昧に同意してみせた。

「それにしても連って罪作りなルールだよねえ」
 横から水野貴子も言葉を挟んできた。
「青春まっさかさまの男女が一年間も一緒に組んで、何も感じない方がおかしいもんね。芥川君だって、坂本先輩への気持ちがこれからどうなることか」

「水野、青春まっさかさまじゃなくて、真っ只中だ」
 隆介の指摘に水野が只でさえ細い目を糸のようにして笑い崩れた。つられて栗原も笑い声を上げる。
 話の落ちがついたとばかりに水野が立ち上がり、その後栗原も、と、とにかく気を落とすなよ――そう言うと去っていく。

 だが隆介は内心、激しい焦りが頭を擡げてくるのを抑えることができなかった。

髪は炎の色にして 第1話 About fifteen years ago 後編

2009年05月02日 22:48

「アナスタシア、教えてくれ」

 その後急いで席を立った隆介は、三年生の教室で友人達と話に興じていた赤い髪の少女を武道場の裏に誘った。少女は、驚いた顔も見せず隆介の後をついてくる。
 後ろで囁き合う上級生の姿に、この行動が直ぐに学園中の噂に上るであろうと判っていたが、焦る頭ではこんな強引な方法しか考えつかなかった。

「私は日本の春が好きよ。桜も素敵ね」
 アナスタシアが散りかかった桜の古木を見上げながら、そう口にする。季節が風薫る新緑の五月へ移ろうのを惜しむ風情であった。

 学園が設立される前は古刹だったというだけあり、校舎の裏手に回ると驚くほど自然が残っている。つられて空を見上げた隆介の視界に、ここをねぐらと定める小鳥たちが上空で舞う姿が目に入った。

 陽は既に傾きかけ、西の空は赤みを増している。少女の髪は、その空よりも赤く輝いていた。

「兄さんにも見せてあげたいわ」
「はぐらかさないでくれ。本当に奴の、芥川の申込みを受けたのか」
 苛立つあまり、懇願というより脅迫にも近い口調になってしまった。
 少女の青い瞳に僅かに動きがあったが、直ぐに神秘的な光を湛えた表情に戻る。年齢以上に落ち着いた表情で胸の前で腕を組んだ姿は、普段と変わるところは無かった。

 そうね、少女は小さく頷いた。
「明日まで私の気が変わらなければ、あなたの申込みを受けるわ――芥川君にはさっきそう伝えたの」
 奇妙な答えに隆介は眉根を寄せる。そのまま考え込んでいる隆介を前に、アナスタシアが真珠を思わせる歯を見せた。
「だからあなたにとっても、これが最後のチャンスね。でも嬉しいわ、直ぐに私を呼び出してくれて」

 彼女は自分の魅力を熟知していた。計算された台詞と判っていても、隆介に甘い痺れが走る。灰色と臙脂色のストライプのリボン・タイの下、腕組みをした少女の胸元に無意識に視線を移してしまう。

(でも嬉しいわ、あなたが直ぐに私を呼び出してくれて――)

 心の中で少女の言葉が木霊する。
 自分は何を考えているんだ。彼女とは目的を達成するため利用し合う関係に過ぎないじゃないか。
 内心舌打ちをした宇田川の耳に、再び少女の声が響いた。

「宇田川君、奇蹟を起こす気はある?」

(え?)
 思わず隆介は顔を上げた。
 何を突然――そう言いかけた宇田川の目の前に、先程とは全く異なる少女の姿があることに気付いた。

 その、人としての容れ物は一緒。
 どこか奇妙な、僅かに挑発さえ混じる口調で話しかけるのも一緒。
 だが、その瞳の奥に浮かんでいるのは真摯な――どこまでも真摯な光であった。

 隆介は瞬時に悟った。この少女は、宝玉が何をもたらすかを、そして何を代償に求めるかまで知った上でこの地に来たのだと。
 偉大な祖父に認められたいという思い。
 ライバルに負けたくないという思い。
 そんな底の浅い欲望に捉われていた自分を恥じる。

 気付いた時には、隆介は頷いていた。
「ああ、俺たちで一緒に奇跡を起こそう」
 どちらがどちらを利用するかなど、考えもしなかった。

 アナスタシアが組んだ腕を解くと、赤い髪を掻き上げる。西日に照らされた彼女の髪は、人ならぬ者の手で織上げられた金紗銀紗の輝きを纏っていた。
「誓える?」
 念押しをする少女の声は先程と同様に軽やかだったが、その瞳を見れば言葉の重みを誤解するはずなどなかった。

 心臓が強く脈打つのが判る。
 隆介は背筋を伸ばし、正面から少女の顔を見詰めた。

「誓う、この老木の前で誓う」

 果たして赤い髪の少女はこの老木の、そして足元の墓石のことまで知っていただろうか。
 だが彼女は満足げに頷くと手を差し出してきた。
「判った。芥川君には明日断るわ、縁が無かったって」
 隆介がそっと細い指を掴むと、アナスタシアが握り返してきた。

(あ……)

 思いのほかの力強さに、小さく声を漏らす。言葉にならぬ何かがアナスタシアの手から自分に流れ込んでくる。先程の痺れなどとは異なる、震えにも似た歓喜が全身を突き抜ける。

 アナスタシアは隆介の手を取ったまま、目を細めてその反応を確かめていたが、
「これであたし達はパートナーね」
 ふ、とその表情が和んだ。と思う間に大輪の花が咲き誇るような笑顔へと変わる。

「これから一年間宜しくね、隆介」
 


 連の締切りまであと僅か。参宮学園で過去幾度となく繰り返されてきた、ごくありふれた春の光景に違いなかった。季節は廻ろうとも時は戻ることなく過ぎゆくのみ――その言葉の意味を隆介が実感するにはまだ若すぎる年であった。

(ねえ隆介、あたしにはこの光景が見えていたのよ――)

 続いて耳朶を打った少女の声は、今思うと幻聴だったのだろうか。


 About fifteen years ago 完

髪は炎の色にして 第2話 Between a dream and reality 前編

2009年05月03日 22:25

 生臭い。
 それが日本の雨の最初の印象であった。

 エドワード=グレンゴールドは鉛色の空を見上げながら、車を降りた。
「エドワード様、足元にお気を付け下さい」
 ドアを開けてくれたブロンドの運転手の女性に軽く顎を動かすと、エドワードは異国の地の学舎を改めて眺めた。

 参宮学園の新年度の開始まで、あと一週間足らず。
 十数年前には母も学んだというこの場所は、弦桐寺と呼ばれる名刹だったと聞く。校門から校庭へと続く並木道にもその名残が見て取れる。
 歩き出すとアスファルトに広がった水溜りが不潔な音を立て、エドワードは顔を軽く顰めると首を振った。

 正直に言えば、この国の印象は好ましいものではなかった。
 空港に着いたその日から人々はあからさまに好奇の視線を向け、自分の容貌について囁きあう。燃えるような赤い髪にターコイズ・ブルーの瞳、そして抜けるように白い肌。確かにこの地でエドワードは異質であった。

 だが、彼らはエドワードが自分達の言葉を解さないと理由もなく確信しており、時に耳障りなほど声高になる。母が日本について話すとき、何故あれほど懐かしそうな表情を浮かべていたのか、エドワードには理解できなかった。

「エドワード様」
 大振りの傘を差して背後に付き従う女の声に我に返り、自分の置かれている状況を思い出す。
 答える代わりにもう一度軽く顎を動かすと唇を真一文字に結び、理事長室へと向かって足を速めた。

 こんなところで物思いに耽っている時ではなかった。この地に来てからの自分の一挙手一投足は、全て明確な目的を持っているべきだった。今日の目的についても、改めて立ち止まって考える必要などない。
 自分は、ある男に会うためにここを訪れたのであった。

 宇田川隆介。それが男の名前だった。
 長きに亘ってこの地に居を構え、葛原家に代わって宝玉を守り続けてきた一族。
 十数年前に母と共に運命に挑み、母の為に自ら憑代となることを選んだ男。

「だが、結局は失敗した」
 ぼそりと独りごちる。それは否定することの出来ぬ冷徹な事実であった。
 少年の脳裏に、一週間前に別れを告げた姉の姿が浮かぶ。無意識に唇を噛締め拳を握り締める。
「エドワード様――」
 付き従う背の高い女の声に、今度こそエドワードは溜息をついた。

 何故自分はこうも思考が拡散してしまうのだろうか。

 人はエドワードのことを、姉と同様に意志が強くその目は相手の心を貫くようだと評してきた。
 だが、自分だけは知っている。単に感情表現が苦手で仮面を被っているだけだと。いや、母とセシルは自分以上に分かっているかもしれない。
 一見姉と似た表情の裏で如何に自分が夢想に耽り、下らぬ事に煩悶しているかを。

 エドワードは唇を噛締めたが、直ぐにセシルに何度となく指摘された悪癖であることを思い出し、代わりに顎をひいて目の前を睨みつけた。理事長室はもう目の前であった。
 少年が大きく息を吸い込んでドアを開けると、中肉中背の身体をスーツで包んだ男と、十代半ばの少女の姿があった。

「参宮学園へようこそ」
 男は綺麗なキングス・イングリッシュだった。

 部屋に足を踏み入れたエドワードの目に続いて映ったのは、年代を感じさせる飴色の大ぶりの執務机と、壁一面に備え付けられた書架であった。左手に大きく取られた窓は薄らと曇っている。
 中央に置かれた古い革張りのソファの前で、三十前後と思わしき男がこちらを向いて立ち上がっており、その向かいには、制服を着た小柄な少女が膝を軽く斜めに揃えて腰掛けていた。華奢な手足やほっそりとした首筋が、どこか綺麗な羽根を持つ小鳥を思わせる。

「お前が宇田川か」
 エドワードの言葉に少女が不快そうに眉を顰めた。だが、その仕草も優美である。 

「どうやら私は失礼する時間のようですね」
スーツを着た男が頷くと、少女を導きながら理事長室のドアを開ける。送り出したところで、男はふと思いついたように少女に呼びかけた。
「判らないことがあればいつでも連絡してくれ」
 少女はその言葉に頷くと、軽く一礼をして出て行った。

 エドワードはその姿を目で追ってしまった。少女の美しさもさることながら、彼女が自分といつか関わることになる、理由も無くそう確信を持った。だが、それ以上思考が拡散する前に男に向き直ることにした。

「宝玉はどこにあるのか」
 単刀直入なエドワードの問いに対して、目の前の男――宇田川隆介は歯を見せた。育ちのよさを印象付ける笑顔であったが、エドワードは男の瞳の奥に憐憫の影を感じとり、鼻に皺を寄せた。

「君はもう、学園のルールをお母さんから聞いているんじゃないのかい?」
 既に宇田川は、言葉を日本語に切り替えている。ソファに再び深く腰を下ろし両手を膝の上で組んだ姿は、少年の存在など取るに足らぬものであるかのように些かも動じる素振りがない。
 仕立ての良いスーツ、磨き込まれた茶色の革靴、袖口から覗く同系色の腕時計。その全てに隙がなく、それが故にエドワードを苛立たせる。

 エドワードは無意識に顔を歪めながら前髪を掻き上げた。姉と同じ炎の色をした、だが姉よりも癖が強いウェーブを、指の腹でぐしゃりと押し潰す。
「質問に答えて欲しい。宝玉は今もここにあるのか」

 宇田川は敵意すら感じさせる少年の問い掛けにも笑顔を崩さなかった。
 エアコンの低い振動音だけが響く部屋で、二人はただ見詰め合う。
 先に口を開いた方が負けだ――エドワードは理由もなく、そう感じていた。

「中途半端な覚悟では――」
 そして静寂は、破られた。

「中途半端な覚悟では、命を落とす」
 その言葉を口にした男は、最早笑みを浮かべてはいなかった。如何なる表情すら浮かべていなかった。
 突如として少年の心の奥底から、不快感が湧き上がる。
 宇田川の言葉の意味するところについてはエドワード自身、日本に来る前から自問自答してきた内容であった。

 そんなことは判っている。自分は無様に失敗したお前とは違う。
 拳を握り締めたエドワードが口を開こうとした瞬間、宇田川が言葉を継いだ。
 その言葉は、それから数日の間エドワードの耳朶にこびりついて離れることはなかった。しかも回想の中では不快な笑い声さえも重なるのであった。

「君はきっと、今年度の管理者にはなれない」

 それが宇田川の答だった。
 エドワードは歯を食いしばった。
「そんな言葉は認めない、今回こそ、凶獣と相対して必ず姉を救う」
 何か言いかけようとする男に、赤い髪の少年は強引に言葉をかぶせた。
「覚悟ならある」

 この命に代えてもだ――

髪は炎の色にして 第2話 Between a dream and reality 後編

2009年05月03日 22:33

 エドワードは宇田川との話を終えた後、校内を歩いて廻ることにした。

 母とは異なり予知能力に劣るエドワードとしては、足で稼いで成功の確率を上げるしかない。接触型といえばもっともらしく聞こえるが、単に劣後する能力を別の言葉に言い換えただけだと判っていた。人影のない教室に立ち寄っては壁に耳を付け、机に手を当てる。
 校庭を一周した後で裏の林に足を踏み入れたのも、くまなく歩き回ろうとしたエドワードにとっては、いわば当然のことであった。

 武道場は校庭の右奥にあった。裏手には林が続いており、更にその奥には小さな墓地も見える。どこまでが学園の土地でどこからが寺の跡なのか判別し難い。
 エドワードが道場の入口で躊躇っていると、突然誰かが中から扉を開けた。

「あれえ、珍しいなあ」
 目の前には艶やかな黒髪に、そしてその髪よりも更に深い色を湛えた瞳の少女が立っていた。
 黒は悪魔、闇夜の眷属――エドワードが十三年間育んだ浅薄な固定観念は、音すら立てず一瞬で砕け散った。

 肩口で切り揃えた髪は漆黒の中に真珠の光沢を重ねており、その大きな瞳は快活さと知性とを兼ね備えている。制服のスカートからのぞいた脚は軽く左右に開かれ、しなやかに長い。

(参宮では、必ず誰かと「連」を組むのよ)
 母から聞かされていた言葉が脳裏に浮かぶのと、エドワードが口を動かすのは同時であった。

「君の名前を教えてもらえないか――」
 年上に見える少女は一瞬その瞳を見開くと、不意に崩れるように体を折って笑い出した。頭を震わせて笑う動きに合わせ、艶やかな黒髪が波打つ。

「今日はなんだか、面白い日だなあ」
 少女は涙を拭う素振りを見せると、前に一歩足を踏み出した。少女は頭半分高いエドワードを下から覗き込むように上目使いで視線を合わせると、形のよい唇を開いた。

「あたし、荻原有理。合気道部の今度二年生。宜しくね」
 そのまま足を止めずに、赤いスポーツバッグを抱えてエドワードの横をすり抜けて出て行く。故郷の荒れ野に咲く花とは異なる甘い匂いが鼻腔に広がり、無意識にエドワードは顔を赤らめた。

 少女は、どうして自分が日本語を話せるのか、名前は何と言うのか、どこから来たのか、何一つ問うことなく遠ざかっていく。エドワードは、口を半開きにしたまま、呆けた顔つきで少女の後姿を見送るしかなかった。

 日本人は好きではない――そう感じたのはついさっきだったではないだろうか。エドワードが再び考え始めたその時、既に校舎へ続く道への曲がり角にまで差し掛かっていた荻原有理が振り返った。
 少女の瞳が自分を再び捉えるのを見て、エドワードの息が止まる。

(え?)

 少女は何かを叫んでいた。
 確かに聞こえたが耳を疑った。目を細めたエドワードに対し、荻原有理はもう一度声を張り上げる。
 今度は聞き間違いようがなかった。
「その髪、綺麗な色だね」

 エドワードは表情を繕って頷くとすぐに背を向けた。そのまま道場に入り扉を後ろ手に閉める。靴を脱ぐと足早に奥へと進んだが顔が熱く火照るのが感じられた。
 心臓が脈打つ音が脳に直接響く。

 間違いない。運命の出会いは確かにあるのだ。
 エドワードは歩きながら少女の名前を舌の上で転がした。
(ユリ……オギワラユリ)

 馴染みのない響きを覚えこませるため、何度も繰り返す。忘れるわけがないと判っていてもその名を呟き続ける。そのまま、明かりのついている柔道場へと無意識に足を運んだ。
 だが、エドワードは誤解していた。

 何が運命なのか、何が必然なのか。
 荻原有理とあったことが運命なのか。

 それとも、一人の少年と出会った事こそが必然であったのか。
 
 柔道場には、自分と背丈の変わらぬ日本人の少年が立っていた。
 少年はエドワードに気付かぬまま無心に舞っていた。足元にはリュックと緑色のマフラーが無造作に転がっている。
 
 何のことはない光景である。単に目にした内容を言葉にすれば、東洋の舞を見ただけに過ぎない。
 では、自分が皮膚の下で感じるこれをどう説明すればいいのか。

 癇に障る――日本人であればそう表現したに違いない。
 考えるより早くエドワードの身体は反応していたのだ。 
 自分はこの少年と戦うことになると。


 何時しか雨は上がり、窓から覗く厚い雲の隙間からは陽光が差し込んでいたが、エドワードは身動ぎもせず少年を見詰めていた。


 Between a dream and reality 完

髪は炎の色にして 最終話 Someday, Somewhere

2009年05月04日 20:42

 結局、僕は高校を卒業する前に彼女と別れた。

 宝玉は確かに夢を叶えてくれたが、持続させるのは本人次第だという当たり前のことに気付いただけだった。思えば、僕らは幼かった。
 最近ようやく彼女とのことを思い返すことが無くなったが、これが時が流れるということなのだろう。

 聞けば去年、参宮学園でも生徒に宝玉を管理させる制度を無くしたらしい。
 時代にあった制度に変えていくのが正しいやり方のはずだ――教師として学園に戻ってきた瓜谷先輩が提案して、理事会も承認したという。見事なまでに先輩らしいやり方だった。

 僕は今、高校時代を過ごした地を離れて暮らしているが、まめに桐嶋がみんなや学園の近況を教えてくれる。そのお陰で西川先生が退職した際は、自分も寄せ書きに一言添えることが出来た。本当に気の回る奴だ。

 だが、彼女が出来たという話だけは本人からの報告がなかったので、いきなり結婚の話を聞いた時は驚いた。しかも相手はあの楠ノ瀬だというのだから、人生は不思議な縁だ。
 既に二人から披露宴の招待状が届いている。きっと多くの懐かしい顔に会うのだろう。

  * * * * * * * *

「徹、出かける時間だぞ」

 自分を呼ぶ声に、僕は我に返った。
 また、さっきと同じことを考えていたらしい。宇田川先生が、どうも春はいけない――そう言った気持ちが良く判る。苦笑しながら僕は立ち上がった。

「ごめん、今行くよ」
 返事と共に車のキーと財布を掴むと、厚手のジャケットを引っ掛ける。
 ここは日本と違ってこの季節はまだ寒い。振り向くと彼女は既に、その髪の毛と同じ鮮やかな色のマフラーを首に巻いて立っていた。

 差し出された手を、僕は僅かばかりの感慨と共に握り返す。指先を通して穏やかな、だが満ち足りた幸福感が身体を満たしていく。

 自分がこの場所に辿り着くことなど、あの頃は思いもしなかった。
 だがこれも時が流れた証拠であるならば、年を取るのも悪くない。
 

 今年はもう、参宮学園の桜は咲いたろうか。


 髪は炎の色にして 完

髪は炎の色にして/ あとがき

2009年05月04日 20:43

「髪は炎の色にして」は如何だったでしょうか?

 趣向を少し変えたif企画、書き終わって読み返すとbitterというより感傷的なトーンが顔を出してしまいました。一区切りつけるつもりで書いたのが果たして良かったのか悪かったのか、自分でも整理できていませんが、作者としては若干の照れも感じています。
 この点、同志の方の率直な感想を頂けると嬉しいです。

 なお、一区切りと言いつつ新たな登場人物が出てくるやら、伏線の描写(回収無し)が出てくるやらの展開でしたが、物語の広がりを表現しようと実力不足の作者なりに試みた結果ということで、何とぞご容赦ください。

 最後になりましたが、ここまでお読み頂きありがとうございました!

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月の裏で会いましょう 3/ まえがき

2009年07月14日 23:04

 前回の簡単な読み物から二か月半、久し振りにサイドストーリーを作成しました。

 第一作、第二作同様「月の裏」シリーズであり、如月の宝玉本編の裏側で実際に起きていた話です。
 ブログ小説の特性を生かし(?)て「季節感のある小説もいいかな」と思い、作品の舞台を七月に設定しました。全三回での掲載となります。

 それでは、本編を読んで頂いた同志の方に感謝を込めて始めます。

リタ、俺と付き合おうぜ (月の裏 3―1)

2009年07月14日 23:22

「リタ、俺と付き合おうぜ」
 七月十九日、参宮学園祭二日目の午後。
 リタ=グレンゴールドは、一年生の男子生徒と人気のない音楽教室で向かい合っていた。

 二人は黒いグランドピアノの横に並んで立っている。今日も朝から雲一つない晴天であったが、ブラインドが半ばまで下ろされた音楽教室には、眩しい屋外とは異なりどこか静けさが漂う。

 リタに告白してくる相手は、入学してからこれで四人目。即ち毎月一人のペースである。
 果たしてこれをどう理解すべきか。徹より少しだけ小柄な同級生を前に、リタは漠然と思いを巡らす。

 これまで声をかけてきた男たちは皆、似たタイプであった。ろくに言葉すら交わしたことも無い――正確に言えば少なくとも自分の側にその記憶はない――のに、妙に根拠のない自信に溢れていた。

 自分は、こうした男たちの「攻略対象」リストの上位に掲載されているらしい。知らず陶器細工のような頬に微かな薄笑いが浮かぶ。
 彼らは自分が狩人だと思っているが、狩ろうとする獲物が兔なのか狼なのかすら判っていない。

「お前には、藤原先輩より俺の方が合ってるって」
 これも皆同じ台詞だ。リタは半ば呆れ、半ば感心する。それほどまで藤原徹は、本性を隠すのに長けているのだろうか。

 徹が牙を持っていることを、学園の誰も知らない――もっともその牙で敵を喰いちぎったことがあるかは疑問だが。そして自分だけが徹のもう一つの顔を知っている。そのことにリタは誇りと、そして時に興奮すら覚えてしまう。
 そこまで考えたところでリタは、同級生に意識を戻した。

「どうやら有為が待っているという話は嘘らしいな。戻っていいか?」
「リタ、お前年下だろ。十四歳、いや場合によっちゃ十三歳か」
 リタの言葉を無視したままで一歩近付いた男子生徒に対し、リタはポーカーフェイスを崩さなかった。

「どうしてそう思う」
 今回の男子生徒も外見だけで言えば水準以上ではあるが、リタにとって全く興味は無い。
 相手が近付いたのと同じ分だけ、おもむろに距離を取った。

「どうしてか、教えてやろうか」
 男子生徒が厚い唇を嬉しげに開く。粘り気のある声が続いた。

「子供の匂いがするからな」

 僅かに――ほんの僅かにであるが、その言葉に反応してしまった。
 男子生徒の顔に、してやったりとばかりの表情が浮かぶ。リタは自身に内心舌打ちすると、直ぐに主導権を取り返すことにした。相手がこういう戦い方を選ぶなら、自分も別に躊躇する必要はない。

 リタは胸元まで掛かる豊かな赤い髪を掻き上げると、そのまま前に腕を伸ばした。陶器を思わせる少女の白い腕が自分の耳元に伸びるに及んで、男子生徒は身を固くする。
「お、おいおい。ちょっと早い……」
 少女から子供の匂いがすると告げたのは、どの口だったか。瞼を閉じた異国の少女を前にして、男子生徒は先走った妄想に声が上擦る。

 次の瞬間、男子生徒の期待は脆くも裏切られた。

「お前、誰に振られた?」
 再びターコイズブルーの瞳を開いた少女の声は、低い。
「あ?」
「有為か? なるほど、それで今度は私のところに来たか」

 肌に触れて何を読み取ったのか。だがそんな能力の存在など、男子生徒に判るわけはなかった。
 男子生徒の目に動揺と、続いて凶暴な光とが浮かぶ。
「て、てめえ――」

 鼻孔が広がり、厚い唇が小刻みに震えている。後の言葉が続かないままリタに近付いてくる。
 今度はリタも下がらなかった。ターコイズブルーの瞳を正面に向け、敵を迎え撃つかの如く顎を高く上げる。

(久しぶりに試すか)
 声に出さず口だけを僅かに動かした。桜色の唇の隙間から、ちらりと赤い舌が覗く。
 リタの意図に気づかぬまま、男子生徒が薄い肩を掴もうとする。リタが指の間に何かを挟んだ瞬間――

 飛んできた茶色い楕円形の物体が、男子生徒の顔を直撃した。

「痛えっ!」
 鈍い音とともに、間の抜けた悲鳴が上がる。
(ラグビーボールか?)
 咄嗟に避けたリタが、足元に転がったものを見る。

 それは三十センチ近くある、踵を履き潰したローファーだった。

「悪い、歩いてたらすっぽ抜けちまった」
 太い声の主はリタ達より頭一つ高い。
 男はドアのところで一旦頭を屈めると、音楽教室の中へと大股で入って来た。 
「おい小憎。どっか行け」
「な……」
 反射的に何かを言いかけた男子生徒は、改めて男が誰であるかを理解して言葉を呑みこむ。

 男は高宮武だった。

 黒いTシャツの胸は盛り上がり、両拳にはグロテスクな蚯蚓腫れが浮かんでいる。ワンサイズ上を腰穿きしたカーゴパンツの足は、少女の腰を思わせるほど太い。
 全てが男の危険さを雄弁に物語っていた。

「俺は、どちらでもいいんだぜ」
 高宮のトーンが微妙に変わる。どちら、とは何と何を比べているのか。言葉を付け足すことなく、当人同士は完全に理解していた。
「どうする?」
 高宮の声は優しい。が、格が違っていた。

「じゃ、じゃあリタ。考えておいてくれ」
 高宮に圧倒された少年は、どうにか言葉をひねり出すと背中を向けた。
 出口のドアの段差で躓いて大きくよろめいたが、更に声を掛けられるのを恐れたか、照れ隠しのリアクションもせず足早に出ていく。
 高宮はドアに向かって唾を吐いた。

「けっ。胸糞悪いぜ」
 落ちていた茶色のローファーを拾い上げると、右足を通す。
 二人の遣り取りを黙って見ていたリタだったが、
「高宮、礼を言う」
 そう短く口にした。

「お前、何か勘違いしてないか?」
 高宮は面長の顔を――確かに徹よりはハンサムだと思う――近づけて来る。高宮は意外にピアスが似合っていた。
「教えてやろうか。藤原の野郎は今、有理と一緒だぜ」

「ああ、知っている」
 リタの表情は揺るがない。

「あいつも馬鹿だぜ。自分の女が原田みたいな屑に声掛けられてるのも知らず、鼻の下を伸ばしてやがる」
「徹は関係無い」
 即座に、そして冷静に否定するリタに、高宮は大声で笑った。思いのほか甲高い声が二人だけの音楽教室に響く。

 高宮はひとしきり笑った後で、
「おいリタ、ちょっと付き合え」
 そう言って、口の端を上げた。

「奇遇だな。俺も、有理とは関係ないと思ってたところだったんだよ」

お前みたいな女は嫌いじゃないぜ (月の裏 3-2)

2009年07月17日 00:18

 二人は、学園内外の生徒たちで賑わう校内を一巡りした。

 よそよそしくも無いが、かといって親しげでも無い。自然体で並んで歩くだけの二人だったが、行く先々で周囲の視線が纏わりつく。
 注目を浴びるのには馴れた二人だったが、お互い普段と違う種類のものが混じることに気付いていた。

「なるほど、お前はいつも、こういう視線を浴びているのか」
 赤い髪の少女の言葉に、茶髪を刈り込んだ男も答える。
「俺も、同じことを言おうと思ってたぜ」

 高宮はあちこちにある屋台や模擬店で食べ物を要求しては、そのままリタに押し付けてきた。
「おい、食券は払わなくていいのか」
「あ?」
 リタの指摘に面倒くさげに高宮が振り向くと、売り子の一年生に視線だけ向ける。腕の太さが高宮の半分しかない少年は、逃げ腰で首だけを横に振った。

「ほらな、いいってさ」
 そう言って、今度はたこ焼きを紙箱に詰めさせている。
 対価を払うなどという概念は、頭から抜け落ちているらしかった。

「高宮、お前は食べないのか」
 リタは質問を変えた。
「減量中なんだよ。来月体重別の試合だ」
 高宮は、拳ダコのある手を自分の胸の前で組み合わせて、ぼきりと指の節を鳴らした。
「食っていいのは、鳥のササミかツナ缶だけだ」

 もちろんノンオイルだぜ――付け足す口振りは、まんざらでもなさそうだった。話は終わりだとばかりに、また高宮は歩き出す。
 リタも後を黙って追った。

 校舎内には文化部の各種展示に混じって、教室を改装したゲームコーナーやお化け屋敷といったアトラクションも並んでいた。二人の姿を見ると歓声を上げて呼び込もうとする同級生達もいたが、二人は特段足を止めずにただ歩く。
 途中で楠ノ瀬とも出会ったが、驚いた素振りも見せず手を振って来るだけだった。
 リタと高宮は一通り校内を回った後、東校舎の廊下に並べられた椅子に腰を下ろした。

   * * * * * * * *

 体重が自分の倍ほどもありそうな男は、横に座って紙パックのウーロン茶を飲んでいる。汗ばんだ太い首の根元が規則正しく上下するのをリタが眺めていると、高宮は不意に話を始めた。

「俺は、お前みたいな女は嫌いじゃないぜ。折れそうで、とことん世間に突っ張って、しかもぽきりと折れることが判っても、それを止めない」
「有理と違うタイプだと思うがな」
 冷静なリタの言葉に、高宮は鼻に皺を寄せた。

「俺はな、そういう女を見ると自分の手で折ってやりたくなるんだよ。女だってそこら辺のくだらねえ奴らに引っかかるよりは、よっぽどいいだろ」
 思わせ振りに、べろりと唇を舐める。

 こんな会話をするときでも、高宮は声を潜めない。目の前の廊下はひっきりなしに人が通り過ぎていく。
 だが不思議と自分たちの周囲だけは、関わり合いを避けるかのようにぽっかりと空いていた。

「高宮、お前不器用な男だな」
 心からの感想であった。それを聞いた茶髪の男は、気を悪くするでもなく歯を剥き出す。

「どこがだよ。空手は黒帯で、喧嘩なら学園の誰よりも強い。うちの主将よりもだ。女はほっといても寄って来る。正直、ここで俺と同じレベルで会話できるのは、瓜谷先輩だけだぜ」

 一呼吸置いて、男は続けた。
「リタ、来年は俺のところに来い。可愛がってやる」
 そこに傲慢な響きはあったが、不思議と卑しさは感じられなかった。

(なるほど、確かにこの男も――)
 リタは一人、小さく頷く。

「高宮、お前の存在も興味深い。だが、来年はもう――」
 男は大きな手をリタの顔の前に広げると、最後まで言わせなかった。
「判ってるよ」
 面倒くさげに首をごきりと鳴らすと、ふと思い出したのか高宮は話題を変えた。

「ところで昨日のあれ、誰が考えたんだ」
「あれ、とは何だ」
「前夜祭でお前らがやった、型だよ」
 挑むような目付きで訊ねてくる。奇妙な表現にリタは一瞬眉を顰めたが、
「振付を考えたのは、徹だ」
 そう口にした。

「……なるほどな、藤原の馬鹿か。やっぱり思った通りだぜ」
 凶悪に口を歪める男を前に、可笑しみが湧き上がってきた。

「おい。リタ、何だよその眼は」
「馬鹿という言葉は、日本では一種の友情の表現か?」
「あぁ?」
 高宮が訝しげに眉根を寄せる。

「徹もお前のことを、よく馬鹿と言っている」
 皮肉ではなく、ただ思ったことを口にした。
「……あの野郎」
 それを聞くや否や、頭一つ高い高宮のこめかみに血管が浮かび上がった。その鼻先をぐっとリタに近づけてくる。

「あの糞馬鹿野郎に伝えろ。お前なんか眼中にないとな」
 空になったウーロン茶の紙パックを、ぐしゃりと大きな手で握りつぶす。そのまま椅子から立ちあがると、いつか叩きのめしてやる――そう捨て台詞を吐いて肩を怒らせ去って行く。
 廊下の中央を大股で歩く高宮を避けて、人の流れが両脇に割れた。

 そして、高宮が舞台の袖へと去った。そう表現するのが相応しい絶妙のタイミングで、次の登場人物が反対側から走ってきた。

(噂をすれば影か。何と今日は目まぐるしいことか)

 今度は、藤原徹であった。

済まない、冗談だ (月の裏 3-3)

2009年07月19日 01:00

「リタ、大丈夫かい。高宮の馬鹿がリタを連れまわしてるって聞いて」
 おそらく楠ノ瀬麻紀から聞いたのだろう。だがこの反応は、果たして何と説明されたのか。麻紀のほくそ笑む表情が目に浮かぶ。
 リタは改めて、息を切らせている少年を観察した。

 ぼさぼさの髪の下、心配げな表情を浮かべた少年の顔には汗が浮かんでいる。ふわりと少年の匂いもしたが、それはリタにとって不快なものではなかった。

(そう言えば私のことを、懐かしい匂い――と言っていたな)

 数か月前のことを思い出して自然と口元が緩みかける。表情の変化を徹に悟られぬよう、額の前にかかった赤い髪を意識的に掻き上げた。
「ああ、大丈夫だ。ところで徹の方は、誰かと一緒だったのか」

 ちょっとした悪戯心からの付け足しだったが、少年は激しく動揺した。その眼が左右に泳ぐ。
「え……いや、そのクラスメイト――」
 そこで一瞬間があったが、結局、潔く続きを口にした。
「クラスメイトの荻原有理と」

 リタは満足して頷いた。
「そうか、心配かけたな」
 その言葉に徹の顔が明るくなる。

「リタ、荻原有理と杉山の推理劇の最終公演が三時半からなんだ。一緒に行かないか」
 徹は、さっきまで高宮が座っていた椅子に腰を下ろすと、二人の推理劇が如何に評判になっているかを滔々と話し出した。

 見てもいないのに身振り手振りを加えて話すのは、先程まで一緒だった有理からの受け売りだろう。徹は、年下の自分から見ても、素直というか無防備なところがある。ある意味、先ほどの高宮とは好対照と言えた。
 だがリタは、徹とこうした会話をするのが好きだった。

 自分が徹を選んだのは、「あれ」を見たからだけでない。自分は牙を利用したいためだけで選んだわけではない。この少年に惹かれたのはこういった心の在り様も含めてなのだ。 
 そう己に言い含める度に、いつも心の奥深い部分が楽になるのを実感する。

(徹には、助けられているな)
 リタは心の中で感謝を口にしたが、実際に声に出したのは短い相槌だった。

「そうだな、見に行こう」
 愛想のない返事にもかかわらず、徹に再び無防備な笑顔が浮かんだ。それを見て悪戯心がまたも頭を擡げる。
 リタは敢えて顔から感情を消したまま、傍らに座った徹の頬に手を伸ばした。
 それだけで少年は、ぎくりと表情を変える。

「リタ……?」
 これでは触れるまでもないか――そう思いながら少年の頬に手を添える。
「徹、何かついているぞ?」
 意味ありげにターコイズブルーの瞳を閉じる。数秒後おもむろに眼を開けると、重々しく頷いた。
「なるほど、綿飴か。まあ、このくらいなら許してやるか」

「なっ……」
 徹は今度こそ耳まで赤くなった。リタは流石に堪え切れず、小さく背中を震わす。
「リ、リタ。まさか、からかっているんじゃ」
 少年の声が何とも恨めしく響いた。

「済まない、冗談だ」
 普段と変わらぬ声に戻って立ち上がると、リタは推理劇が開催される講堂へと歩き出す。
 廊下のガラス越しの日差しは先程までと変わらず、うだるような暑さはむしろ増している。だが、その暑さこそが、自分が日本にいることを強く実感させた。

(母も十五年前に、こうして過ごしたのだろうか)
 ターコイズブルーの瞳を細めながら、長い髪を掻き上げた。
「お、おい、待ってくれよ」
 慌てた徹の足音が、後ろから追いかけてくる。

 少女にとって初めての日本の夏は、始まったばかりであった。


 月の裏で会いましょう 3 完

月の裏で会いましょう 3/ あとがき

2009年07月19日 01:03

 今回の「月の裏で会いましょう 3」は、本編第二章向日葵11の裏側で起きているシーンでした。

 先日から絵師の方にキャラデザインをお願いしているのですが、文章を書きながらそのキャラで各シーンが脳裏に浮かぶのは新鮮な体験でした。
 特に高宮武については作者にとっても「敵役」の印象が強かったのですが、素敵な絵を頂いたことで今回筆が進んだ気がします。

 というわけで、もし前作よりも生き生きとしたシーンが少しでもあったとしたら、それは絵師の方のおかげだと思っています。

 最後になりましたが、ここまでお読み頂きありがとうございました!

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春の記憶 如月の夢/ まえがき

2009年11月18日 00:36

 今回久しぶりに掲載するのは、5回目のサイドストーリーです。
 如月の宝玉本編終了後、こんなに回を重ねるとは作者自身想像もしませんでした。一人でも読者がいるというのは本当にありがたいことだと思ってます。

 さて本作品は前々回に掲載した「髪は炎の色にして」と同様、本編の並行世界で「起きた(起きる)かもしれない」話です。二つの短い話に序と幕間を挟んでの掲載予定です。

 それでは毎度ではありますが、これが好きだといいな――ということで。

春の記憶 如月の夢/ 序

2009年11月18日 00:37

 我ら、天の理を知り地の則に服し
 御仏の教を全うし義の道を歩み

 今宵が契の為に殉ず

 我らは宝玉の主にして僕
 宝玉は常に我らと共にあり

 我らはこの生涯を宝玉に捧ぐ

 この儚き命ある限り
 宝玉の加護のあらんことを


 木蘭が言い終わると同時に一陣の風が桜の花びらを舞い上げた。
 見上げた桜の梢越しに、息を呑むほど見事な満月が覗いていた。

春の記憶 如月の夢/ 如月の夢(前編)

2009年11月18日 00:38

 その時、僕はリタと二人で学校帰り、リタの家まで歩いて戻る途中だった。

 寒いな――イギリス育ちのリタにしては珍しいその台詞に、僕らはコンビニで飲み物を買うことにした。
 当初は周囲から奇異の視線に晒されたに違いない赤い髪も、一年近く経つと多少は風景に溶け込むものらしい。レジの男も特段の反応を見せることなくリタに釣銭を手渡す。

 僕は緑茶のボトル、リタはホットココアの缶を手にコンビニを出た。

 僕は歩き出すとすぐにキャップを開けて緑茶を飲み始めたが、リタは焦げ茶色の缶を手にしたまま、口を付ける気配はない。
 今日は一日中雲一つない晴天だったが、こんな日の空気はむしろ普段より冷たい。吹きつけてきた北風に、僕は緑色のマフラーを巻き直した。

「リタも冷めないうちに飲んだら? その方が持っているより暖まるよ」
 リタの家までは手前の公園の角を右に曲がった後、細い坂道を十分ほど上る必要がある。既に西の空は赤みを帯びており、夕暮れとともに風は一層冷たさを増していた。

「ああ、そうだな」
 相槌を打ちながらもリタに缶を開ける素振りは無い。その声の響きが普段と僅かに異なる気がした。と、不意に先日の会話が甦る。

「リタ、もしかしてココアが好きなのは子供っぽいって言ったことを気にして――」
「そんなことはない」

 リタが否定するタイミングがいつもより早かった。
 そのことに気付いた途端、胸にじわりと可笑しさがこみ上げてきた。

 宝玉の管理者となり、一緒に寝泊まりするようになって二週間。一年近く連を組んで過ごした後であっても、なお新しい発見はあった。その一つが、意外にリタはココアが好きだという事実であった。
 リタといえば紅茶というイメージが強かったが、ちょっとした機会にリタはセシルにココアを頼むのだった。そして昨夜、ココアなんてリタも子供っぽいところがあるんだな、などとつい口にしてしまった。

 あれは失言だった。

 だが僕はすぐに思い返した。もしその言葉を気にしているのなら、今日また自分で選ぶはずがない。
 僕の顔に困惑の表情が浮かんだのが判ったのだろう。リタが立ち止まると前方を指差した。
「徹、そこで飲んでいかないか」

 そこにはリタの家のリビングルームとさして変わらぬ広さしかない、ブランコと砂場だけの小さな公園があった。

 暮れかかる公園には遊ぶ子供の姿は無い。二人並んでブランコに腰を下ろすと、リタはすぐにプルタブを開けてココアを飲み始めた。
 陶器のように白い喉元が何度か小さく動く。リタは缶から口を離すと小さな吐息と共に、満足げな表情を浮かべた。

「なんだ、飲みたかったなら早く言ってくれれば」
 僕はそう言いかけて、ふと思い当った。
「もしかして、歩きながら飲むのは行儀が悪いと思ってた?」

 今度は否定することなく、リタは僅かに微笑んでいる。
 躾の厳しい家で育ったはずのリタである。どうやらこちらが正解に近そうだった。 

「ごめん、全然そんなこと考えなくて」
 謝る僕を前にリタは微妙な笑顔を浮かべていたが、そのうち思案する表情になった。ブランコの鎖を軽くつかんでいた手を離し、胸までかかる豊かな赤い髪を掻き上げる。

 と、笑顔が大きくなった。
「謝ることは無い。私の方が悪い」
「いや、だって」
 それから僕らはひとしきり押し問答を続けたが、不意にリタは軽く溜息をついた。
「これではきりがないな、仕方がない。徹、セシルも知らない私の秘密をお前に教えよう」

 予想外の言葉に心臓が音を立てて跳ねた。

「もしかして、これもまさか……」
 リタは僕の意味を無さぬ問いに対し、否定も肯定もしないまま唇を動かした。
「先ほど飲まなかった理由だが、行儀が悪いと思っていた――というわけではない」

 ターコイズブルーの瞳に宿る光が、これから話すことは他言無用だと告げている。一気に緊張感が高まった。どう繋がるのか見当もつかないが、やはり宝玉に、そしてイギリスに残してきたリタの弟に関係があるのだろうか。
 僕は腹に力を込めた。どんな衝撃の事実を聞かされようとも、僕らは連だ。そう言ってリタを支えるつもりだった。

「実はな――」
 唾を呑みこんで続きを待った。

「私は、歩きながらだとこぼしてしまって、うまく飲めないんだ」

「へっ?」
 耳を疑った。息することさえ忘れたまま、穴のあくほど目の前のリタの顔を見つめる。
 お互いに無言の数秒が過ぎ、やがて少女の白い頬に微かに赤みがさした。

「……徹、まさか私のことをまた子供だと言うつもりじゃないだろうな」

  
 そして――
 僕はリタの台詞にもかかわらず、自分の笑いを止めることが出来なかった。

春の記憶 如月の夢 幕間1

2009年11月20日 20:40

 満月は、獣の心を狂わせるのだろうか。

 野犬の遠吠えを聞きながら、葛原貞義はふと思った。
 と、目の前でまた一人、奇妙な技をかけられて崩れ落ちる。
 
 そこで貞義は男たちに声を掛けた。
「もうよい、行かせよ」
 言葉と同時に配下の者たちが解いた囲みの間を、風の如く黒い影が走り去っていく。
 黒い影――ただ一人の男を相手に、既に五名が倒されていた。

 「あの男が、ここまでやるとはな」
 呻き声を上げている配下の者たちの惨状に眉一つ動かさず、貞義は独りごちる。

 葛原の安泰を第一に考えるのであれば、ここで貸しを作るよりもこの機に乗じて相手を根絶やしにした方がむしろ得策――貞義は、自分の考えが間違っているとは露ほども考えなかった。
 だが、殺すには惜しい。一方でそう思わせる男の獅子奮迅振りだった。

 しかも貞義は、先ほど西の夜空を照らした光の意味を誰よりもよく判っていた。
「愚かな」
 木蘭が宝玉の霊力を使い切ってしまったことは、容易に想像がついた。
 
 貞義は踵を返し、男達が慌てて後に従った。
  

春の記憶 如月の夢 /春の記憶

2009年11月20日 20:43

「那由、よく来たね」
「叔父様、学園では苗字で呼ぶ約束です」
 宇田川隆介は、目の前の少女の台詞に苦笑する。

 その日は朝から雪が舞っていた。

 理事長室の窓は薄らと曇り、窓枠には水滴がついている。制服を着た目の前の小柄な少女は、古い革張りのソファに膝を軽く斜めに揃えて腰掛けていた。

 宇田川は数年ぶりに会う姪の美しさに目を細めながら、無意識に左手の時計のリストバンドを弄っていた。宇田川は、中肉中背の身体を品のいいスーツで包んでいる。その切れ長の瞳と薄い唇は、聡い者が見れば少女との血縁関係を連想させるに十分な相似であった。

「いずれにせよ、君が転入してくれて嬉しいよ」
「決まっていたことですから」
 その声に特段の感慨は感じられず、むしろ冷ややかな響きさえ混じる。

「そうかもしれない。だが、ここから先は全て君次第だよ」
 宇田川は姪の言葉にも、笑顔のままであった。

 それが不満であるかのように、少女は殊更冷淡に言葉を返す。
「使命なら決まっています。宝玉の主となり、呪いを解くのでしょう」
「お父さんは、そんな説明をしたのかい」

 呪い――その語感に宇田川が微かに眉を顰めると、少女の唇が綺麗な半月を作った。
「夢から醒めないのであれば、呪いと変わりません」
「夢か……」
 宇田川はその言葉に、十五年前の自分自身を思い出す。

 果たして自分はあの時、呪いを解こうとしていたのだろうか。

「呪いか、そうでないかは、那由の目で確かめてくれればいい」
 那由は、再び名前で呼ばれたことに不服そうな顔をしたが、構わず宇田川は説明を始めることにした。

「君は、体調不良を理由に一年間療養しているので、希望通り一年生に編入されることになる。念のため、私との関係は伏せておいた方がいいだろう。苗字が違うことを考えると、それほど気にすることも無いとは思うが」
 無言で頷く少女を見ながら、更に話を先に進める。

「参宮学園には君も知っている通り、連の制度がある。君は、まず、四月のうちに誰か相手を見つけて連を組む必要がある。その際には、条件が三点――」
「自分と違う学年から選ぶこと、相手は一人であること、異性を選ぶこと。わかっています。もう、調査も済んでいますから」

 宇田川は、少女の賢しげな台詞に目を細める。
「なるほど、一年生に編入することも含めて計算済み、ということだね。さすがに私の時とは違う」

 特に嫌味を言うつもりも無かったが、少女は首を横に振った。
「叔父様の時は真の年でなかった、只それだけです」
「むろん鳴神もいなかった。だが、彼の地の一族はいた」
 どこか懐かしむ口調で宇田川が独りごちる。脳裏に、共に宝玉の管理者を目指した青い瞳の少女の姿が浮かんだ。

(ねえ、隆介。私と貴方が組めば、出来ないことなど何も無いと思わない?)
 春の日の情景が昨日のことのように蘇る。あの頃、未来は自分達の前に確かに開かれていた。

(御免なさい。私は貴方を利用するために日本に来たの)
 あれは落ち葉が舞い散る季節だった。芥川や佐倉と一緒に出かけた帰り道だったろうか。

(お願いだから誓って。あなたは私を犠牲にすることが出来る、と)
 雪の記憶と共に、宇田川の口の中に苦いものが広がっていく。宇田川は記憶の底をさらう作業を中断して、目の前の少女へと向き直った。

「私はもっと慎重であるべきだった。いや、むしろ、もっと思い切ってやるべきだったのかもしれない」
 そこまで口にして、宇田川は軽く肩を竦めると目尻に小皺を寄せた。二十代といっても通用する若々しい顔立ちに、年齢相応の影が差す。
「可笑しいだろう。未だに客観的な評価さえできないんだよ」

「いえ。そんなことはないです」
 そう言いながら、頃合いと見たのか少女はソファから立ち上がる。その仕草が小鳥が止まり木から飛び立つ姿を連想させる。
「そろそろ失礼します」

 相変わらず、場の空気を読める子だ。そう感じながら宇田川も頷くと立ち上がり、少女を導くように理事長室のドアを開ける。少女を送り出したところで、宇田川はふと思いついた言葉を口にした。
「そうだ、今日はこれから鳴神の少年が来るが、会っていくかい?」

 少女――葛原那由は小さく首を横に振ると、軽く一礼をして出て行った。

 宇田川が職員室に戻ると間もなく、スリッパに履き替えて黒いダウンジャケットを脇に抱えた優しげな少年が、辺りを見回しながら入ってきた。
 宇田川は冷めかけたコーヒーを一口啜ると、少年に向かって軽く手を上げて合図をした。


「藤原徹君だね。私が転入担当をしている宇田川だよ」


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