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エピローグ 運命の輪を超えて/ だから、だからきっと (エピローグ 運命の輪を超えて1)

2009年02月13日 01:17

 徹が目を覚まして間もなく、リタがエジンバラに帰ることになった。
 春分の翌朝、徹より一足先に目覚めたリタは記憶を失っており、参宮での学園生活を何一つ覚えていなかった。せめて見送りだけはさせて欲しいと徹たちは申し出て、空港まで一緒に行くことにした。

 徹や荻原姉妹、楠ノ瀬や桐嶋たちは、リタと空港までの電車の中でゲームに興じた。来週から大学生になる瓜谷は相変わらず座を盛り上げ、時折セシルまでが声を出して笑った。
 だが空港に近付くにつれ誰もが言葉少なくなり、リタも黒い革のバッグを膝に抱えたまま物思いに耽っていた。

   * * * * * * * *

「リタちゃん、これ私達から」
 荻原有理がリボンの掛かった薄い箱を取り出すと、リタに差し出す。空港についてチェックインを済ませた後、徹たちはリタを囲むように出発ロビーのベンチに腰を下していた。
「荷物になってごめんね。でも、私たちのことを覚えていて欲しくて」
 リタが包みを解くと、革張りのアルバムが姿を見せた。

 リタは宝玉に記憶を奪われた翌日、部屋に籠もりきりで日記を読んで状況を理解していた。日記には、この日を予期していたように日本に来てからの出来事が詳細に記されてあったという。
 アルバムをめくると最初の一枚は、入学式で宇田川に質問をするリタの写真だった。

「卒業アルバムの製作委員からネガを借りたんだ」
 目尻に笑い皺を寄せた桐嶋が嬉しそうに鼻をこする。
 リタがページを更にめくった。

 教室で授業を聞くリタ。
 同級生と並んで廊下を歩くリタ。

 赤い髪の背の高い少女は、どこに居ても目を引いた。
 いや、少女の髪の色は結局のところ関係なかった。
 その信念を貫こうとする瞳が、見る者の目を射るのだった。

 学園祭でダークスーツに身を包んで踊るリタ。
「カッコよかったよ」
 有理が嬉しそうに話しかける。
 徹と楠ノ瀬と三人で、スイカを食べながら笑うリタ。
「中学生みたいだ」
 杉山想平がタンクトップ姿のリタの写真を見て、感想を漏らす。
 本当は中学生の年なんだ――徹は少女の横顔を眺めながら呟く。

 体育祭の二人三脚で徹と肩を組むリタ。
「これ最高でしょ」
 楠ノ瀬麻紀が指し示す写真は、楠ノ瀬と大きなポリバケツに手を掛けている仏頂面のリタだった。
「この時優勝したのは俺だぜ。何で左足しか映ってないんだよ」
 瓜谷の台詞に笑いが漣のように広がり、つられてリタも微笑んだ。

 冬服のブレザー姿で歩くリタ。職員室に貼り出されたリタと徹の名前。
 最後の写真は、昨日学園の正門で皆と撮った写真だった。
 写真の中のリタと徹はまだ頬がこけ、目の下に隈ができている。両脇で笑う有理や有為、そしてかけがえない仲間たち。
 これが最後。
 誰もがわかっていた。

 皆が押し黙り、リタは大事そうにアルバムをしまった。
 リタは仲間たちの顔を見回しながら、ゆっくりと言葉を選んだ。
「私は今日、参宮学園を去る。ここに写された一年は巻き戻すことは出来ない。が――」
 リタは徹を見た。
 ターコイズ・ブルーの瞳が徹を射る。連を申し込まれた時のように、徹は何かの予感に足が震え出すのを感じた。
「記憶は無くとも断言しよう。私は確かに悔いの無い一年を過ごした」

 徹は少女の言葉に胸を貫かれた。
 リタをリタ=グレンゴールドたらしめているものが、この一言に凝縮されていた。
 数え切れぬほどリタと話し、歩いた。
 ともに笑い、涙すら流した。
 それでも徹はこの少女を見る度に、初めて会った時と同様、魅入られてしまう。

 自分がこの少女に抱いた気持ちは、恋ではなかったろう。
 だが今となってわかる。自分はこの一年、少女の半身として寄り添ったのだ。

 リタは革のバッグから手編みの赤いマフラーを取り出すと徹に歩み寄った。有為が何かを言いかけたが、姉に制される前に自ら口を噤ぐんだ。
 少女が自分の髪と同じ色のマフラーをそっと徹の首に掛ける。
「リタ=グレンゴールドは、藤原徹にこれを渡すつもりだったらしい」 
 うまく編めたか自信は無いが――少女は俯き加減で付け足すと、再び顔を上げて左手を徹に差し出してきた。

 黙ってその細い手を握りしめた瞬間、徹の全身に小さな痺れが走った。
(私を忘れないでくれ……)
 脳裏に春分の夜の記憶が蘇る。赤い髪の少女は睫毛を微かに震わせていたが、切なげな吐息を一度だけ漏らすと強い意志の力で表情を笑顔へと変えた。
 徹も奥歯を噛締めて少女の笑顔に応える。

「……リタ様、お時間です」
 遠慮がちに掛ったセシルの声にリタが頷いた。
「いつか、また会おう」
 静かにリタが徹の手を離すと、黒いバッグを肩に掛けて歩き出す。荷物を持ったセシルがその後に続いた。出国審査ゲートへと向かう赤い髪の少女の姿が小さくなっていく。

「リタ!」
 迸る感情を押さえきれずに有為が声を上げた。
「次は……次は絶対負けないから、だから、だからきっと――」
 黙って楠ノ瀬が栗色の髪の毛を撫でてやる。
 ターコイズ・ブルーの瞳の少女は振り返り、少しだけ眩しそうな表情を見せ――

 その姿がゲートに見えなくなった。
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何と見事な月じゃないか (エピローグ 運命の輪を超えて2) 

2009年02月13日 01:18

 新学期の始業式の前日、宝玉を学園に返しに来た徹は、自主練をしていた荻原有理と一緒に帰ることにした。

 有理の使っているバス停までの並木道は、既に桜が五分咲きだった。徹は先週からコートを着るのをやめ、制服の紺色のブレザーの上に赤いマフラーだけ巻いている。
 バス停で徹が有理と別れて駅に向かおうとすると、
「丁度一年前に、徹君と出会ったんだよね」
 有理が話しかけてきた。

 途端に徹は、有理やリタと出会ったときの記憶が蘇り、痛みを伴う懐かしさに胸が締め付けられた。
 徹の心中を知ってか知らずか、有理は話を続ける。
「あの時は一年生だとばっかり思ってた。あたしって早とちりだから」

「オギワラユリは結構競争率高いと思うよ、か。第一印象強烈だったな」
 徹の指摘に有理が崩れるように笑った。
「それでナンバーワン取られて、本当カッコつかないよね」
 リタの魅入られるような表情とは異なるが、その天真爛漫な笑顔はいつでも徹の目を釘付けにする。 

 有理は悪戯を思いついた顔で、徹に向きなおった。
「約束したよね。ナンバーワンになった方の言うことを一つきくって」
 手を腰の後ろに組んで、下から徹の顔を覗き込む。
「何して欲しい?」

 自分たちの前後にはバスを待つ中学生や大人たちの姿もある。いつも以上に近い有理との距離に徹は躊躇ったが、直ぐに意を決して有理の目を見た。
「実は、前から言って欲しい台詞があったんだ」
 その瞬間、有理は、言った徹が驚くほど動揺した。

「ホントに?」
 聞き返しながら激しく瞬きをする。徹を上目遣いに見ながら口を尖らせる。
「でも……そういうのって女の子から言わすかなあ、普通」
 有理らしくなく語尾が恨み節になる。その姿に、逆に徹のほうが首を傾げた。
「もういいよ。じらさなくていいから早く言ってよ」
 どこか妹を思わせる表情で拗ねている。腑に落ちないままで徹は口を開いた。
「よくやった――オギワラユリにそう言って欲しいんだ」

「……え?」
 有理が固まった。耳を疑うように徹をまじまじと見る。
 自分は場違いな台詞を口にしてしまったのだろうか。有理の反応が気になりながらも徹は続けた。

「いつもいつも、オギワラユリに情けない顔を見せてばっかりだった。でも自分なりに必死になって、全力を振り絞ってやってきた。相変わらず頼りないと思うかもしれないけど、次の勝負が始まる前に一度だけオギワラユリに――あれ? なあ、聞いてる?」

 有理は呆然とし、次に失望したような表情に変わり、やがて笑い出した。
 始めは手で口を押さえていたが、そのうちに爆笑へと変わる。バス停に並んでいた部活帰りの女子中学生達が、興味津々といった顔で肘を突付きあっている。

「何だ、そんなことか。ホント」
 笑いが止まらないでいる黒髪の少女の目から、ついには涙がこぼれ出した。
「徹君って鈍感っていうか、場を読まないっていうか――緊張して損しちゃった」
 笑い終わった後で今度は、有為の気持ちがわかるとぶつぶつ愚痴っている。

「何だよ、勝手に驚いたり笑ったり怒ったり」
「徹君、本当にそんなお願いでいいの?」
 少女の声には呆れた響きが混じっている。
「へ?」
「その口癖、やめた方がいいよ」
 今日はどこまでも妹そっくりだった。

「あーあ、また早とちりか」
 大袈裟に肩を竦めた有理の髪が、風になびいている。風からは春の匂いがした。
 もうマフラーの季節も終わりだな。
 徹が首に巻いていた赤いマフラーを外すと、有理は少しだけ悔しそうな表情を浮かべた。

「でも鈍感なようで、このタイミングでリタちゃんから貰ったマフラーを外す辺り、絶妙なんだよなあ」
 あたしの負けか――有理は溜息をついて足元にスポーツバッグを置くと顔を上げ、吹っ切れたように髪を掻き上げる。ふわりと風に金木犀の匂いが混じった気がした。

「徹君、目をつぶって」
「えっと……」
「いいから早く」

 有理に急かされて徹は慌てて目を閉じる。急に口の中が乾き、鼓動が早鐘のように打つ。
 少女の黒髪が近付いてくるのが判った。
 軽く徹の肩に手を添えて、有理が背伸びをするのを感じる。
 聞きなれた、そして一番聞きたかった声が耳元で囁いた。

「徹君、一年間最高にカッコよかったよ。これからも宜しくね」

 そして徹の唇が塞がれた。

   * * * * * * * *


 春分の夜から約一カ月後――

「桐島君?」
 宇田川隆介は、先程から自宅のベランダで月を眺めたまま動かない桐島和人に声を掛けた。

 桐嶋が貧血で授業中に倒れたのを機に、独り暮らしの少年のことを心配した保健師が宇田川に連絡したのが、そもそものきっかけであった。
 それを受けて話を聞こうとした宇田川に対し、明日の夜に月が昇ってから自分の家に来て欲しい――奇妙な依頼をして来たのは桐嶋の方だった。
 言葉にできぬ予感の萌芽に、宇田川の心は揺れた。 

「桐嶋君。一体どうしたんだ」
 咎める口調となったが、桐嶋は微動だにしない。宇田川は困惑と同時に微かな期待感を抱きながら、桐嶋の視線の先を追う。

 見事な満月が天空に浮かんでいた。

「何と見事な月じゃないか」
 宇田川が呟く。ベランダに出て桐嶋の横に腰を下ろした。下の道路を軋んだ音を立てて自転車が通り過ぎていく。
 桐嶋は月を見上げたまま、
「よい月夜だ。色々なことを思い出させる」
 感無量といった風情で独りごちた。余りに老成した台詞に、宇田川の期待感は高まった。一族の悲願が今叶うのではないかという思いに体が震える。

 月には薄っすらと霞がかっていた。
 桐嶋は振り返ると、宇田川に微笑みかけた。
「こういう夜を、木蘭殿は『朧月夜』と呼んでいたな」

 それが全ての答だった。

 その瞬間、宇田川の周囲から音という音が消え去ってしまった。桐嶋の言葉だけが脳裏に反響する。
 宇田川自身も全く想像できなかったことに、自分の双眸から涙が流れ出していた。

 何故涙が頬を伝うのか自分でも把握できないまま、ほとばしる感情のうねりに飲み込まれていく。

 自分の時は果たせなかった。
 鳴神菖蒲の時も失敗に終わった。
 もはや一族の夢を果たすことは不可能とも感じていた。

「まさか、無くした記憶を……」
 その後は声が掠れて続かなかった。
「凶獣と再び出遭い、宝玉の力が発動するに及んで全て思い出した」
 桐嶋には、気弱な高校生の面影はどこにもなかった。太い眉は本来の表情を取り戻したかのように眉間から吊り上がっている。
 だが皺の深いその顔には記憶を取り戻した歓びよりも、これまでの人生に対する悔悟の方が色濃く滲んでいた。

「木蘭殿は既に逝かれたか」
 事実を確認する口調には、苦い響きがあった。
 宇田川は小さく頷く。
「死ぬな。そう願った結果、あなたに呪いのような運命を背負わせたことを生涯悔いていたそうです」

 既に宇田川の言葉は年長者に対するものへと変わっている。
「何を馬鹿な」
 桐嶋は即座に否定したが、やがて遠い目になった。
 暫く黙っていた後、おもむろに口を開いた。

 穏やかな声であった。
 だが、その中に万感の思いがこもっていた。

「では、木蘭殿の墓に案内してもらおうか」


 如月の宝玉  完

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